第12話 ページ36 傘の思い出

「雨が降ってる。みーちゃん、ちょっと、美咲~早く学校の用意しないと~皆に置いて行かれるわよー……」


 私「宮沢可鈴みやざわかりん」三十六歳。昌人と結婚してすぐに娘が生まれた。長女の名は「美咲みさき」今年から小学校に入学したばかりのピッカピッカの一年生だ。


 美咲は、本当に私達夫婦に良く似ている。顔立ちもそうだが、性格が似ている。主人の昌人に似て、努力家で頑張り屋な面も有れば、私に似て向こう気が強く、少々ドジな所が親から見て面白いくらいに似ているのだ。

 

 今朝も朝からバタバタしている。事前に学校の用意もしていないので集合時間に間に合うかどうかも解らない。毎日の事ながら、情けない。


 やっとの事で用意を済まし、娘を玄関から送り出した。


「はい、傘。学校、頑張ってネ。気を付けてね」

「ハーイ、行ってきま~す」


 娘は傘を広げ、手を振りながらピカピカの重たいランドセルを背負い歩き出した。

 しかし、後ろを見ながら手を振って歩いていた為、数歩歩くと後ろ向きに転んでしまった。何処かで見た思いがする。私ゆずりのお約束か?


「アイタタタ……アッ、傘・壊れちゃったヨ……」


 何と云う事か、私の目前で娘が転んでしまった。私は雨の中、傘も差さずに娘の側に駆け寄った。


「大丈夫? どこか痛くない?」

「うん、大丈夫……でも、お母さん傘、壊れちゃった……ゴメンナサイ」

「ううん、いいのよ。ケガが無くて本当に良かった。お母さん、本当にビックリしちゃった。気を付けなきゃダメよ……」

「でも、どうしよう?」

「大丈夫。傘なら、多分他にも有ると思うから……家に一旦帰りましょ」

「うん……」


 こうして私達親子は又再び家に戻って来た。転んだ拍子に傘の骨が折れ曲がって破れてしまっている。タオルで濡れた体を拭きながら、私は予備の傘を捜した。


「アレッ、おかしいなぁ~確か、まだ子供用の予備が有ったと思ったのに? どこへ置いたかなぁ~?」


 探せど探せど、一向に見つからないでいる。早くしないと学校が始まってしまう。


 私はあせった。どこだ、どこだ? どこに置いた? 残念、分からない。


「仕方が無い……みーちゃん。お母さんの傘か、お父さんの黒い傘、どっちがいい?」

「エエッー黒い傘、何か変だから、お母さんの水色の傘がいいな~」

「じゃあ、今日だけ特別よ。お母さんの傘、貸してあげる」

「本当? お母さん?」

「でも、今日だけよ」

「やったー! 美咲、お母さんの傘で学校に行けるんだー」

「そんなに嬉しいの?」

「うん、だってお母さんの傘、とっても綺麗だもん」

「ウフフ……じゃあ、学校行こうか?」

「うん」


 再び娘を学校に送り出した。一応、娘と一緒に集合場所へ行ってみるが、遅れた為か誰も居ない。娘一人で行かせる訳にはいかない。まだ、横断歩道もうまく渡れないのだ。仕方が無い。私が送ってやらないと……。


「みーちゃん、今日は、お母さんと一緒に学校に行こうか?」

「エエッーいいの? お母さん?」

「いいよ、だってお母さん仕事してないから……みーちゃん一人で学校に行くの寂しいでしょ?」

「やったー美咲、嬉しーい」


 こうして私達親子は、朝のトラブルで一緒に学校に行く事となった。


 傘を差し、並んで歩く。車に気を付けながら色んな話をして歩く。


 ふと、並んで歩いているとどこかで同じ情景だった様な、不思議な気持ちに包まれた。


「アレレッ……? 確か、何処かで?……」


 思い出した。今から三十一年前の事。幼稚園時代の事だ。あの時の記憶がデジャブーとなって蘇ったのだ。


 確か祖父が私の傘を壊し、泣きながら母に連れられ、大人用の黒い傘を差して幼稚園に行った記憶がある。そうだ、思い出した。あの時の記憶だ。


「フフフッ……そう云えば、そんな事も有ったわネ~。懐かしいわ、あの時、私は泣いていたけど、今、娘は喜んでいる……」


 私は歩きながら回想していた。当時の事を振り返ると可笑しくなってしまう。


「ねぇ、お母さん。何かいい事有ったの? すっごく楽しそうだよ」

「うん、後で……学校が終わって家に帰ってきたら教えてあげる」

「ねえ、お母さん。このお母さんの傘すごく綺麗だね。どこで買ったの? 美咲も同じのが欲しいなぁ~」

「お父さんに買ってもらったの。でも、もう同じのは売って無いと思うよ」

「ふ~ん」

 

