第3話 ページ12 祖父との別れ 

「雨が、降っとる……。こんな日に雨が降っとるなんて……空も泣いているんじゃろうか?」


 私の名は「朝倉可鈴あさくらかりん」十二才。小学校六年生の女の子だ。


 今、私は葬儀場の外に居た。火葬場の煙突からは、白い煙が立ち上がっている。その煙に向かって手を振っていた。



 大好きな祖父が突然、亡くなってしまった。


 近所でも頑固者で有名で、時々父や母を困らせていた祖父。私が父や母に何かで怒られていても、いつも私の事をかばってくれた祖父。私には、なぜかいつも優しくて、色んな昔の事を教えてくれた祖父。頑固ジジイと言う言葉がよく似合っていたが、暖かい雰囲気をいつも持っていた祖父だ……。





 あれは、十日前の朝の事だ——。


「ゴホン、ゴホ……ゲホ、ゲホ……」

「大丈夫か、親父?」

「ああ、今日は、調子が悪いんじゃ……。スマンが弘、病院へ連れてってくれんか? ゲッホン、ゲホ、ゲホ……」

「ああ、ええよ。熱は無いんか?」

「ああ、少し有るかもしれんな。体が、だるいんじゃよ……」

「ああ、すぐに行こう」


 祖父が朝、何時まで経っても起きて来ないことに心配した父が、祖父の部屋に様子を見に行って暫くして祖父と一緒に居間に出てきた。祖父の顔色が悪い。持病の咳が止まらないようだ。


「爺ちゃん、大丈夫か?」

「ああ、りんか、病院で注射一本打ってもらったら、大丈夫じゃろ。そんなに心配せんで、ええけんだいじょうじゃ……」

「じゃぁ、そろそろ行くか?」

「ああ、スマン……弘」


 祖父は、父の肩を借りながら玄関に向かって行った。




 ——それが、祖父の最後の姿だった。


 私の目の前には、冷たくなって二度と動かない祖父の遺体が横たわっている。もう二度と私の頭を優しくなでてくれる事はない……。


 高齢による肺炎。体力も、もはや無かったのだろう……。私は、事実を聞いてもただ泣くしかなかった。身内が亡くなってしまうのは、こんなに切ないものなのか? 

 涙が止まらない。身近での死別は初めての事だから、苦しくて堪らない。


「爺ちゃん……」


 動かなくなった、祖父に掛ける言葉が見つからない。顔を覆っている白い布をはぐってみた。穏やかに眠っているみたいに見える。


 そっと祖父の頭をなでてみた。冷たい……。もう二度と祖父は動かないのだ。つい数日前までは座って話も出来たのに……。もう少し祖父を気遣って入れば良かった。


 後の祭り。何も出来なかった。私は、祖父の体調不良さえも当時は気づいてあげる事はできなかったのだ。もっと肩を揉んであげたり、優しい声を掛けてあげれば良かった。ゴメンナサイ、じいちゃん……。


 祖父の枕元に置いて有る「おりん」を二回鳴らし両手を合わせた。線香の香りが部屋を包む。祖父の魂を、あの世に連れていってくれるのだろうか。


 やがて、通夜も終わり葬儀が始まって、祖父を知る多くの方が集まってくれた。


 霊柩車に担ぎこまれ、祖父の遺体は悲しい霊柩車のクラクションと共に、火葬場へと送られた。


 私達はマイクロバスに乗って、同じく火葬場へと向かった。


 火葬場に着くとマイクロバスから降り、傘を差して焼却場へと歩いて行った。一緒に乗り合わせていた他の大人達は、サッサと火葬場の中に入って行く。焼却炉の前でもう一回、遺体の前で、お寺の住職によってお経を唱えてもらった。


 あたりから、泣き声と鼻水をすする音が聞こえてくる。当然、私も泣いている。


 お経が終わると、遺体の入った御棺が焼却炉の中に入れられ、戸が閉まった。


「どうか親族の方、点火のスイッチを押して下さい」


 係の人がこちらを見ながら申し訳なさそうに言った。


「俺が、押す……。俺の手で、オヤジを見送ってやらないといけん……」


 私の父が前に出た。顔は泣き顔だ。手に持っているハンカチが涙で濡れてグシャグシャになっている。右手を上げて、スイッチを押そうとするが出来ない。


「あなた……」


 母がそんな父を見かねて側に寄った。


「大丈夫だ、裕子……。大丈夫じゃけん……。オヤジ、今までありがとうな……」


 父は、覚悟を決めて点火のスイッチを押した。


”グオッー” と云う、ボイラーが吠えた様な気がした。焼却炉の中では紅蓮の炎が渦巻いているのだろう。祖父は荼毘だびされるのだ。


「——オヤジ……」

「——じいちゃん――」


 父は、泣き崩れ、私は、思わず呟いていた。周りの人達からも泣き声や、鼻をすする音が増していた。


 やがて、係の人が解散する様に言った。


「骨上げまで二時間掛かりますので、別館で精進料理を召し上がって下さい」


 係の人の言葉で、各々が移動を始めた。


 私は葬儀場の別館への移動の途中、無性に外に出たくなった。焼却場の煙突が気になってしまったのだ。


「じいちゃん……」


 一人外に出て私は、ふと傘を横にして空を仰いで見た。


「雨だ……。爺ちゃんが亡くなってしまったけん、空も悲しんでいるんじゃうか……」


 私は暫くそのままでいる事にした。


 五月の雨は何故か心地よく、悲しみを包み込んでくれるみたいに感じてしまう。涙と雨が私の頬を伝う。空を仰いで頭から雨を受け全身に浴びた。




 数分後、姉が私を捜しにやって来た。


「ちょっと、りん。何してんの? みんな、アンタの事捜しとったのに。もうバカな事やっとらんで、風邪引いても知らないわよ。早く中に入りなさい……」


 私は姉の後を追いかけず、まだ暫くその場所へ居た。


 やがて焼却場の煙突から、煙が立ち上ってきた。祖父の体が燃え、魂が天に帰って行くのだろう。私はその煙に向かって手を振った。


「爺ちゃん、さようなら……。今までありがとう……」


 私は冷たい雨に抱かれ、天に昇る煙を見続けていた。雨は降り続き、私の悲しみを包んでいる。


 爺ちゃん……。今まで、アリガトウ……。


 シトシトと優しく雨は降り続いていた。






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