第8話 ページ18 悲しみの雨

「雨が降ってるのに、どうして?……」


 私は「朝倉可鈴あさくらかりん」十八歳の高校三年生だ。


 午後九時。私は電話で友達の小百合さゆりから、彼「将太しょうた」の訃報の知らせを聞いた。突然の事で、何が何だか解らないでいた。電話の向こうで小百合の声が泣いているのが解る。電話を持つ手の力が急に抜けて、受話器を落としてしまった。足元では受話器からの小百合の声が、遥か遠く呟いている。受話器を拾うまでもなく、ただ呆然と立ち尽くし、先程小百合から聞いた『将太の突然の死』という言葉が私の頭の中を、グルグルと駆け巡っていた。急激に体が震えて来た。立っているのも辛い。腰が抜けるように、膝が落ちた。息をするのも忘れた様に、目の前が暗くなる。


 不意に“ピンポーン” とチャイムの音が鳴った。同時に玄関のドアが開く。来客だ。同じクラスの賢治だ。将太の友人でもある。その賢治が、わざわざ私に知らせに来てくれたのだ。


「りん、将太が……外にタクシーを待たせているから、早く……」

「………」


 一体何が如何なっているのか? 訳が分からない。無言のまま家を出た。背中越しに母親の声がしたようだった。追いかけて来る母親に、賢治が泣き顔で説明している。


 タクシーに乗り込むと、賢治が後から入ってきた。


「中沢病院までお願いします」


 賢治がそう言うと、タクシーが静かに走り出した。


 私は信じられ無い。将太が亡くなったなんて……だって二日前の夜、夏祭りに連れだって行ったのに……。








 ——二日前の事がまだ記憶に新しい——。


 夏祭りに浴衣を着てデートに行ったのだ。


 自宅の近くの駅から電車に乗って五駅目で降りると、目の前に海がひらけている。その浜辺で夏祭りと云うか、花火大会があるのだ。浜辺から沖へ三百m程の所へ小さな島が在り、そこから夏の夜空へ向かって花火が打ち上げられる。浜辺から観ると、夜空の花火が海に反射して、観るもの全て幽玄の世界に誘われる気がする。町の規模は小さいが、この花火大会だけは結構有名で、遠くの人達もわざわざ観に来るぐらいなのだ。何も無いこんな田舎だがこの花火大会は私も大好きだ。


 電車から降りて駅の構内を歩いていると、将太が駅の出口で私を見つけてくれた。両手を大きく振っている。


「おーい、こっち、こっち。りん、お前~浴衣似合うよな~!何か、大人っていう感じが出てるよ」

「えっーそうかな? でも、嬉しいよ。そんな事、中々言ってくれないから……」


 将太からの意外な言葉に喜びと照れが交錯する。私が舞い上がっている中、遠くの空から地響きにも似た音が響き、花火が上がりだした。少し嬉し、恥ずかしい。


「将ちゃん、早く行こ。早く行かなくっちゃ、花火・終わっちゃうよ~」

「大丈夫だって、そんなに慌てると転けちゃうぞ」


 花火の音に誘われて、私は小走りに走り出した。しかし数歩小走りに行くと、普段慣れない浴衣と下駄を履いていたので何かにつまずく様に転けてしまった。お約束である。まるで、マンガだ。言われたすぐその後やってしまった。やばい、どうした?自分。しっかりしろ、自分。


「——アッ……イタイ……」

「もう何やってんだよ。りん、大丈夫か?」


 倒れた私に将太が手を差し伸べてくれた。その手にしがみついてユックリ起き上がり、下駄を履き直す。


「あれ、下駄の鼻緒が切れてる……もう、何で? こんな時に……」


 姉からのお下がりの下駄の鼻緒が切れている。これでは歩けない。こんな時は、TVではハンカチか何かの布で補修するのだが、道具もなければ、そんな知識も技能も余裕すらも持ち合わせて居なかったので、半分ヤケになっていた。


「もーう、いや——」


 そんな私に将太は心配そうに声を掛けてくれた。


「りん、俺がオンブしてやろうか?」

「いやだよ、子供じゃないし、誰かが見てるかも知れないし……」

「じゃぁ、俺の、このスニーカー履けよ。このままじゃ、動けないだろ?」

「将ちゃんはどうするの?」

「俺なら大丈夫だって。昔、小学校~中学卒業するまで空手やってたから、足の裏は結構分厚いんだぜ。空手って裸足で外走らされるからな……」

「ホント?」

「いいって、いいって。気にするな」


 将太はそう言って、私に自分のスニーカーを貸してくれた。私にはブカブカの靴。その大きくてブカブカのスニーカーはなぜか履き心地が良かった。幸いな事に此処の海岸は砂地だ。所々石は在るが、気を付ければ大丈夫だ。故に、此処は海水浴場だからだ。


