第5話

 せとかに教えてもらったサイト。

 冒頭には、ただ一枚の写真。白い。

 それでも、これはモノクロ写真ではないのだ。

 ただ白い世界。病室と違っているのは、その人自体も白いこと。白い髪、白い服。全て文字通り。そうして、次のような文章がある。


 今日は、この娘のお誕生日。それとも、永遠のような片想いの日々が報われた? 満面の笑みというのとは、また違う。至上の喜び。とにもかくにも、美しいお顔。こちらも美しさをおすそわけされた気分。綺麗の表情には、きっと恐ろしいほどの哀しみが潜んでいる。だって、本来、喜ばしいことと哀しいことは、同じところにあるものだから。真白な髪の毛に、深紅の花を咲かせている。ああ、とても、綺麗だよ。私でなくとも、皆、そう声をかけるだろう。だって、とても美しい少女だもの。


 胸を掻き毟られる。そんな気分がする。日本全国で、いや、もしくは世界中で脚光を浴びている少女。あの娘は、すぐ隣に存在しているのでなかろうか。あの娘は小学校へと通う道すがら。私も学校へと通う道すがら。確かに、同じ空間に居た。顔をよく見たことはない。それでも、同じ匂いがした。薫る。その人の雰囲気とは、薫るものなのだ。


 *


 少女、化野千夜あだしのちやは舞う。

 薄墨色の髪をなびかせて、仄暗い空へ飛び込む。川を挟み、満開の桜並木に紛れる少年が口元に手をやる。

「はねろ、人形」

 合図を受け取り、直近の電線を力強く踏み込み、蹴り出す。沈み込む反動を利用し、再び空へ近づく。踏切の警告音に、きつく口元を結ぶ。右腕全体で、押す。

 仕事をこなし、自身も踏切を飛び越え、数秒。振り返り、電車が通り過ぎるのを待つ。警告音が途切れ、代わりに予想されたものは、とめどない泣き声であった。転ばされた拍子に、掌を傷つけたのだろう。頬紅みたいだと、千夜は思う。道に這いつくばったままで、その小さな子は拭いきれやしないものと闘っていた。

 先刻から千夜の脚が震えている。確かに、千夜自身、承知している。成果を確認して初めて、地面に引き寄せられるようにして倒れる。腕の力だけで、重い脚を上体まで引き付け、太ももまでかかる靴下を引きずり下ろす。右をくるぶしまで持っていったところで、影がさす。

「酷いな、脚が真っ赤だ」

「感想はいいですから、海成かいせい氏、手伝って下さいな」

 それだけ言い切り、気を失う。少年はしゃがみ、左側の太ももに触れる。これは、良いことを思いついたと、場違いな笑みを浮かべる。その後、表皮のまとわりつく布地を足首まで下ろす。革靴の紐をほどき、靴下を脱がせると、血まみれのそれをポケットにしまう。一度、おんぶをしようとして、千夜が失神していることを思い出す。結局、身体の前方で抱え上げる。向こうで、泣いている子を確認する。目を細め、背を向けた。


 少年、栗林くりばやし海成は目敏い。

「千夜ちゃんって、かぼちゃパンツなんだ」

 ベッドに横たわっていた千夜が、ものすごい勢いで顔を向ける。

「これは、小雪こゆき姫の趣味です。ペパーミントのマントに、純白のズロース、カラフルボーダーのオーバーニーハイソックス。これらは、全て、小雪姫の趣味です」

 念押しする千夜に、思わずふきだす。目尻を拭い、壁にかけてある千夜の制服を拳で指し示す。

「そうだな。こんなおじさんセンスのスリーピースを愛用している子が、かぼちゃパンツなんて履かないよな」

「おじさんではありません。それを言うのなら、高校の制服に採用した人物のセンスを疑うべきです」

 千夜の顔は、真っ赤だ。そのまま眺めていると、時たま、千夜の表情が苦痛にゆがむことに気づく。

「あの子供」

 千夜が、はっとして盗み見る。

「お前がマンションの屋上から飛び降りて、背後から張り倒したあの子供。あいつは、せいぜい掌と膝をすりむいただけだ。そもそも、あいつは自分から死のうとしていたんだろう。それなのに、半ズボン履いたガキが、女子高校生の生足をズタボロにしやがって。生意気だ」