 娘が言っている私の傘。薄い水色で水仙の花の刺繍が入っている。私もこの傘は好きだ。八年前に主人に買ってもらった。娘が差している水色の傘を、改めて上から見下ろしてみる。 うん、いい傘だ。


 そうしている内に私達親子は学校の校門に着いた。どうやら間に合ったようだ。遅刻しなくて良かった。娘は手を振りながら校舎の中へと消えていく。私は娘が見えなくなると、学校に背を向けて家を目指しゆっくりと歩きだした。







 一人雨の中を歩いていると、昔の記憶が蘇る。さっき娘が差していた青い傘。八年前の記憶が……。


 当時二十八歳だった私。昌人と付き合う様になってから、早二年経とうとしていた。将太の事をやっと吹っ切れる様になり、昌人との交際によって私は、本来の自分を取り戻す事が出来た。

 

 九月のある日。その日は昌人とのデートの日だった。何故かその日も朝から雨が降っていた。


「あ~あ、又・雨か? 折角なんだから晴れてくれればいいのになぁ~」


 傘を差し昌人を待っていた。数分後に昌人はやってきた。


「遅れちゃってごめん。待った?」

「もう、雨なんだから早く来てよネ」

「ごめん、ごめん。その代わり何でもおごっちゃうからさぁ。許して?」


 本当は怒る訳がない。少し拗ねてみせただけだ。昌人の顔を見るとにやけてしまう。 


「うそ。ホンとは全然怒ってないよ」 

「あ~あ良かった。じゃあ行こうか」


 そして私達は、映画を観に歩き出した。傘を差し、並んで話しながら歩いていると、突然私は前のめりに転んでしまった。


「キャァー……」


 何が何だか解らない。倒れた私に昌人が駆け寄って来た。


「りん、大丈夫か? あれっ? 靴は?」


 昌人に抱き起こされ足元を見る。無い。靴が無い。私のハイヒールが。一体どこへ行った?


 よく見ると、私のハイヒールは遥か後ろにあった。よく見るとカカトが折れている。更に地面を良く見ると、折れたカカトが道路の鉄のスノコに刺さっている。


「なんだ、そうだったのか?」


 私達二人は顔を見合わせ納得した。しかし、ハイヒールは折れ、服は濡れ傘は曲がっている。これではデートどころでは無い。急に落ち込んできた。なんだか非常に情けない……何やってんだろ? 私って……。


「りん、元気出せよ?」

「元気? 出ないよ~このままじゃ……」

「大丈夫、服と靴と傘は俺が全部買ってやるよ。服が濡れてちゃ、気持ち悪いだろ?」

「ホント?」

「ああ、今日は何でもおごってやる。ってさっき言ったろ? 任せろ」

「ありがとう~♡」


 やったね。テンションが急に上がってくる。こんな時は、甘えてしまおう。こうして私達は、先ず買い物に行った。デートの予定は大幅に変更されたが、私はうれしかった。


 服と靴と前から欲しかった青い傘を昌人に買ってもらい、私はルンルン気分に蘇った。そして、映画を観て食事をしていると、アッという間に夜が来た。別れの時間がやって来た。別れが惜しい。もっと傍に居たいのに……。


 昌人は明日出張が有る為、このまま出張先へ行くと言う。私も明日仕事があるので、ここで別れなければ成らない。昌人を送りに市の駅に歩いて行った。駅前の公園を通って行くと不意に昌人が立ち止まる。


「どうしたの?」

「………」 返事が無い。どうした?

「早く行かないと乗り遅れちゃうよ?どうしたの?」


 傘越しに何かを思いつめた表情が見える。昌人はポケットの中に手を入れ何かを探している。取り出した物は、小さい箱だ。昌人はその箱を私に差し出した。


「りん、これ…」

「何?」 これって? もしや……。

「開けてみて……」


 昌人の指示通りその箱を開けた。中には指輪が入っている。青く眩しい光を放ちながら、【早く指にはめてくれ】と指輪がささやいている様に見える。


「りん、俺、お前の事が好きだ。俺と、結婚してくれ……」

「はい、お願いします」


 昌人はその箱から指輪を抜き取ると、私にそっとその指輪をはめた。

 とっさの事で、私はそう言うしかなかった。いや私は必然的に待ち望んでいた。昌人は私に近寄ると、私にキスをした。甘く切なく、しょっぱい味がした。いつの間にか、私はうれし涙を流していた。だから涙の味がしたのだ。私は昌人に買ってもらった傘を落とさない様に深く差し、人目を隠くす様にキスをしたのだった。


 だから、あの青い傘は私の宝物。主人から買ってもらって、プロポーズされた時の大事な傘。


 ふっと、昔の記憶が蘇ると懐かしくうれしく、可笑しいものだ。私は一人ニヤニヤしながら家路に着いた。右手の薬指には、今もあの指輪が青く光っている。


 やはり、雨は好きだ。 ヤッホー ♡♡






 

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