第14話 ページ50 嫌な予感

「雨が降るって天気予報で言ってたわよ。しかも雷雨。それでも行くの?」


 私「宮沢可鈴みやざわかりん」五十歳。話し掛けているのは主人の昌人だ。


「ああ、仕方ない。これも接待だからなぁ。何せ、今度の接待はかなり重要なんだよ。社運が掛かっているぐらいにな。でも夏のゴルフは嫌だなあ。芝からの照り返しが酷いんだよ、まったく……。雨が降ったら降ったで、むせ返るし……」

「そう、大変ね。じゃあ雨カッパも用意しておくわね」

「ああ……」


 主人の昌人の話しによると明日は大事な接待ゴルフがあるらしい。


 昌人のゴルフの腕は八十台前半で、社内ではトップクラスらしい。その腕を見込まれ、接待ゴルフにかり出された始末だ。しかも接待なら、相手に勝ってしまわないようにしなければならない。なんとも複雑な気分だ。まあ、主人の昌人にすれば接待ゴルフは会社の経費で落とせるから、それはそれなりに面白い。というのだけれど、私は明日の事を想うと、なぜか妙な胸騒ぎを覚えた。


 明日の事を夫婦で話していると、昌人は何かを思いだしたようにカバンの中をゴソゴソ捜し始めた。


「おい、りん。これ会社で貰ったんだけど、今は携帯電話も凄いなあ。自動車電話の時は凄く大きくて重くて高かったけど、この携帯電話すっごく小さくて軽いや。うちの会社の系列店から、モニターをしてくれって事で重役クラスは貰ったんだけど……

観て見ろよ」


 昌人はそう言うと、手に持っていた携帯電話を私に渡した。


「へぇ~凄っごい。こんなに小さくて本当に電話出来るの? ねえ、アナタ、電話するから家の受話器出てみて?」

「じゃあ、掛けてみろよ」

「じゃあ、行くわよ。フフフッ……」

「もしもし~聞こえますか?」

「何いってんだ。こんなに近いんだから、普通に聞こえるだろ? 二階に上がってみろよ」

「そうね、ふふふッ、アーア、私ってバカみたい」やっぱり、やってしまう。お約束は忘れない。


 こうして私達夫婦は遅くまで携帯電話で遊んでいた。携帯電話の普及は、当時はマダマダで、やはり電話機本体と電話代が高いと言うのがネックとなっていた。





 やがて夜が明けた。窓の外には限りなく澄んだ青空が何処までも続いていた。夏なので五時を過ぎると夜が明け、朝日が昇ってくる。本当に雨が降るのだろうか? 夕立が来るらしい。