「ありがとう、将ちゃん……」

「さあ、行こうか?」


 その後、私達は浜辺の土手に座り花火を楽しんだ。色とりどりに打ち上がる花火は、海面と空を艶やかに飾り観る人全てを魅了した。


 花火が終わると浜辺へ出て、色々な屋台を散策した。綿飴・カキ氷・金魚スクイ・たこ焼きと、私にとっては夏の風物詩の一つだった。両手に持ちきれない程の荷物を持ち、その時間を満喫した。



 やがて、時間が来た。別れの時間だ。渋々私達は帰る事にした。本当ならずっとこのまま側に居たい。でもそれは許されない事。私達はまだ高校生で親も心配している。家に帰らなければならない。それに親も心配している。時間よ止まれってか、無理だよね。残念。


 帰りはバスで帰る事にした。町が今回の花火大会用にバスを運営しているのだ。車で来ると駐車場があまり無い為、混雑する。その為、町が三十分おきにバスをピストン運営している。


 私達二人は、そのバスの停留所まで歩いていった。私は彼にスニーカーを返し、鼻緒の切れた下駄を返してもらった。


「将ちゃん、靴ありがと……」

「お前って、ホント危なっかしいよーホント気を付けないと駄目だぞ」


 ふいに何処かで聞いた言葉なのを思い出した気がした。誰だっけ? 前にも同じ事を誰かに言われた様な気がする? 誰だ? よく思い出せない。


「でも、停留所に着いたら、家に電話して誰か迎えに来てもらった方がいいぞ。それか俺が付いて行こうか?」

「うん、いいよ。ありがとう。お母さんに迎えに来てもらうから。ホント、今日楽しかった。又電話するネ」

「ああ、明日は俺バイト入ってるから又電話するよ。二日後はりんの誕生日だろ? プレゼント何が欲しい?」

「ありがとう、何でもいいよ」


 そうこう話をしている内に、バスが来てしまった。私は鼻緒の切れた下駄を片手で持ち、バスに乗り込んだ。窓際に座り、窓越しに蒋太に向かって手を振りつづけた。


 それが、将太を見た最後の日だった。









  病院へ向かうタクシーの中で、賢治が私に教えてくれた。


「早く……りんに知らせなきゃ、と思ったんだ」


 病院へ向かうタクシーの中で、賢治が途切れ途切れに私に内容を話してくれた。賢治は泣いていた。人懐っこい顔が、涙と鼻水でグシャグシャになってる。


「何時もアイツ、バイト先へバイクで行ってるんだけど、雨が降ってるとバイクを置いて帰るんだけど、どうしてか? 今日は、バイクで帰っちゃたんだ…… 。

 俺は “タイヤが滑るから止めて、バスで帰れ!” って言ったんだけど、将太のヤツ “どうしても寄りたい所があるからいいや” って言ってバイクに乗って行ったんだ……。

 確か、今日バイトの給料日だったんで、将太のヤツ何か買いに行こうと思ったんだろう……で、……俺が傘差して歩いてバス停まで行こうとしてたら……あの商店街の直線の……交差点で、俺が見てる前で、……ウウッ……横からきた信号無視のトラックに、跳ねられたんだ……チクショー……なんで、アイツが、なんで、こんな目に、会わなきゃならないんだ———。

 俺が、走って将太の側に行ったら……アイツ……りんの名前を呟いたんだ。

‟りん、スマナイ。誕生日プレゼントやれなくって……” って……だから、早くりんに知らせてやらなきゃって思ったんだ」


 賢治は震えていた。目の前で親友の将太の事故現場を目撃したからだ。トラックによってバイクもろとも蒋太の体は宙に舞い上がり、オモチャの様に無惨にも地面に叩きつけられた。その光景を目の当たりにすれば誰だって、ショックを受ける。その時自分もバイクに乗っていたら、もう二度と乗りたくないとさえ思うだろう。


「それで? 将ちゃんは?……」


 賢治の説明を聞いて不安になった。 将太は無事だろうか? という思いだけで胸がいっぱいになってくる。賢治に問いかける疑問詞もそれだけしか言えない。最悪の事などは思いたくないのだ。私の問いに賢治は黙っているだけだった。賢治の横顔は涙が未だに雫となって流れ落ちている。


 もしや? いいえ、それだけは絶対いや……。不意に先程の小百合からの電話を思い出した。小百合はああ言ったが、実はこれは「ドッキリ」で全員が私をビックリさせようとしているんだ・と強く念じた。


 神様。どうか、どうか、この今が、嘘の世界いえ、夢の世界にして下さい。とも思った……いや、ひたすら願っていた。


 そうする内にやがてタクシーは病院へと着いた。私は雨の中、病院内へ走り込んだ。しかしながら、蒋太の病室が解らない。何処に行けばいいの?


