第6話
待ちわびた放課後。仲の良い女子に、短い別れを告げる。向かう先は、もちろん、春太郎さん家だ。
「昨日は、誰かさんのせいで、さっさと家を追い出されてしまったからな。あ、でも、あいつもあいつで、結構、教え方うまかった」
階段を下りる。階段を上がる。入口の横に、小さな女の子がしゃがみこんでいる。
「どうしたの、 迷子? 電車に乗りたいのななら、一緒に乗ってあげるよ」
「ええと」
ははあん。せとかは、ひとり納得した。
「このお姉さんと一緒に遊びましょう」
「はい?」
自信満々な物言いに、首を傾げる。
「あ、大丈夫。お姉さんは、不審者ではないからね。ほうら、この制服。可愛いでしょう。おまけに、このセーラー服を着られる高校生は、とっても頭が良くなくてはならないの。つまりは、品行方正というやつね。あれ、なんか違う? ん?」
勝手にまくしたてて、混乱している不思議なお姉さん。いつのにまにか、声を立てて笑っていた。立ち上がると、髪の毛が随分長い。腰まである。
「綺麗な髪の毛だね」
どういう訳か、一瞬、少女は黙り込む。
「祖母が譲ってくれたの」
よくよく見れば、髪飾りと帽子は、同じ色の毛糸でできている。きっと、髪飾りと聞き間違えたのだろう。私は気にしないよ、と笑顔を見せる。それを見上げる、不思議そうな少女。
「あ、そうだ」手を叩く。「私は、せとか。浅田せとかたよ」
少女の顔が一気に、ほころぶ。
「せとか。あなた、せとかというのね。素敵だわ。せとか君と呼んでもかまわなくて?」
「ええ、よろしくてよ。小さなお姫様」
上品な、ストライプのシャツワンピース。汚れの少ない革のストラップシューズ。刺繍入りの麻の手提げ。そして、何よりも陶器じみた肌。
この娘は、病院から抜け出してきたのかもしれない。
それも、長期にわたる入院。いずれにせよ、何かしらの事情はあるらしい。小さな女の子には似つかわしくないストール、手袋、そして大きな日傘。どうも、日光が駄目らしい。
「ここじゃあ、あれだから、どこか建物に入ろうか」
「私、アエルに行きたい」
アエル。仙台駅周辺だけには詳しいせとか。ほうら、私だってたまには役に立つ。明日、柳原とかいう生意気な同級生に自慢してやろう。頬を紅潮させ、頷く。
「それじゃあ、地下鉄で行こう。仙台駅はすぐだよ」
「うん」
手をつなぎ、下りて行く。
夕暮れ時、薄暗い室内でチャイムが鳴る。
読書を中断し、ベッド脇の受話器に耳を当てる。しかし、一向に声が聞こえてこない。不思議に思い、棚に立てかけてある松葉杖に手を伸ばす。床板が、規則的に鳴る。片方の松葉杖を壁に立てかけ、ドアをスライドさせる。
「こんな時間まで、遊んできたのかい」
眼下には、玄関先でぐったりとする少女。けだるげに、声の主を見上げる。
「ええ、そうなの。あんまり楽しくて、おうちに帰りたくなくなってしまって。学校で、他の子たちが言っていたのは、こういうことだったのね」
興奮気味の孫娘に、溜息を吐く。困ったことだ。
「悪いけれど、僕は、君を抱き上げることはできない。今日は、僕のベッドで眠るといい。だから、あと少し、どうにか頑張ってくれ」
「ええ、自業自得だもの。廊下くらい、歩いてみせる」
本当に具合が悪そうだ。こんな時、手を貸してあげられないことが、歯がゆい。先にベッドまで戻り、散らばっている本を片付ける。孫娘は、どうにか布団の中に潜り込む。自分は、ベッド脇の椅子に腰かける。
「ふふ、セダカ来んの匂いがする」
「おじいさんの匂いだね」
笑顔で、こちらを見てくる。
「私、今日、せとか君に会ってきたのよ」
「ほう、せとか君。なかなか可愛らしいお嬢さんだったろう」
孫娘は、首を捻る。
「私は、可愛い、可愛いって言われたけれど」
「君は、せとか君の名前だけ気に入ったという訳だね」
「そうなの」
掛け布団から出した手を振って遊んでいる。セダカ君、せとか君。セダカ君、せとか君。何度も、繰り返し歌う。
「あ、でも、セダカ君は、せっちゃんと呼ぶのよね」
「せとか君より、せっちゃんと呼ぶほうが可愛いからね」
遠くを見遣る。と言っても、室内には本しかない。この子も、あの子くらい健康ならば、どんなに良かっただろうか。
「私、今日は、うんと熱が出るわ。ごめんなさい」
しおらしく言う。
額に手を置く。すでに、熱は出始めていた。白い肌には、無数の発疹。
「たまには、いいさ。子ども外で遊ぶものだよ」
無言で、目を細める。
「椎に似てきたものだ」
何気ない呟きに、今度は目が大きく開かれる。
「本当、嬉しいなあ」
「椎が君くらいの歳には、とてもおしゃべりだったけれど、目で話す癖があったからね」
椎は、祖母にあたる。両手を口元に持ってきて、ふふふと笑っている。
「ああ、そうだ。眠る前に、コンタクトを外しなさい」
「ああ、そうか」
起き上がり、コンタクトを外す。瞬きをして、こちらを向く。
「今日も、私の血は元気かな」
「興奮しているから、いつもより紅いみたいだ」
瞳を通して、血管の赤が見える。
「明日は、学校お休みね。連絡お願いします」
ぺこりと頭を下げる。頷き、立ち上がる。
「少し眠ってから、ごはんにしよう」
カーテンを閉めながら、話しかける。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
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