第3話


 けやきの並木道を抜けると、つたのはったレンガづくりの洋館に出くわす。

「見事だな」

 後ろで手を組み、こちらを覗き込む。自慢気だ。

「ここ、前は木造だったんだって。でも、ある日、家が潰れてしまった。その時の怪我が原因で今もずっとここに居るの」

 あごに手をやる。

「そんな大怪我をしてもなお離れられないものなのか」

「でも、重い木の柱に閉じ込められたのは、気にくわなかった。新しく建てた家には、一切、木材が使われなかったそうだよ」

 建物の外観から、そう短くない時間の流れを感じさせた。主人とともに老いる家。感慨にふけっていると、呼び鈴を鳴らされた。もちろん、身体の不自由な主人が出迎えるはずもない。

「入るよ」

 ドアを開け、高らかな声で宣言する。新鮮な外気に触れ、廊下のちりが光の中を舞う。嫌な感じはしない。脚に衝撃を受ける。何かと思えば、脱ぎ捨てられた革靴だった。舌打ちをしながら、二人分の靴をそろえる。しゃがみこんだまま、遠くを見る。壁沿いに並ぶ本棚。口角が上がる。

春太郎しゅんたろうさん、だよ。起きて」

 騒々しい声が聞こえる。開け放しの扉をくぐり抜ける。古い本の香り。気が遠くなる。書斎と呼ぶのは、生ぬるい。書庫だ。知れず触れた壁の背表紙は、見知らぬ言語のタイトル。その本棚の端をたどる。覗いた先には、スチールの棚が並ぶ。

「これ、人が入る隙間がないけど?」

「可動式の書架だよ。ハンドルついてるだろ」

 背後から、返事がくる。歓喜に、唇を真横に引き伸ばす。

「ここ、本当に個人の家なのか。すごすぎるよ」

 振り向いた先、この家の主人は居た。真白のシーツは、色とりどりの本に埋もれている。これでは、まるで死者にたむける花だ。

「おい、普通、先にあいさつだろ」

「ごめん」

 素直に謝る。不安に、あごを引く。目の端に、何かがひっかかる。本来、脚があるはずの場所に本がある。でも、実際には、平らなふとんの上に本が置いてあるようにしか見えない。軽く頭を振る。

「珍しいものでも見たって顔だなあ。ところで、君は誰か」

 上半身を起こし、微笑む。不思議な人だと思った。

「浅田さんと同じクラスの、柳原と申します」

 ぺこりと頭を下げる。軽薄な笑い声が聞こえてきたので、むっとする。せとかだった。

「頭下げてやがんの」

「あいさつするんだから、礼くらいするだろう」

 せとかと言い合いをしていると、今度はくつくつという笑い声がする。何がそんなにおかしいのだろうか。

「せっちゃん。悪いが、お茶をいれてきてくれないか」

「合点」

 急に真剣な顔つきになり、スリッパをぱたぱた鳴らして駆けていった。どうしたものかと、部屋を見回す。

「ここに、お座りなさい」

 主人が示した先には、せとかが座っていたであろう椅子があった。

「僕が座ってしまったら、浅田さんの席がなくなってしまいます」

「そしたら、君が立てばいいよ」

 意地悪な口ぶり。冗談か本気か解らない。思案する。やはり、見知らぬ男は好かないか。

「台所は、どこですか」

「嫌だなあ。せっちゃんのお友達にいじわるはしないよ。手伝いに行かなくたっていい。ここで、一緒にお茶が来るのを待とう」

 折り畳み式の椅子を動かす。直接、視線が噛み合わないようにした。尻に温もりを感じる。そこで、「ん?」と疑問に思った。「この椅子は、木製ではないですか」「家具は木製に限るよ、君」「はあ」一応、納得したふりをする。まあ、どうせ、せとかが言い出したことなのだろう。

「金属製だろうが、木製だろうが、壊れる時には壊れるものなのだよ」

 僕が何を考えているかは、お見通しであった。二人して、同じ方向を見ている。

「建物と本棚さえ丈夫に作っておけば、後はどうでもいい。たとえば、君が腰掛ける椅子。せっちゃんの体重ならば、支え切れるかもしれない。では、男の君ではどうだろう。急にねじが外れてしまうこともないとは断言できまい」

