ウイウイは百合の花
神様は破壊と創造を分け
理性と知性を分け
空と大地を分け
様々な を分け
それぞれに役目を与えました。
生と死 喜びと悲しみは
分けませんでした
それは破壊と創造そのもので
空と大地そのもので
喜びも悲しみもそこにあるためです
けれど いくらかの人々は
私と他人を分ける役目を
理性と知性を
空と大地を
破壊と創造を
こなせませんでした
私と他人を分けたのは
私と他人の役割が異なるためなのですが
混ざりあうことを望み
私を他人にすることを願い
破壊のためにしか破壊をせず
せっかく分けたものすらも
何もかもを、自分にすることを頼りました
白は白でしかなく
赤は赤でしかなく
青は青でしかなく
黒は黒でしかなく
緑は緑でしかなく
世界は世界でしかないというのに。
何度も繰り返される『それ』は
人間のもつ他者より上位でありたいという欲望からのものでした。
けれど、欲望は、喜びと悲しみのためにはなくてはならないのです。
神様はそこで夢を与え、現実を与えました。欲望の根源というのは
夢や現実であり
神様への感謝へと還ります
破壊と創造
様々な色のある
空と大地の世界
争いと平和
全てが還り、めぐっていきます。
ある者たちは
夢すら他者であると
夢すら欲望であると言い
夢すら自分であるようにと争いました。
破壊のために創造し、創造のために破壊を繰り返し、何もかもが自分に還るように望みました。
なのでこれらをどうしようか話し合うことにしました。
しかし、どんなことがあっても
他者は他者、私は私
叶わないこと。
ただ、夢は夢であり現実は現実であることだけでは、人々はどちらの有り難みも忘れてしまうことから
夢と現実のどちらにも
夢と現実を与えました。
悪い夢を食べてくれるという、漠。
砂漠に住む貘だから漠と言われている。
「スフィンに会いに行くのはどうでしょう」
グガナイヤは、陽気に提案した。
「スフィンは魔物だけれど、
この地域の守り神。
スフィンの言うことは絶対だと言う人もいるのです、何か知恵を授けてくれるかもしれない」
「だけど、未だに王墓所には強い力があって、意にそわないものは……」
レンズの普段の明るさが鳴りを潜め、陰欝としたものになる。
ランやヌーナたちはそれを見て、スフィンの強大さを悟っていたのであえてどうなるかは聞かずにおいた。
スフィンは王墓所を守っているのだが非常に強い力を持っている。
今になってもなお財宝の噂をもとに墓荒しを企む盗賊もいるが、多くが謎の死を遂げたため、入ったものが次々に呪われるという噂すらあった。
「まぁ、必ずしもそこに向かうのが目的ではないのでしょうから。そう焦らずお考えください」
「うん……」
滅多に口を開かない第一スフィンが、しゃべったということは、何か困りごとがあるのだろうか。
王墓所には、レンズもそれほど長い時間訪れたことはなかった。
幼い頃にスフィンに会ったことはあるが、そのときのスフィンは深い眠りについており、何か語ってはいなかったので、スフィンがどのような存在なのかはよく知らない。
ただ、彼らの大きさや、どっしりと構えて空を見上げ、大地に聳える姿を、亡き両親のように感じていた。
この異変や漠の存在がスクトゥナのことだと言うのなら、もしかすると気にかけてくれているのかもしれなかった。
スフィンがもしも何かに悩み、苦しんでいるのであれば、レンズには心配でないわけがない。
グガナイヤは悲痛そうな顔になったレンズのことを察したので、改めて気遣った。
「もう、じきに夜になります。
今日は此処でゆっくり休まれてください」
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夜中、レンズは奇妙な夢を見た。
グオオオ……と何か地鳴りのような音がしてふと顔をあげると、
真上では声を上げないはずのスフィンが鳴いている。いや、鳴くというよりも泣いているようだった。
ーーどうしたの?
レンズは悲しくなって、問いかける。
ーー何かあったの?
