町/ノーネーム

皆は朝食を食べながら、グガナイヤの話を聞いた。

漠が食べるのは夢だけと聞いていたが、どうも、凶暴化してからはそれだけの話ではないようだった。



「今では夢に繋がる全ての感情を食らうという噂です。

 ちなみに夢や感情を売られた人っていうのは、他人からの共有、共鳴に対する耐性もなくなるようでして、

だから、そう、まさに常に心や耳を塞いで居るとか。

他人の声を聞こえなくするためです」



 ランは持ってきた干し肉をかじりながら、少しだけ眉を寄せる。


「何か言われても、自分にその感覚が

なくなっているから理解できないってことか」


 どうやら、考えていたよりも、とても恐ろしいことが起きているようだった。


「この前も、漠から命からがら逃れた人が、『好意』を無くしていて、

そのために他人からも何を言われても理解が出来ない状態で閉じ籠ったとかで、困ったものです」


「何を言われてもですか」


 パールがドライフルーツをかじりながら問う。

グガナイヤは訂正した。


「厳密に言うなら、自分が無くした価値観で会話をされても理解が追い付かないようで……罵倒だとか雑言は、会話として受けとるようですが、

 なので、まあ、少なくとも、このようになったとしても他者と馴れ馴れしくせず、一人でいるぶんには生活に差し支えないでしょう」



「自分に無いものをつきつけられて、誰も本質に当たることはない。

わかっていても、辛いでしょうね……」


 ヌーナは新しく手袋を身に付けた手で水を飲み、呟いた。

身体が毒であるとしても、これをどうにかしようと考えるのは自分自身であって、他人は気を遣った距離で会話してくれるだけ。

 何よりも、被害者だとかわからないから静かにしてほしいとかを自ら晒すのは、ただただ、痛みをより自覚するだけの悲しいものだった。

 しばらく黙っていたレンズが不思議がる。

「好きとか楽しいとかが無いなら、無理しなくていいだけなのに、何でそんなのに悩むのかなぁ……無表情でも無感情でも、レー様は、全ー然構わないよ。意思や会話がある程度通じるだけでもすごいことなんだから」


「そうなの?」


ヌーナが目を丸くすると、レンズは胸を張って言う。



「そうそう、現代の人はすぐコミュニケーションとか言って他人の話は聞かないから、贅沢だよ。


石とか本なんて、人間はまだ、通じやすい方でさ。話してくれないのは随分話してくれないんだよ」


ランはコップの水を飲み干してから、

同意する。


「確かに、木の言葉も言語そのものだけではない調和に重きを置いたりするよな……」


しばらくフルーツを食べていたパールも話を合わせた。


「ちなみに魚人の言葉は、水に関したものが多い。

『自分そのもの』を中心とした言語はやはり人間やらその周辺の生き物の特徴かもしれない。だから尚更不便なのだろう」

 

 ランはふと、窓際においていた植木を見た。

今のところ元気そうにしている。

(こいつにも、夢とかあるんだろうか……)


「おはよう。今、砂の国に来ているよ」



202007160101

彼の友人は木になった。

そのまま数年経とうとしている。

 今も聞こえているかもわからない声を、かけ続けている。

ヌーナたちはその光景になれていたが、グガナイヤは少し驚いたようだった。しかし犬鳥を見かけたところだったので気をとりなおした。

「あの、その方は……恋人で?」

「いや、友人です」

「そうでございましたか、失礼しました」

 『犬鳥』 は先程の部屋でずっと「ウイウイ!麗しき百合! ウイウイー!」と歌いながら百合の花を眺めている。


「バカにされたもんだな!」


外から大きな声がした。


「夢を売ってやってる俺たちを、

バカにするやつが、いるもんだな!