 六時になると、もうすっかり辺りは明るくなる。朝の澄んだ空気が新鮮で、呼吸をするのも気持ちがいい。


 主人と娘を起こし、朝食の準備をしていると玄関で元気な声が響く。


「おはようございます」


あれ? もうお迎えが来たのかな? 声のする玄関へ赴くと、威勢のいい青年が立っている。朝から元気だね。


「おはようございます。奥さん、部長は?」

「はい、ちょっと待って下さい」


 接待ゴルフのお迎えがやってきた。慌てて主人を捜しに台所へ行くと、昌人は慌てて朝食を採っている。


「あなた、お迎えいらっしゃったわ」

「もう来たか? まだメシ食ってないのに……アイツときたら」


 昌人は慌てて席を立った。茶碗をみるとまだ、一口しか食べていない。


 そのまま玄関へ行き、待っている部下へ声を掛けた。


「おい、木山君ご苦労さん。だけど、ちょっと早いんじゃないか? オレはまだメシ食ってないんだよ。君はもう朝飯食ったのか?」

「申し訳ありません部長。自分は車の中で済ませました」

「そうか。じゃあ、コーヒーでもどうだ? まだ時間はあるだろう?」

「はい有り難うございます。ではお言葉に甘えます。失礼します」


 昌人は部下の木山をリビングに通すと、私にコーヒーを入れる様に促した。そして、自分はみそ汁にご飯をぶっかけて、汁ごはんを慌てて流し込んでいる。


 リビングに居る部下の木山へ、インスタント・コーヒーを私は運んでいった。


「いつもご苦労様ですね、木山さん。コーヒーでもどうぞ」

「朝早くからスミマセン、奥さん」

「いえいえ、そんな事ないですわ。あなたも、早くから大変ね」

「いえいえ、いつも部長にお世話になってますから、これぐらいは……」

「もう少しお待ちになってね。すぐに連れて参りますから」


 そういって立ち上がると、後ろに昌人が立っていた。


「あら、もう食事は済ませたの?」

「ああ、オレにもコーヒーを頼む」

「はい、解りました」


 リビングを出ようとしていると、昌人は昨夜・会社経由で貰った携帯電話を部下に見せて、説明をしながら自慢をしていた。人は真新しい物を他人より早く手に入れると、誰でも自慢したがる。それは老若男女であるから不思議というか、面白い。


 主人のコーヒーを持って来ると、リビングでは携帯電話の話で盛り上がっていた。


「いいなあ、部長。オレもこんな携帯電話欲しいなぁ~」

「待て待て、もう2~3年すれば、きっと安くなるから、それまで待った方がいいぞ。オレも会社の経費で持たせて貰っているからな。実費じゃ、かなり高いらしいぞ」

「でしょうね。でも、いいなぁ……」


 楽しい雰囲気の中、フッとリビングの時計に目を向けると、時刻は六時半になっていた。


「あなた、もう時間ですよ」

「おっ、そうだ。じゃぁ、そろそろ行くとしよう。木山君、行くぞ」

「はい、部長」


 慌てて二人は立ち上がり、リビングを出ようとしていた。私はコーヒーカップを片づけていた。ふと主人の携帯電話が、そこのテーブルに無造作に置かれてあるのが気になった。


「あなた、携帯電話持って行かなくていいの? 確か、専務さんから電話が有るって昨夜言っていたんじゃなかったの?」


 携帯電話を持って主人を追いかけ、玄関で靴を履いている主人へ渡した。


「おっ、そうだった。これがないと、専務からの連絡が取れない所だった。じゃぁ、行ってくるよ」

「奥さん、行って来ます」

「はい、行ってらっしゃい」


 部下の木山は昌人のゴルフバッグを車のトランクへ積み込むと、私に一礼して車を走らせた。


 家からゴルフ場まで、車で二時間は掛かると言う。


 仕事も大変だ。接待になると休日もあったものじゃ無い。そう想いながら、車の走り去った方角の空を見上げた。南の空は晴れ渡り雲一つ無い青空が何処までも続いていた。


「今日は雨が降りませんように……」


 昨夜からの胸騒ぎを押し殺し、南の空へ向かって両手を合わせた。途端に風がビューと舞い上がり、私の髪を乱したと思ったら、その風はスウッと私の横を駆け抜けて行った。


「何も起こらなければいいが……」






  

 朝早くから主人を接待ゴルフへと送り出した後、不安な気持ちに駆られていた。


 それは昨夜から続いていた。何がどう? と言った訳でもないが、やたらと心配になってくる。女の勘と言うか? 第六感が感じているのだろうか? 取り敢えず落ち着かない。家の中に入り、娘と一緒に朝食を採り、娘を大学へと送り出した。


 一人ポツンと家の中に居る。TVのワイドショーを暫く見て、掃除洗濯を行うが、なぜか一向に気が紛れない。どうしたんだろう。




 そんな時リビングの電話が鳴った——。


 主人の昌人に何かあったのか?と想いながら恐る恐る受話器を取った。


「もしもし……」

「もしもし、りん? 私、理子だよ。久ぶり~元気だった?」

「えっ? 理子? うわっ~久しぶり、どうしたの?」


 電話の相手は幼なじみの理子こと、理佳子からだった。幼稚園から高校、就職した銀行まで一緒で一種の腐れ縁的な間柄だった。彼女は同じ銀行仲間と結婚し、遠くの街へ転勤していったはずだったのだが……。