スフィンはただ、鳴いているだけ。
それなのに、悲しそうで、けれど、レンズの言葉に返事をするわけでもなく、ただ鳴いている。
レンズはふと、墓のある方を向いた。
何かがどうというわけではなかったが、スフィンがいつもこの場所を気にかけているのを思い出してのことだった。
「スーナはあれから居ない……」
ふと、レンズはスーナのことを思い出した。
「レー様たちに会いに来ることも、街で誰かがスーナの話をするのももう聞かない……」
墓所を眺めていれば、スフィンの気持ちがわかるのかなと思ってみた。
けれどやはりそんなこともなくて、
ただ、砂埃や、石の感覚を覚えながら
改めて『自分の身体』のことを思い出していた。
『動くとぞや』
「え……」
何かが聞こえた気がして、スーナはスフィンの方を見る。
『朝焼け、夕焼け、泉なるか』
「えっ、と……」
スフィンの口は、動いていない。
これは、聞こえているのか。
それとも、聞いているのか。
『日と月』
「…………日と、月」
『日と月は海なるか』
レンズは、違うことを思っていた。
スフィンはやっと泣き止んだのか。
『日と月の、戯れなるか』
「…………」
レンズはまっすぐに、スフィンを見つめた。
スフィンは何かを望んでいるようだった。レンズも何かを望んでいた。
スフィンは、生きてくれる?
私と。
「それは、 だ……」
心のなかで答えながら、レンズは泣いていた。何故かわからないが胸が締め付けられた。
「いい? レディが着替えてるから、絶対ノックしなさいばか!」
「はあ? 忘れ物したんだよ、ぼけ! 聞いてなかったんだよ!」
「ちょっと、何それぇ!」
早朝5時からギャアギャアと喚いている二人の会話を聞きながら、ヌーナは水を飲んでいた。
この時間から礼拝に向かう人も居るらしいのだが、この宮殿の人たちは少し、何かが違うらしいのでそういうわけではないようだった。
外にも少しずつ人気が増え出している。夜明けの澄んだ空気を感じて、ヌーナは横にいるパールに話しかけた。
昨日はずいぶんぐったりしていたが、少し回復したらしい。
「新聞です!」
下の階でチャイムが鳴る。
グガナイヤが気の抜けた返事をしていた。
「新聞が突撃するとは。いやはや、あの森の辺りにいては見ない光景だ」
「まさか、レンズのことを独占取材する気?」
朝食を用意してくれるというグガナイヤが言うには、予言とレンズたちの存在が「似てる」「似てる」と、既に街中に広まっているらしい。
「確かにあの内容を見せられると……見た人が、私たちの状況に似てると思うのも無理はないわね」
「似せようとして出来る芸当じゃないはずだが……」
ヌーナのいる街もかつて、フォルグナにあった。幸いにもそのときは被害は少しだったが、神殿のある森のほうの町は大変だったらしい。
幸い、今は大部分が復旧している。
あの神殿跡もいづれは復旧するのだろう。
「どうせなら、ギャグ方面に変わると楽しいのだがな」
パールはぼそっと呟く。
レンズは着替えおえて、パールを手招きした。「パールも着替えないと!」
「服は面倒だ!」
203006182307
「迷ってしまった……」
ランは廊下の途中で右足に違和感を覚え押さえた。ついでに、部屋が広いので、少し探索していたら迷った。
時々考えてしまうことがある。
全身が木だったら、いったいどんな気持ちなのだろう。
彼は片足だけが半分ほど木になっている。普段は人肌のようだが、ときどきは木となり枝が伸びたりする。
「肉を食べていても、完全に獣になりきることはなく、完全に植物になりきることもない……」
身体はほとんどが獣種に近いようで、今のところ肉を食べる方が合っているのだが、足に関してはわからないところだった。
「次に、こいつが生まれてきたら……」
人喰いの木。
彼や彼の血を引くものを食べて、世界が育つ。
一族は皆そうしてきた。
彼が自分を糧として森を根付かせた時、この呪いも終わるのだろうか。
……それとも、この足では、不完全だろうか。死にきることも、生ききることも、過酷なのかもしれない。
「どうしろと、いうんだ……」
今のところは、歩くことも、木に登ることもできる。
姉はあの森の一部になったし、母はそこにある大きな木になった。