「台所はどちらに」

 間髪入れず訊ねる。そろそろ帰りたくなってきた。

「いやね、僕のように家の柱に脚を押し潰されてしまっては大変だろうけれど、それ以外なら大した怪我ではないだろうと言いたかったのだよ」

「腰掛けている椅子が急に崩壊したら、恐怖以外の何物でもありませんよ。背骨の中には、大切な神経がぎゅうぎゅうに詰め込まれているのですから」

「それもそうだなあ。僕は、片脚を失ってしまったけれど、実のところ、歩こうと思えば歩かれないこともないもの」

「下半身不随では、とても歩かれませんよ」

「あー」

 大声がして、振り返る。

「なんだよ、もう。二人して仲良しになっちゃってさ」

「なんだとは、こちらの台詞だ。湯呑みから溢れたお茶でお盆が大変なことになっているぞ」

 何故、茶を容器いっぱいになるまで注ぐのか。意味が解らない。そして、さきほどから湯呑みが震えていてうるさい。

「せっちゃんはお盆に物をのせて歩くのが苦手なんだよね」

「えーと、それでは、こちらでお茶を淹れれば済む話では?」

 サイドテーブルにお盆をおく。スカートのポケットからハンカチを取り出し指先を拭う。突然、肩がはねる。ターンして、ベッドの上の人物を確認する。

「春太郎さん、寒くない? ごめんね、カーディガン返すよ」

「今、気付いたんかい」

 こちらを睨みながら、上着を脱ぐ。頭を下げ、進呈する。せとかはハミングしながら、再び着用される様子を見る。

「うん、温かい。でも、そろそろ春用のものも出さないとね

「お茶、もらっていい?」

 水の滴る湯呑みを手渡すせとか。

「拭け。せめて拭け」

 なんて面倒なという顔をされる。納得いかない。こちらのいらつきが伝わったのか、同じ表情される。どういうことだ。

「そこの棚に手ぬぐいが入っているはずだよ。せっちゃん、出してあげて」

「うん、解った」

 脚の不自由な主人のためだろう。ベッドのすぐ横に、生活品専用の棚がある。せとかは、すぐに手ぬぐいの入ったかごを見つけた。

「ほお、へえ。可愛い」

 手ぬぐいにプラスのイメージを持っていなかったところに、案外、素敵な柄が目白押しで本来の目的を忘れているようだ。

「早くしろ」

「ん。じゃあ、朝顔で。何故なら、私は浅田だから」

 至極どうでもいい。せとかの手から朝顔の手ぬぐいを奪おうとする。何か包まれているようだ。これは、紙か。

「春太郎さん、これ、借りてもいいかな」

「僕だって、鬼ではない。手ぬぐいくらい貸すさ」

 不審な点は無い。下を向き、制服のポケットにしまいこむ。

「ええ、何それ?」

「うるさい」

 表情を歪める。

「そんなに気に入ったのなら、君にくれてやる」

 願ってもみないことだった。口元が緩む。

「ず、る、い。朝顔は、浅田のだよ。浅田のせとかちゃんのだよ」

 地団駄を踏む。お前は、幼稚園児か。

「そんな決まりは何処にも無い。百合でも、桜でも、他にもっと綺麗な花があるだろうに」

 かごからもう一枚手ぬぐいを出す。これは、天の川だろうか。ようやく湯呑みが綺麗になった。ようやく茶を飲み、主人の顔を窺う。頭を抱えていた。

「すまないが、今日はこれで帰ってもらえないだろうか。どうも人に酔う性質でね。せっちゃん、勉強は彼に聞くといい」

「ええ」

 素っ頓狂な声を上げる。

「洗濯は?」

「あとでいい。なんなら、僕がやる」

「だって、疲れたって」

 無言で首を振る。温厚そうな人に見えたが、頑固なのだろう。せとかは、自分のスクールバッグから本を取り出すとサイドテーブルに置いた。借りていた本だろう。

「これは、せっちゃんのために、みつくろっていた本だよ」

 ベッドの上に散らばっていた本を拾い渡す。納得はいってないようだった。しぶしぶ本を受け取る。

「じゃあ、また来るからね」

 名残惜しそうにせとかは何度も振り返った。玄関の戸を閉めたところで、呼びかける。

「浅田さん」

 せとかが思わず、後退りする。

「なんだ、急にあらたまって」

 心臓がドキドキしている様子が、手に取るように解る。何故、そこまで緊張をしているのか。







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