第4話

「あの人とは、どこで知り合った?」

 唇に指を当て、思い出す。

「病院」

「まあ、そんなところだろうな」

「自分の考えが全て世界を支配していると思ったら大間違いだからな?」

「当然だよ。そんなこと、考えたこともない」

 肩をすくめて、首を振る。

「事の経緯を説明するとだな、春太郎さんが肺炎で、私が風邪であったということだ」

「この場合、病名が重要だとは思えない。もう少し詳しく説明してくれないか」

 せとかがうんざりした顔をする。先手を打つ。自販機で飲み物を二つ買う。せとかの表情がぱあっと明るくなる。公園を目指して、スキップする。

「高校生にもなって、恥ずかしい子」

 顔を赤らめる。

 公園に着く。お気に入りのベンチがあるらしく、その場所を確保できたことに大層ご満悦である。なんというか、本当に簡単な子である。プルタブを起こし、乾杯。一口飲み、語り始めた。

 まず、第一に春太郎氏はとんでもない出不精であるらしい。

 まあ、解らなくはない。春太郎氏は本の虫だから、きっと義足は持っていない。となると、現実的には車椅子で移動することになるはずだ。健常者から見ても、それは面倒だ。それに、今の世の中だ。あらゆるサービスを駆使すれば、十分、家の中だけで生活は成り立ってしまう。

 食事がその最たる例だったらしい。春太郎氏は一日三食を配達してもらっている。配達先が高齢者の場合、安否確認の意味もあって手渡しをすることにこだわっている業者は多い。春太郎氏の場合も、そうだった。結果として、肺炎になっていたところを発見される。病院まで運んでもらい、そのまま入院となった。

 一方、仙台の高校に進学したばかりのせとかは、新生活の疲れがあって体調を崩していた。どうにか病院までやってきて、風邪と診断される。脱水症状の心配があったので、点滴を打たれることになる。処置室では騒がしくて安静にできないため、空き病室まで行く。点滴が終わり、受付まで戻ろうとする。

 しかし、熱があることに加えて、初めて訪れた病院だ。しばらく廊下をうろうろしていると、病室からひどい咳の音が聞こえてくる。春太郎氏だった。

「そこで、春太郎さんは私の顔を見るなり言った。待合室から本を持ってきてくれないかとね」

 勝ち誇るせとか。

「意味が解らないよ」

「なんだと?」

 せとかが憤慨する。

「肺炎で入院しているのに、本が読みたいってどんだけ本好きなんだよ」

「それが、春太郎さん」

「ああ」

 そう言えば、あの人は以前、家が潰れて脚を失ったのだったっけ。あれだけの蔵書だ。家にひずみが生じたのは、本のせいもあるかもしれない。それでも、あの人はいまだに本と共に居る。

「それで、世話をするようになったと」

「うん。それとね、春太郎さん、私の名前がせとかだって知ったらすごく喜んだんだよ。好きな名前だったのかな。せっちゃんって何度も読んだよ」

 好きな名前。せとか。せっちゃん。きっとここにもヒントがあるのだろう。

「ところで、柳原君」

「何か用事でも? 浅田さん」

 せとかが自分の持っているスクールバッグをぽんと叩く。

「勉強、教えて」

 可愛らしく言う。目をそらす。単純に、面倒だった。

「あのなあ、今日、君を連れて行ったから、私は春太郎さんという偉大な先生を失ったのだ。だから、私は春太郎さんが言っていたように、今日の指導を君に依頼するよ」

 半分、涙目であった。

「塾は」

「君は、ブルジョワジーか。わざわざ下宿までして私立高校に通わせてもらっているのに、その上、塾なんて! 何のために、高い学費を払っているのかという話だよ」

 溜息を吐く。

「解った。図書館に行こう」

 せとかが、首を捻る。

「そう言えば、仙台駅の近くの図書館にしか行ったことがない。私が仙台に引っ越してきたばかりで、まだ春太郎さんと出会う前だな」

「それは、仙台に住む者として、損しているよ。とにかくここからなら、榴岡図書館より市民図書館のほうが近いから」

 立ち上がったせとかが、ぐるぐるあたりを見回す。勾当台公園は、四つ辻の角にある。どちらから出るべきなのか、思案しているのだろう。どうやら、本当に市民図書館に行ったことがないらしい。