その前に居た誰かも。あまり思い出せないが、昔はきちんと巫女が居たらしい。
本当はどちらかがよかった。
木になるか、獣になるか。
今の彼は、言い伝え通りに死ねるのかも、言い伝えから逃れて生きられるのかもわからないでいた。
端からは理解できないらしいが、力があるからこそ肉体から解き放たれて世界となって支える、人を越えて偉業を成し遂げることを素晴らしいと思っていたし、今も少しそう思っている。
これは普通の人間ではないからこその心理で、人間としての存在の意味と、人間以外としての自分の存在意味を求めてしまう性というのがある。
それは客観的に悲しいというだけではなく、種族の独自のプライドだった。
人間としてでない還りかたにこそ、彼らには生きている心地があるのだ。
だからこそ、この重要なプライドを否定されないよう彼は誰にも言わずに居た。
ふと、何か音を察知して、頭の耳がひょこひょこと揺れた。
「………?」
空の、どこかで鳥の声がする。
ふと思い出すのは『友人』が時おり、鳥と会話していたこと。
トウトキヲヒルガエシ……
頭上に声が降ってくる。
「盲目を、訪わせ……」
果肉の戀、爪鱗、花の酒樽……
自分が生きていられるうちにそれらを探して、もしも、スクトゥナを治められたら、この身体も、荒れてしまった森も、毒の流れる川も、全てが綺麗に収まるのだろうか。
悪夢を消したい思いも本当だった。
けれど使えない力に苦しむのも、世界が荒れ果てていくのも彼には、やっと生き残った自分の責任であるような気がした。守り神でもあった木に活力がないのは、長い間、自分たちという種族を糧にする機会を失ったから。
(きっと、洪水も止まる。荒れた町も、元通りになる……
それで、皆のところに還るんだ)
また声がした。グガナイヤが叫んでいるらしかった。
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『あれ? あれーー?』
グガナイヤを探して廊下を歩いていると、不思議な声が聞こえてきた。
「歌、忘れちゃったー!」
どこかの窓から入ったのだろうか。目の前を鮮やかな赤い色をした鳥が歩いていて、ぶつぶつ呟いていた。
「シマッタナ、歌を忘れちゃったー!」
「おい」
思わず呼び掛ける。
「お前は誰だ?」
「ワタシ、ワタシは『犬』です!」
首をかしげながら鳥は答えた。
「シマッタナ、歌、忘れちゃったら、遠くの山に捨てられチャウんだあー」
歌……歌を忘れる。
それは彼には懐かしい言葉だった。
思うところもあるので『犬』鳥に話し
かける。
「お前も歌を探してるのか」
「おやっ?」
犬鳥はようやく彼に気付いてそちらを向いた。
「これは、少し昔に見ましたよ。『わからん』じゃないですか! お仲間がびよんびよん大地を跳ねてらした」
「俺はランだ、わからんじゃない」
「あら、そういえば……?
『わからん』はそのような、肉食獣のような立派な牙はお持ちでなかったかもしれません……」
「わかって貰えて嬉しいよ。この家の者か?」
彼は改めてグガナイヤのことを思い出した。そう、それどころではなかった。
「あぁ!違います、『お気に』の木の上で寛いでいたら、何やら喧しい猫が外で騒いでやっていたので、逃げて来たのです」
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はっ!と『犬』は辺りを見渡して、何かに気付いたように近くの部屋に向かっていく。
それから、もじもじと恥ずかしそうに出てきた。
「どうかしたのか?」
「砂漠ユリです」
後を追うとそこには小さな書斎があって、大きな古い木のテーブルがひとつ置かれていた。
その上の瓶のなかに、百合の花が咲いている。
白い陶器のような花びらにうっ血したような斑点が滲みくすんだ緑の葉がみずみずしく照って大きな頭を項垂れ細い一本足を伸ばしていた。
「なんて愛らしいんだろう。鳥の私が植物に恋をしてシマッタ」
犬鳥は恥ずかしいのか、テーブルの上の植物を直視出来ないらしい。
ぴょこぴょこと、辺りをはねまわりながら、ピィ、と鳴いた。
「かれんな女の子に擬人化出来そうなくらいに、本物は素晴らしい。
本物は植物だ……けれど、私にはワカリマス。
このかたは女の子だと!