なんだこの町は!」




「夢なんか……買うものじゃ、ないよ」


 レンズはぼそっと呟きながらスープの残りを飲み干す。夢の売人らしい。バカにされるかどうかなどという問題がかわいく思えた。

 町の人たちが夢の売人にバカにしたり蔑んだ目を向けたとしても、それは飢えた者が食料をめぐって喧嘩になるくらいに当たり前だった。

どうやら彼らは現実に気付いていない。


「なんで……そんなものを、他人から、買わなくちゃいけないのよ」


 他人からしか夢が貰えないのだったら、他の人々は、なんのために生まれたというのだろう。

誰もが持っていたはずの、欠片。 

 悔しくて、痛くて、屈辱で、見ないように目を背けて、耳を塞いでいるしかない。


「夢は、自分で描くものよ。

感謝してほしくて売るものなんかじゃないわ。

そんなもののために、偉そうにして……これじゃあ、崇めさせるために慈悲をばら蒔いてる悪徳宗教と変わらない」

ヌーナもふと、窓の外を見ながら呟いた。

 売ってやってるなんていうそれだって、ただ誰かからもらったものでしかない。


「民を、馬鹿にしてるのは、誰なんだか」

パールは小さくこぼした。


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皆は必要そうなものだけ身につけると外に向かった。

 夢の売人の後についていくことにしたのだった。

 売人の繋がりを探れば『プロテスト』に会えるかもしれない。



小道や住宅を抜けると、バザーまで来た。賑やかに露店がたちならんでいる。売り物は食べ物の次に、布や民芸品が多かった。

土や砂の匂いが鼻につくが、それ以上に人が多く、お洒落な絵が描かれたランプなどもあり賑やかな雰囲気だ。



 売人は複数、大男の他になにやら小柄な女やらがいて、小瓶に入った何かを肩にかける籠の中に沢山持っていた。

すれちがう人たちが、夢を求めて売人に駆け寄る。中には石を投げたり、罵倒する者もいたが、皆は少しも嫌な気がしなかった。



 どこかの若い女が、道にある机に紙を広げてそこの文章を指差していた。

「神を呼ぶには名前を呼ぶだけでいいらしいんですよ」

「それで守ってくださると」


「悪徳宗教かよ……バカじゃないの」

 ランは思わず毒づいた。

あれは降霊術のようなものだろうか。

馬鹿馬鹿しい。彼自身、故郷でもときどき道に迷う人が何やら「リド人だ!」とか言って崇めたりするので騒がしいのが苦手な彼はちょっと恐怖していた。救いを求めて変な商売をするのはやめてほしい。

パールは冷静だった。

「ただの気休めだ。まさか本気でやってるわけじゃないだろう。皆、適当に目につくものにでもすがりたいんだ」


 ランは煩わしそうにちょっとだけ唇を尖らせる。レンズは懐かしい町の風景に少し楽しげだったが、あまり地元の人と話そうとはしなかった。


「んー、砂の国の神様は、そういうんじゃなかった気がするけど……」


とだけ、ぼそっと呟く。

 すぐに、「コラァ!」とお婆さんが来て娘を叱っていた。



「神様がいらっしゃるのに!  お前は、何をよそにすがろうとしてるんだ! あぁ!?」


「だって、やってみたくて!」


 神様は夢や貧困そのものを救ってくれる訳ではない。

 だけど、だからといってあちこちから呼び出しても結局なんの信心も感じられないのだ。だからこそ、やってみたかった、くらいの遊びなんだろう。


「レー様も怒られたりしたなぁ……」


こういう所では、このように叱られるのはよくあることだった。


202007161543






本来ならば共有出来ない、個人の中に内包されている感覚が他人と共有されるというのは、人類の共存にとってとても大事なこと。


 漠は、人間の夢を好む。

人間は言葉や音楽、映像によって、

他の動物よりも多彩に、繊細に自分の中に内包されているものを表現出来る。より質量のある夢を食べることが出来るのだった。


「ああああああー他人から好かれました! 私は、他人から好かれる食べ物ですか!! また私は好き嫌いで判別を受ける! 次は何が無くなるの!?


共有してください!

怖い! この人に私が好かれました、この感情が、わかりません、共有してください!」




あるところに『実験体』という不完全な人間がいました。

 好きなものが固着する前に『漠』に与えられ食べられてしまうので、彼ら彼女らには質量のある自分のための感情を固定出来たことがほとんどありません。


 ここは、プロテストの研究所。

地下には飼われている実験体がありました。ときどき『ハル』という室長が来て、実験体をさらいます。


 実験体の一人にある日ハルは珍しく優しくしました。

しかし、言われる側はたまったものではありません。

 

好きなこと、やりたいことを奪って

「持たないようにしなくては」

と学習を重ねたところに、この気持ちは誰にも言わないでくれという、残酷な仕打ちをしたのです。

 実験体が好きな物を持つことはありませんでした。

それを得ることで家が燃えたりするのも見せつけられていて知っていて、言葉にならない恐怖でいっぱいでした。



 自分のなかの気持ちが誰かに共有されるのはとても大事なこと。それを持って自分も安心するのだと、ハルが言っているのだけ、思い出しました。

だからこの気持ちは共有すべきなのでしょう。

 檻のなかから、恐怖を叫びます。


 こんなたった一人が、世の中に沢山いるのかもしれません。

誰かに言わないと辛くて、だけど黙っていろと言われて……

 実験体はハルを恨みました。

孤独でいっぱいなのですから。


 人々がひとつを好きになるためには、他の沢山のものを好きにならねばなりません。

「『実験体』よって、通常よりは多くの人間が漠から逃れて腹をたてないで済むようなるかもしれませんが、だからこそ実験体に何か求めるのは間違いなのです! 人が道具ならば道具として愛する以外は残酷過ぎる……! 檻の外を知っても、どうにもならないのに」


隣の檻から、泣く声がします。


「ありがとう、君だけは、私の救世主だ……

 私も、他人から好かれるより自分の好きな物が欲しいんだ、品定めが恐ろしい。わかるよ。とてもわかる。

やつらは恐ろしい!