「何処なの?」


 キョロキョロしながら途方にくれる私に賢治が追いついた。タクシーにお金を払っていたので遅れたのだ。


「りん、西病棟三階だ。三階に行けば分かる。エレベータはこっちだ」


 賢治の案内でエレベーターのボタンを押した。エレベーターは七階で止まったままで動こうともしない。


「もう、なんで降りてこないのよー……もうー……」


 知らない内に私は走り出していた。非常階段を見つけると、三階へと続く階段を駆け上っていた。


 息が苦しい。階段を駆け上がっているからではない。勿論それもそうだが蒋太の事を思っている心配度が、病院へ着いてから加速度を上げてパンク寸前なのだ。将太に会いたい。将太に早く会いたい。その思いだけが今の私を動かしていた。


 三階へ着くと賢治が病室の方向を指さした。その方向を走っていると廊下に大勢の人がいるのが見える。人が出入りしている病室の前に行って部屋を見た。


「おそらく、この部屋だ」と思い周りの人々を見た。多くの人はただ、泣いていた。


 嘘だ、私は将太の顔を見るまで絶対に信じない。これはドッキリだ。と私はまだ認めようとはしなかった。


 深呼吸をしてドアノブをユックリと回す。【カチャ】と寂しげな音だけが部屋に響く。部屋の中を見渡すと、大勢の人がいてみんな泣いている。私はその部屋に入る事が急に怖くなった。数歩歩けば、嘘か本当か解ってしまう。この部屋の雰囲気からすれば、本当の事だろう。私が部屋の入り口で立ちつくしていると、その部屋の中で泣いている一人の男が私に気が付いた。


「りん、こっちへ来て蒋太に会ってくれ……」


 同じクラスの直樹なおきが居た。後ろから賢治も私の肩を抱きながらその部屋のベッドへと誘った。


 一歩一歩歩くたび胸が締め付けられて苦しくなる。この場から逃げ出したい様な恐怖と悲しみが、この部屋を支配している様な感じがする。数歩歩くとベッドの横へと着いた。


 純白のベッドに誰かが横たわっている。その横で中年の女性がしきりに泣き叫んでいる。恐らく将太の母親だろう。その横で将太の父親らしき男性が私に気が付くと私に向かって会釈をした。


「——息子へ…別れを告げて……やってください………」


 そう言って、ベッドに横たわっている人の枕元の白いハンカチを取った。


 横たわっている将太が見える。私の頭の中はカラッポの状態になった。自分の中の意識と思考が止まった様に、何も考えられなくなってしまった。目の前が真っ白になっている。息が出来ない。足元から震えが上がってくる。


「うそみたいだろ?……もう将太は起きてこないんだぜ……なんで?なんでだよー……どうして、アイツが……」


 直樹が呟いている。


 スヤスヤと寝息を立てて寝て居るように見えるのは、ヘルメットをかぶっていたから顔にキズ一つ無い所為なのかも知れない。


「ウソよ……ウソ……だって、将ちゃんは、二日前に会った時、元気だったし……今は、病気か、何かで……眠っているだけなんでしょ?……そうよね?……直樹?」

「りん、将太はもう……」

「違うよ…違う、違う……将ちゃんは………」

「りん……」


 私は将太の側に行き、横たわっている将太の身体を揺らしながら話し掛けてみた。


「将ちゃん……そろそろ起きないと?……みんなが心配しているじゃない。ねぇ? 将ちゃんってば………」

「りん…りん……」


 直樹が私の両肩を掴んだ。


「離して、直樹……」


 両肩を掴まれて身動きが出来なくなり、直樹の両手を振り解こうと、直樹の顔を見た。翔太の親友のツッパリ系の直樹の顔から涙が流れている。鼻水も出ていて、顔がクシャククシャだ。その顔で尚も私に話し掛けてくる。


「りん、辛いだろうが……将太はもう……もう二度と起き上がってこないんだ。

りん……解っている。みんな、信じたく無いんだ。でも……これが現実なんだ。悲しいけど受け入れるしか無いんだ……チクショー……」

「ウソよ、ウソよ……」


 直樹の態度に、もう一度ベッド横たわっている蒋太を見た。将太は眠った様に動かない。将太の顔を撫でてみた。冷たい……。


 血が通わないのは、こんなに冷たくなってしまうのだろうか?

 そんな思いが頭を過ぎると、私は堪らず叫んでいた。


「いやぁ———————‼」


 横たわったまま決して起きてこようとはせず、ロウ人形の様に冷たく横たわった蒋太に抱きついて泣き叫んでいた。病気なら事前にある程度の心構えが出来る。しかし、事故死という突発的な死は、回りの人間を悲しみのどん底に叩き落すのだ。その私の声は、蒋太のいる病室内はおろか、廊下病院中に響き渡る程の大きさだった。涙は止まる事を知らない。体中の水分と彼との思い出と悲しみが、涙という雫となって一緒に溢れ出してくる様だった。嗚咽と共に体中の力が抜けていく。


 私の悲しみに合わせる様に、病院の外の雨は止む気配も無く、激しさを増した様に一層激しく降り続いていた。


 まるで台風の様に、ゴオッーという音と共に荒れ狂っていた八月十五日。終戦記念日と同じ日だった。


 そして翌日は私にとって、初めての辛く悲しいだけの涙に濡れた誕生日だった。







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