女の子の植物なのです、ユリと言う植物の女の子のように愛らしい姿が、きっとそうさせるほどなのですネッ」
『植物』である、本物の百合の花に恋をする犬鳥が饒舌に語る。
ランは少しだけ驚きはしたがすぐに受け入れた。
植物に恋愛感情を持って悪いものか。しかしグガナイヤはその部屋にはいなかったので、騒ぎの予感はおさまらなかった。
百合の花の横には薄く小さな立札があり、品種名が書いてあった。
各国の言葉で羅列されているなかから、自分に読める文字を見つけ出して彼は読み上げる。
「ウイウイ」
「ああ、なんとも愛らしいお名前!
ウイウイさんというのがこの、ユリの花のお名前ですか!」
彼の肩に飛んできた犬鳥は、すかさず声を上げた。
「ウイウイはユリの花!! 植物の花!! 私は植物に恋をした」
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ランがぼんやりと百合のウイウイと、犬鳥を見ていると、向こうの方からグガナイヤが歩いてきた。
「あぁ、追い返すのが一苦労でした」
疲れた様子のグガナイヤにランはたずねる。
「何かあったんですか」
「新聞の次は、蛙顔をした変な男が来て『今ならお安くしますから、夢を買いませんか、またはお高くしますから夢を売ってくれますか』と言うのです。
宝くじかと思ったのですが、本当に夢!
ありとあらゆる人々が今『夢』を買い求めているようなのです」
続いて、グガナイヤは手に持っていた紙を大きく広げた。
「この記事を見てください。
夢を漠に食べられた人々は、みんな、、好きなものも、楽しいことも何にも無くなっていて、毎日あらそっています。
この街を歩くときは好きなものや、恋の話を決して口にしないように! いくらかの庶民はもうそれすら持てないで居るのです! そういった輝きに浸れるのは今や上級国民だけ!」
ランはすぐ横にいる犬鳥を見た。
嬉し恥ずかしそうにウイウイ百合をじいっと見つめている。
漠に会ったものたちにはこの感情を持ち目を輝かせるなんてこれ以上ない嫌味に違いなく、格好の標的になることが目に見えていた。
上級国民なのか、それとも、遠くの町から此処まで来たのかもしれない。
「おや、犬鳥ですね」
グガナイヤはふと、近くの部屋から聞こえるさえずりに耳を傾けた。
「迷いこんだらしくて、
此処にあるウイウイ百合に恋をしているようです」
「そうでしたか、いやはや、町の大通りに出る前でよかった。
多くの庶民にはもはや恋愛感情すら残っていない。きっと騒ぎになります。
焼き鳥になるくらいなら、此処に置いてやりましょう」
部屋を覗くと「ウイウイ~」と恋しい人の名を呼ぶ愛らしい犬鳥がぴょこぴょこと机の上で跳ねていた。
「ウイウイ~」
「ほう、まさに、ウイウイという名前ににぴったりだ。
この百合は、花の可憐な様子を『初々しい』という言葉で表した品種でしてこの百合に大切な初々しさがまさしくいま体現されていますね」
ウイウイ百合の花にとって重要な『初々しい』をグガナイヤとランはしばらく眺めていたが、グガナイヤはやがて、思い出して言った。
「そうです、朝食の用意、まだ終わってないのでした。ではこれにて失礼いたします」
202006272027
廊下に残されたランは、改めて犬鳥を見つめた。
「聞こえたか。
この国には、漠がいるんだ。
漠は見境なく夢を食べてしまう存在で
もう、庶民は夢や強い感情をほとんど持ってないらしいから、狙われるぞ。外に出ないほうが良い」
ウイウイ~と鳴いていた犬鳥は、声に気が付き返事をした。
「なんと! 今のとこ、私の心のポケッチョの中には夢やドキドキが溢れています!