「定禅寺通」

 ヒントを与えられたはずのせとかが、「うっ」と小さな声を漏らす。身体を大きく揺らす。果たして、定禅寺通とはどちらの道を指すのか。真剣に考えている。

「それって、県庁と市役所があるほう?」

「違う」

 不安を覚える。仙台に暮らしていて、定禅寺通を知らないやつがいるのか。

「お前、春太郎さんといい勝負 じゃないか。春太郎さんには、金があるかも知れないが、ただの高校生がそれでどうやって生きてきたんだ」

 堪えきれなくなったせとかが「んーっ」と反論する。幼稚園児か。

「私は、通学路と春太郎さんの家以外には、ほとんど仙台駅周辺のお店でまかなっているんだ。だから、定禅寺通を知らなくたってこれっぽっちもおかしくなんかない! あ、でも、泉区には行ったことがある」

「泉に行く前に、定禅寺通くらい歩けよ。仙台の主要なイベントは、大抵、ここで行われているんだからな」

 泉区は、北のほうに位置している。地下鉄の終点である。一体、何をしに行ったのか。

「もう、とにかく図書館へ行こう。私の貴重な勉強時間が削られてしまう。これでは、憧れの東北大学に現役合格できやしない」

「ほほう」

 せとかがわざわざ仙台の高校に進学したわけが解った。

「なんで、トンペイなの?」

「春太郎さんをひとりにできないだろ」

 男前である。しかし、答えにはなっていない。

「なんで、トンペイなの?」しつこく聞いてみる。

「それ、何?」

 愕然とする。東北大学のことをトンペイと呼ぶのは、仙台の進学校に通う者になら、常識だ。「浅田さんは、仙台のことを知らなさすぎる」あまりのショックに俯く。

「これから、知っていけばいいさ。さあ、まずは市民図書館を知ろう」「そうだね」

 たくさんの緑が生い茂る、欅の並木道。外からか。来た人にも、ここは大層評判がいい。せとかの場合も、ご多分にもれず、「すてきだなあ」と声を漏らしている。すぐさま目的地に辿り着く。ガラス張りの建物は、デザイン性が高い。

「せんだいメディアテーク」

 建物の名前を読み上げたせとかが、ここでいいのかと目で尋ねる。頷くと、一足先に、せとかが建物の中に入る。一目散に、売店に向かう。

「勉強しに来たのだろうに」

 ここには、美術館も入っていて、その関係でアートに関連したものが売られている。好きなアーティストの画集を見つけたようだ。ページをめくり、値段を確かめ、元に戻す。

「高いよ、柳原君」「いやあ、俺に言われても」

 恨めしさを残しつつ、エレベーターに乗り込む。

「それで、浅田さんは、どこの学部志望なのかな」

「医学部か歯学部か薬学部」

 ざっくりしている。

「あ、六年制のとこか」

「そう。まあ、どこにするかは、オープンキャンパスにでも出向いて決めるよ。人生は、振り分けられるものだから、私が心配する必要はない」

 不思議な物言いに、首を傾げる。

「春太郎さん?」

「たとえば、地球が回っていることが、許せないとする」

「どうしようもないね」

 せとかが、顎を引く。

「地球の自転、公転と同じくらいのレベルでどうにもならないことは確かにある。学部の例で言えば、近年、医学部の定員を増やすために、歯学部や薬学部の定員が代わりに減らされている」

「まあ、医師不足で悩んでいるようなところでは、大抵、他の医療職の人も足りていないのだけれど。現実的には、資金やら施設やらという制約があるから仕様がない」

 せとかが、見えない何かを放る。

 サイコロの目で、進学先ひいては将来の職業をも決定する。

 何もかもが、他人まかせな訳ではない。春太郎氏は、自分の意志で本の館に住んでいる。せとかだって、望んで仙台の高校に通っている。

 静かになったせとかの様子をうかがう。ようやく課題に取り組み始めた。頬杖ついて、ポケットを探る。朝顔の手ぬぐい、

「写真? ああ、『白い少女』」

 勉強していたのではなかったのか。せとかが、呟く。

「『白い少女』って何」

「クラスの女子に教えてもらった。『White girl』。そういう名前のサイトがあるんだって。検索してみたら」

 知っている。三者三様に、『白い少女』を知っている。

 登下校の際に、すれ違う。手ぬぐいの中の写真。友人から聞いたサイト。

「偶然、なのかな」

「柳原君、人生とは振り分けられるものだよ」

 そんなことを意味深に言う。ならば、この三角形は何だ。

「いちいち相手にしたら、負けだ。まずは、進学校に通う高校生の本分に、立ち向かおうではないか」

 シャープペンシルごと指を立てるせとか。息を飲み、すぐさま、溜息を吐くを

 考えたら負けだ。







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