 何でも実家に帰った時、私の電話番号を地元の友人に聞いていたらしい。何と、近くに住んでいるらしい。それで私に会いたいらしく、電話をしてきたのだった。私も嫌いな相手じゃなかったので、昼食を近所のファミレスで一緒に採る事にした。


 11時半に待ち合わせの店に着くと雨がパラパラと降り始めていた。理子は席に着いて私を待っていてくれた。


「理子~久しぶり~」

「りん、元気だった?~」


 久々の再会。昔話に花が咲き、時間がアッと云う間に経ってしまう。遠くの街へ転勤していたはずなのに、理子が此処にいる訳はすぐに解った。


 どうやら理子の母親の具合が悪くなって、手術をしたらしい。中々良い病院が無く紹介状を書いてもらい、この街の病院へ来たらしい。手術の結果は回復に向かっていっているみたいだ。しかし、癌という病魔な為に心配して側にいるそうだ。理子の心配の話しと、旦那の愚痴を散々聞かされ、フッと時計を見るともう午後三時を回っていた。


「理子、時間いいの?」

「えっ? あっ、もうこんな時間。私、病院へ戻らないと。ゴメンね、りん。何か、愚痴ばっか聞かせちゃったね」

「ううん、そんな事ないよ。理子も大変だね……又、何か有ったら、電話してね。理子も気分転換しないとね。愚痴ぐらい幾らでも聞くよ」

「ありがとう、りん」


 そうこうして会計を済ませ、私達は店を出ようとしてドアに手を掛けた。


【ゴロゴロー・ドッカーン】


 途端に、ドアの外に轟音が響く。夏のこの時期、夕立は珍しくないが今朝は雷注意報が発令されている。音が近くでしたと思ったら、黒雲が辺りの空を真っ黒に染め始めた。やがて、数十秒の後、雷と共に大粒の雨が激しく降り始めた。“ザッー” と言う滝の音に酷似している。


 店から出ようとしたがこの中、今外に出るのは無謀だ。店のドアを閉め、小雨になるまで待つ事にした。理子は病院へ帰りたがっているが、今は無理だ。出れば行者の滝修行を疑似体験してしまう。嫌だ、嫌だ。そこまで急ぐ必要は無い。それは理子とて同じだろう。


 店のソファに再び座り、窓の外を二人で眺めている。


「凄いわねぇ~止むかしら?」

「大丈夫よ。二~三十分で小降りになるわよ。小降りになれば、私が車で理子を病院まで送ってあげるから、此処で雨宿りをしましょう?」

「そうね、仕方ないわね……」


 そして、もう一度コーヒーをオーダーし、再び話し始めた。


 二十分ぐらい話をしてフッと窓の外を見ると、雨は止んでいた。黒雲は流れ、グレーの雨雲の間から青空が垣間見える。その雲の切れ目から光が地上へ御来光の様に差している。普段では当たり前の光景だが、雨を止むのを待ち望んでいる時には、この雲の切れ目から出る光が何とも感動的に見えてしまうから不思議だ。


 アッ~綺麗。口には出ないがそう思ってしまう。そんな光景に見とれながら、側の理子を横目で見ると早く病院へ帰りたい心境が私に伝わってくる。本当は暫くその荘厳な光景を暫く眺めていたかったが、理子はそんな心境では無いのが解ったので、理子へ声を掛けた。


「あっ、雨・止んだわ」

「じゃあ、りん。悪いけど病院までお願い」

「いいわよ、じゃあ、出ましょう」


 こうして、級友・理子との再会を終えて、理子を病院まで送って行き、家路に着いた。








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