幸せや夢があります。
漠というのが何か知りませんが、これを漠が食べたら……私は百合の花を愛する気持ちを失うのでしょうか。こんなに幸せなのに」
漠も怖いが、町の人たちも恐ろしい。
感情を持ちたくて、心を持ちたくて、他人の夢で良いから欲しがっているのだ。希望を持って生きるということすら奪われている。
手渡された新聞にはもう感情すら残らない庶民に、無理矢理会話させて「笑顔がない」「楽しそうではない」と言い続ける遊びが貴族に流行っていると報道されていた。
上級国民は一方で夢にお金も支払っていたが、それで笑顔は買えないので、治安は悪化しかしていない。
昔から深刻だったお見合い問題もあった。
最近では夢も感情も抜け落ちた女たちが増えて値落ちしていて儲からないようだ。
これでは紹介すら困難なので少しでも商品に値がつくようにと笑顔講座を開いたり、上級国民からわざわざ夢を持ち頑張って欲しいと激励の言葉をかけてねぎらっているが、自殺が後をたたないという。
素晴らしい夢を持つ人を手本に招いて、それを直々に見せて言い聞かせているのにだ。町のことを知らずに道行く人を口説いていた貴族の『ハル 』という若者が、殺しにかかられるというのも紹介されていた。
皆、感情すら無くしている。
そこにやってきて愛や恋というのはあまりに無知過ぎた。
この犬鳥のような暢気さが、それすら奪われ苦しむ人たちには耐えられないのだろう。
どんな達人でも、周りの人たちに夢そのものや幸せを与えるなんて出来やしない。奪われたら最後。
少しでも寄って来ないようにしなくてはならないのだと改めて身に染みる。
恋をするのは平和で、
何もかも恵まれた、のんきな人だけ。
「ここにいる間はひとまず平気だろうが、俺たちのことは秘密にしてくれ」
202006291943
彼らのいる街の少し先の街では、抗議のデモが起きていた。
『夢』は販売されているのと同時に、世間について伝えるメディアはこぞって夢を語り、若者の楽しい未来について示しているので、これだけ見れば まさか本当は夢を奪われた人たちが溢れかえっていることなど想像もつかないだろう。
現状では情報統制の下で上級国民の『使い古しの夢』が配布されている。
国は生きるのに必要な最低限の食事や睡眠の権利ついては保証していたが、夢や精神活動に関しては別だった。
他人の夢をわずかばかりもらったところで、ほとんど腹の足しにならないし、自分に定着するのにも時間がかかってしまい、満たされないまま不安に溢れた人たちはかえってすぐに欝になった。
「なんで、人を殺しちゃいけないんですかー!」
「愛し合うって、どういう意味ですかー?」
彼らは口々に思うことを叫びながら、大使館や市庁舎の前を占拠した。
国民にとってこの活動すらも、もはやひとつの夢であり、皆の意識がひとつになりやっと見ることのできる貴重な財産だった。
夢の配布元に矛先が向くのは自然なことで、人や何かを好きになるとか、楽しいと感じるとか、そういった感情を他人から渡される屈辱が民を苦しめた。
「あいつらは自発的に何かを思ったり喜んだりを保証されてのうのうと暮らしているんだ!」
市庁舎の前では、おばさんが市長のポスターを指差して憤慨し、すぐ横では男がパニックを起こして座り込む。
「はっ、今思ったことも、食われちまうのか? あーっ、あーっ、うわあああ! 俺は何も思っていない! 何も考えちゃいないー!!」
デモに参加する以外にも、漠に会った多くの人たちは使い古しの夢を燃やし、その焚き火で暖をとり、料理を食べることを思い付いた。
考えることが要らない上に、支配者の崩壊や、何かを好きな気持ちを奪われていない人の精神崩壊の方が皆に最も夢や希望を与えてくれたので、メラメラと燃え盛り炎上していくのを見てようやく、庶民は上級国民の『使い古しの夢』に感謝することができたのだ。
やはり暖かい感謝の気持ちはどうにか得て安らぎたいのが人間らしい。
「国はきっとこうやって燃やして、皆が温まるために、夢をくれたんだ……」
「ありがてえ、ありがてえ! こればかりはカーストが上位なほど、油が乗っててよく燃えやがる……」
