第2話

 目の端に、白い光を捕らえる。

 知り合いではない。通学路と通学時間が合致していた。

 奇異の目にさらされる。残酷な事象自体には慣れていても、感情までは追いつかないのだろう。

 信号まで来て振り返る。帽子を両手で握っている。小さな背中は、今にもランドセルで押し潰されそうだ。

 独りきり。音が鳴り、少女と決別する。


「君は、図書館なんかに行くの」

 放課後の教室。今までほとんど接触のなかった女子。侮蔑の言葉だと取った。

「それなら、もっといいところがある」と続いたからだ。おおよそ、書物とは関係のない騒がしいところを紹介されるのだと高を括った。

 たくさんの緑が、連なるガラスに映し出される大通り。ガラス張りの建物に入ると、透けたエレベーターに乗る。有名な建築家が手掛けた図書館だった。目の前の人物は、あの素晴らしい図書館に行ったことがないのだろう。だから、こんな妄言を吐くのだ。果たして、いやらしいのは、自分であった。そう遠くない未来に、知ることになる。

 放課後になって、地下に潜る。市内を走る地下鉄は、今のところ、南北線しか存在しない。大きな川が流れているので、自然とそれを避ける形になる。だから、目的地によっては市バスを利用するほうが断然よい。しかし、中心部を走るものならまだしも郊外となると遅延が甚だしい。それだから、地下鉄の東西線を通すことに躍起になっている。図書館に続く並木の一部も、工事の関係で切られてしまった。こうなると、何もそこまでして東西線を通す必要があるのか、バスで十分だろうと思ってしまうから不思議だ。

「バスは平日と休日とで時間が違うから面倒」とは、アンチ図書館の人物の言葉である。それなら、乗車中の地下鉄だって同じはずだ。

「ばかだなあ。ここの地下鉄は、今のところ、南北線しかないんだぜ。つまり、北に行くか南に行くかだけ注意しておけば時間通りに電車がやってくる。一本や二本、逃したところで大差ないよ」

 市バスのほうが、不確定要素が多いということだろうか。

「それに、この前仕送りされてきたばかりで一万円札しか持っていなくてね。バスに乗ってみたら一万円をくずせないじゃあないか。停留所についてしどろもどろしていたら、バスの運転手に怒られたんだ」

 要するに、この出来事がトラウマになってしまったらしい。

「ねえ、君はこの電車ががくんと折れる場所が体感できるかい?」

「解らない」

 地図上で見れば、地下鉄が急に進路を変える場所がある。そのことを言っているのだろう。こちらも解らないと返したので、なあんだとふてくされている。

「子供の頃から乗っている人ならば解ると思ったのだけれど」

「田舎から来たのか」

 仕送り、というキーワードから元からここの住民でないことはすぐに解る。

「ここらの住民は、田舎なんかよりよっぽど方言がきついのに自意識過剰だな」

「反論はしないでおくよ」

 たとえば、コンビニの件数は全国三位で、一ブロックに二つはコンビニがある。他にも、ファストフードの店はとても多いし、デパートもごろごろある。ここは「都」だという意識が高く、東京の流行をすぐには受け取らない。「都」を通りこし、さらに遠くの都市部で消化された後、ようやくそれを受け入れる。面倒なことだと思う。

「ところで、君は暑いのか寒いのか」

「ん?」と不思議な顔をされる。

「もう桜も咲いているというのに、真冬仕様のニットを着ているし、かと思えばミニスカートに生足だ」

 この街の女子高生は、総じてスカートが短い。テニスのスコート並みである。ようやく理解したのか、顔の前で手を振る。

「桜が咲いても、まかり間違えば雪が降ることだってあるだろう」

「それは、君の田舎の話だろう」

 本当に驚かれた。頭を抱え、悩んでいる。そうだ、と人差し指を立てる。

「そ、それはともかく、このカーディガンは私のものではないんだ。これから行く先の主人は、身体が不自由でね。洗濯ひとつするのも大変なんだ」

「だからと言って、せっかく洗濯したのに自分が着てしまったらまた汚れるのでは?」

 顔を 真っ赤にする。おもしろい生き物だ。

「失礼なやつだな。花の女子高生を何だと思っているんだ。これは、男性用だからね。案外、かさばるんだよ。そうでなくたって、進学校の生徒は教材が多くてかばんが重たいんだからね」

 到着駅のアナウンスが流れる。どうやら、ここで降りるらしい。背中についていく。階段の前で、首を振り何やら確認している。突然、走り出す。頭にきた。足の速さで女子が男子に勝てると思うなよ。

「おい、何、走ってんだよ。人に、ぶつかったら、危ないだろ」

「この時間、この出入り口は、人が、極端に、少ない。だから、多分、大丈夫。お前こそ、ぶつかるなよ」

 呆れるほかない。先に地上に出たのは、あいつのほうだった。分厚いニットを着ているものだから、額には汗がにじんでいる。腰に手を当て、横目でこちらを窺う。みっともないことだが、ひざに手をつき荒い息を整えていた。

「本ばかり読んでいるからだ」

「全くだ」

 自分は、足が速い。慢心していたのだ。足が速いのは、遺伝のおかげである。持久力とは、関係がない。努力しなければ、手に入らないものだってあるのだ。

「お前、まさか毎日ここを走っているんじゃあないだろうな」

 知らんぷりをされた。確定だ。駅の名前にもなっている公園の中を突っ切って行く。

「いいよね。大きな公園。都会って感じだ」

「ああ、田舎は自然だらけだから、公園なんて必要ないですよね」

 当然、にらまれる。足もとのレンガに、目を遣る。影を見ても、女の子は女の子だ。

「本当に、ついて行ってもいいのかな」

 ポニーテールを揺らし、振り向く。

「どうして」

「だって、男の人が居るんだろ。女友達なら、喜んで歓迎してくれるかもしれないけれど男はどうかな」

 たかだか数回、口を利いただけの仲だ。それも、どれも事務的連絡ばかり。それなのに、勘違いをされて怒られてしまってはなんだか割に合わない。

「そんなこと」

 笑顔を見せる。女子の笑顔を見慣れていないので、素直に解釈する。これから行く先の主人は、見知らぬ男であっても優しく出迎えてくれるに違いない。希望的観測だ。

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