 千夜は、静かに首を振る。

「大変なことだよ。半ズボン履いた子供が、自分からそういう道を選んだのは」

 反論されて、奥歯をかみしめる。窓枠に手を置き、息を吐く。

「小雪姫が言っていた。着用すると知人にしか存在が認知できないマント。緑色がお前によく似合うから、今度は変な加工なしで、普通のスプリングコートを仕立てておくよと」

「左様ですか。それは、大変ありがたいことです。脚が回復したら、是非、お訪ねしましょう」

 千夜は、笑顔を見せた。

「そんな悠長なことを言う。すでに桜は満開だ。春なんてあっという間に過ぎ去ってしまう。今すぐにでも受け取りに行かないと小雪姫の機嫌を損ねてしまう」

「そんないじわるをおっしゃらないで下さい。見ての通り、私は脚を痛めていますもの。とても歩かれません。ですから、海成氏、心優しき小雪姫によろしくお伝え下さい」

 首肯した。


 姫なのに、みつあみ。少年は、笑った。

「何かおもしろいことでもあった?」

 笑われた張本人が、静かに尋ねる。少年は、窓枠に座り直す。広いへやには、ふたりきりだ。

「栗ちゃんは、窓が好きよね。前に、何かあったのかしら」

 いじわるく微笑む。少年は、意に介さない。壁一面に、棚が配置されている。どこも、布やリボン、ボタンなどが詰まっている。

「面倒な女子とばかり相対しているからね。外の空気を吸いながらでないと、気が滅入る」

「好きでそうしているくせに」

 間髪入れず、返される。視線を上げ、ポケットを探る。

「写真?」

 指を鳴らす。床に座る姫。テーブルに目を遣ると、写真がある。

「手品、上手ね」

 手に持ち、覗く。そう、この写真は「覗く」という表現が適している。

「ねえ、どちらだと思う」

 トーンを低くして、問う。窓枠からずり落ちる。予想外の返答だった。姫は、笑った。

「懐かしい。白は、あの人の好きな色なの」

 見る見るうちに、頬に紅が差す。写真の中、眠る女の子。白い肌、白い服、白い髪。紅。紅い華は、血だ。

「この娘は、何」「解らない」風が冷たい。冷や汗。

「千夜ちゃんとこの娘は似ている」酔っている風の姫に、毅然と返す。

「人形は」「ほら」視線で、こちらの動きを縫い止める。

「好きな女の子をそんな風に呼ぶのはおかしい。窓枠は写真の枠。人形のような女の子。人形みたいに黙って働く千夜ちゃん」

 姫は、立ち上がる。振袖をひるがえし、近寄る。

「あなたたちは、何をしたの」

 写真を奪う。そのまま、窓から飛び出る。


 *


「何を呼んでいるの」「うわ」

 教室で悲鳴を上げる。

 当然、せとかからは嫌そうな顔をされることになる。

「突然、声をかけるからだ。作中の台詞と現実世界の台詞が一致してだな」

「自分の世界に入り込みすぎでしょう。自分の部屋でもないくせに」

 確かに、一理ある。視線をそらし、頭をかく。

「でもな、これ、春太郎さん家の本だぞ」「春太郎文庫か」

 首を傾げる。せとかが本を取り上げ、表紙を開いて見せる。

 指先には、ピンクのインクで押された絵がある。おそらく、消しゴムか何かで作ったものだろう。

「浅田さんの趣味か」「何故、解った?」

 開いた口がふさがらないせとかから本を取り返す。

「春太郎さんなら、同じ桜でももう少しまともなはんこを選ぶはずだ」

「私の手づくりはんこがまともでないとでも言うつもりか」

「ええ、その通りですが、何か問題でも?」

 言われて、ひとりわなわなしている。

「もう席に着いて、次の時間の予習でもしていなさい」

「お前は、私のお母さんか」








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