202007021924
焚き火や料理を楽しむ人の一方で、奥にある住宅街では口論になっていた。
「人の夢を売るやつが何を言ったって一緒だよ!」
カースト上位の男が、夢を提供してやってもいるのに自分が無視されたので怒っているのだというのだが、近くに住んでいる庶民や絡まれた女たちからは冷たい視線を向けられていた。
「お前ね、この街に、そういう、キラキラした感情を持って暮らしてるやつが、どれだけいると思う?」
「意味がわからない。俺を邪険にしないでくれ。さすが、貧民のお前たちには人の心も無いのか」
「おーい皆! こいつ、夢を持ってるぞ!!売り飛ばせええ!!」
感情や夢がほとんど枯渇している寂れた街に愛だの恋だのという陽気なものが紛れ込んで来たのだから人々の反感を買うのは当然だった。
「殴れ! 燃やせ! 原型を留めるな!」
「恋ってぇ、なんですかぁあああ!!!! うわあああん!!! うわああん!! 胸が痛いよぉ!!」
「泣かないで……」
「夢なんか持つやつが夢なんか語るなよ!」
「意味がわからない。俺を邪険にしないでくれ。さすが、貧民のお前たちには人の心も無いのか。なぁ、俺を邪険にしないでくれ。俺を邪険にしないでくれ」
とりあえず近くにあった棍棒やらなんやらを掴むと市民のいくらかは取り囲んだ。
何年も聞いたこともない感情に巻き込まれた人たちは恐怖と絶望からパニックを起こして取り乱す。騒ぎが騒ぎを呼んだ。
不穏分子を取り除かなくてはならなかった。
男のほうは状況を理解していないらしく、哀れにきょろきょとと辺りを見て怪訝な表情をする。
「なんでそんな風に冷たいんだ? お前らは人を無視するように教わってるのか、ただ挨拶しただけだろ。そうそう、笑顔が見たいだけなんだ。笑顔が、俺と彼女たちは友達なんだ。ただ優しくしてるだけなんだ」
必死の弁明も伝わらず、近くを通るいくらかの人は耳を塞いで蹲る。
「恐いよぉ!!」
「感情なんてものが、人に売れるほどあるのかね!! お前さんには!!」
此処はなんなんだ……
男は恐怖した。
「今こうやって話しているじゃないか? 人と人、思いあっているから会話が出来るんじゃないのか」
「そんなの知らない!! 痛いよぉ!!」
「実は俺も、さっきから絶望感でいっぱいで……初めて聞いた、愛や恋が実在するなんて」
「ああああああああ!! ああああ!!!
私は何も聞いてない!! 何も聞いてない!!何も聞いてない!」
人々は漠が居たことすら悲しいだとか辛いだとか思わなかった。
淡々と生活することそれ自体に幸せに近い、いきているというそのものを味わっていた。言葉を交わすことが夢や共有を生むことはなかったが、それが無いところで個人が生きるだけなら問題は無かった。
問題は、こういったよそ者が持ってくる「愛」や「恋」や「友情」、大きくまとめると「夢」のもとになるものだった。
これらに触れると、漠に会った人々は大きな不安と絶望にかられ、恐怖が全身にまとわりつき、受容器官が無いのに受け取った信号のごとくただチャネルを封鎖出来ない毒となって身体や心を蝕まれた。
男は憤慨して、近くにあった生き物の車を呼んだ。それは牛に似ているが牛ではなく、暑い気候でもそれなりに生き抜くことの出来る生物なのでこの辺りでは重宝されている。
「見てろよ! 絶対に勝ってやる……
お前らにされた屈辱、家に帰っても忘れはしない!! 負けないからな!!」
人の心を持たない自分より下級のものから受けたこの非道な扱いに、男はとても自尊心を傷つけられた。何が何でも勝たなくては。
彼の中では、あの女どもも工作員に違いなく、自分を貶め恥辱を味わわせたくてわざと嫌がったに違いないことになっていた。
何より夢や感情を奪われるということによって苦しむ思考が彼の立場には持ち得ないものだった。
バァン、とどこかで銃声が響いた。
民家からのようだった。
先程の騒ぎで『恋』の存在を理解してしまった一人らしい。
「あぁあぁあぁああぁあああああ!!」
パニックになった友人が叫ぶ。
音の方角から事の起こりを理解したらしい。
「なんで感情なんが持ってきた!!