君の言葉は、この夢や好意への恐怖に諦めていた、本当は繋がらず孤独でいたかもしれない私を君と繋げてくれた!」


「私もだ!」


「私も!」


 他からも声が上がります。

姿は見えないけれど、彼らはなんだか心が暖かくなりました。


「表現は、我々を繋げてくれる!」


 たった一人の人間に、孤独に内包された切実な想いがしっかりと伝わるだけで他人と共有されるだけで、冷たい心が暖まるのだと彼らは知りました。


 202007161725


(共感出来ない人はたくさんいる。

けれど、それに合わせる為に自分の気持ちを大事にしないなら、なんの意味もない……)


 次の朝、ある、名前のない実験体は気付きます。

自分の心が持つ意味が、そこにあるのだと。



 例え、その想いが相手に腹を立たせる真実だったとしても。

多くの人間の意見を聞いたってこの恐さは理解されない。

だから、こんな感情では、この檻を知らない人は気分を害するかもしれない。

 それでも、たとえ相手が腹を立てても、自分が恐くて辛いと感じた気持ちを優先したい、

怖くない、そんな自分が確かに生まれているのです。そうでなくては、きっとこれからも彼らの世界は無味無臭で全く面白くない。そう思いました。

202007172233




餌に名前があると愛着が沸きすぎてしまうので、管理される彼女たちは、番号または、ノーネームと呼ばれていました。つまり、名前がない、デフォルトのような透明な存在です。

 蔑称なのですが、既に麻痺している心にはそれよりもただ、外に出て、自由に出歩いて、みんなともっといろんな気持ちを知りたいと思いました。


 昼間。そのために何か自分に出来ないかとぼんやりと天井を見ていたノーネームは、またいつもの光景に気付きます。

 かつん、かつんと足音がして、薄暗い地下室に灯りがともり、見回りに来たハルが、顔を出しました。


「こんにちは」


「こんにちは」


「たまには、みんなで外に出たいのですが」


「外に出すつもりはありません」


思いきった提案を、ハルは断ります。


「それに基本的に、今のあなたたちは誰が利用しても良い存在なんです。

国も漠から逃れる『とくべつな餌』を認可しましたし」


 ノーネームの存在のことを知る人は、今のところ、ほとんど居ません。

町の人たちは、リンゴとかみかんとかだと漠然と考えていることでしょう。

 けれど、ずっと昔から、本当に、ノーネームはありました。それは、表に出ない陰語、業界用語のように密かに受け継がれていたのでした。

 一人は、ハルの腕を掴み言います。


「なぜ、ハルは、私が好きだと言った、



夢が無いものが他人を愛することは無い、永遠に無い、受けとることも無い、考えることすら辛い

ただただ、夢が、感情が本当に食われた事実と直面する! 他の誰かにこれを共有しないともはや感情を理解することができない、


なのに、閉じ込めるなんて」


「何を、言ってるの?」


次に使う餌を一人、檻から出しながら、ハルは笑います。


「この前は、リンゴをあげたのに、

次はトマトをあげたのに、

まだ貴方は、感情が無いのね。



ねえ、まだなの?  あなたが感情を持つのを漠も待っているのよ」


 けれど、感情を持つと、途端になくなってしまう。

不思議なことに、なくしたはずなのに、前はその感情があったはずだと思うと、何故だか涙が溢れます。

また無くしたくないと、感じるのです。

 これから先何も思わなければ、辛い思いをすることも漠に心待ちにされることもきっとないのでしょう。


「生きていて、自分と他人がある、それくらいしかわからない!  


感情に満ち溢れたあなたには理解出来ないでしょうけれど、

 

感情は消費され、消えていくから、

奪うだけなら、何も求めないでください」


昔々、感情が生まれる場所を、

人は心と名付けました。 

それは何処にあって、何のためにあって、何によって働くのか、人々は長い間疑問を抱えました。

 心は物体とは言えないし、液体とも言えない、不思議なものだったのですが、なのにそれは、血や涙と同じようになくなったり増えたりを繰り返す質量も持っていました。

 使うだけなくなりましたが、しかしハルはここから出そうとはしませんし生まれるだけ削ぎとってしまいました。

「嫌い、嫌い、嫌い嫌い嫌い嫌い……」

 ノーネームは、理解のためにこれから沢山共有しなくてはならない恐ろしい感情に、耳を塞ぎます。

 ハルはしばらくは不思議そうにそれを見ていました。


 こうして、この研究所はリンゴやみかんを喜ぶことで人間の人格が全て完成するわけではない、という研究結果を出しました。




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