なんで、あいつが持っているだけの物に付き合わされなきゃならないんだ! なんでっ……なんで! そんなものをこの場所に向ける!」
車に乗って後を去ろうとする男に、石が投げられる。
「二度と来るなっ! 二度と、二度とそんな感情を持って来るなああっ!」
一人、二人、石や棍を拾う人が増えていく。
怒り、これは感情のひとつ。
貴重な感情だ。
未来に残るかすらわからない、貴重なもの。これを知らない人のためにいうならば、水を沸かして湯にすることに例えられる。
熱くて揺れており、触れると火傷という損傷を負う。
それが自分の内側、体の内部で起きる信号のひとつなのだが、多くは原因となったものがあり、どうにか原因を片付けさせるか自ら放棄したり冷やしたりしなくては、痛みが収まらないのである。
だが、ある程度の制御を覚えることで、闘争本能を呼び覚ましたりするときもあるので、人類は怒りを武器として扱ってきた。
それはもちろん諸刃なのだけれど。
ただこれも暴動と同じく、感情を持つということが奇跡の今、
民にとっての数少ない『夢』だった。ひとつでも、感情が残ることが民の喜びなのだ。
よって男は怒られ、叩かれる運命をこの街では受け入れなくてはならなかった。夢や感情を売りさばかれた民には、それだけが彼に向けることのできるかけがえのないものなのだから。
「あらら、可哀想に。告白しただけなのに」
『新聞』を読みながら、パールは呟いた。
内容は夢を奪われた町で、愛や恋を語りに来た男がリンチに会う、というもの。
囲んでいる机には水晶が置かれておりヌーナたちはこれを覗いている。パールにしても大して可哀想と思っていない声だった。ざまあみろくらいには思ったかもしれないが。
「もうニュースになってるみたいだね!」
「仕方ないな。それをこれまで売り捌いて来た側がどうこう言えることじゃない」
「だけど、冷たくない? その彼は何も町の現実を知らないのよ」
悲しそうに言うのはヌーナだった。
ランは冷たくはねのけた。
「空腹のときに目の前で肉を見せ付けながら食われているようなものだ。
もはや許す許さないではない、
悲鳴なんだ」
彼には町の痛みが自分のことと重なり、理解出来た。強さのために捨ててきた感情、払ってきた犠牲、そしてそれが無いことに慣れている身体。
感情の形をとっているだけの、痛みを嘆きはねのけることしか残らない悲鳴。理屈ではなかった。
「悲鳴は……叫ぶことでしか、悲鳴をあげ続けることでしか解消されない」
「でもさ、落ち着いたら悲鳴を上げる人たちもレー様たちの側に来るかもよ。
悪夢と呪いしか持っていないけど前向き!」
「前向きっていうのかねぇ……」
ヌーナはため息を吐く。
急にパールが吹き出したので、他のみんなはどうしたのかと声を揃えた。
「政府考案 プロによる夢作戦 でまた死傷者! だそうだ」
ランもレンズも笑ってしまった。
「ひっでぇや……」
「ウププ、目も当てられない政策だね」
ヌーナだけはまた深いため息を吐く。
「バカの集まりね……」
「その道のプロを招き、夢とはこういうものですよあなたにも持てますよと皆を教育する……嫌味だろこれ」
ランは笑いが収まると、今度は呆れかえった。夢のないものに夢を語るところで、自殺志願者が増えるだけだろうに、何を考えてこんな残念な作戦に踏みいったのだろうか……
新聞から、ひらりと何かが舞い上がった。チラシ紙らしい。
そこには手書きの達筆な文字が書いてあった。レンズが読み上げる。
「『プロテストの試験を受けませんか?』
何々……プロテストって集団がいて、
夢に彼らが価値をつける試験みたいだね。価値がある夢の方が漠に会えるかも?」
「ただでさえ売り捌いて矛盾した行動とってるやつららしいやり方だ。
価値の判定までするのか……」
202007121603
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