第48話 魔女の暗闇

『おのれ偽善を語る魔女め、いた風なセリフで私をまどわせるつもりか!』


 ケッ、と勇輝はのどを鳴らした。


『魔女だ聖女だとみんな好き勝手に言いやがる。

 俺は俺だ、相沢勇輝だ。

「俺」が「お前」に向かって言ってんだ。

 都合のいい単語で誤魔化すんじゃねえ!』

『うるさい!』


 ガキイッ!!


 せまりくる怒りの一撃を刀でうけ流す。

 その瞬間、不意に妙な映像が脳裏にうかび上がった。


 青い瞳をした黒髪の少女が、黒い僧服をまとった中年男性に押し倒されている。


 ――きゃっ、神父さま、な、なにをするんですか?


『な、なんだ?』


 何の脈絡みゃくらくもなく唐突にうかび上がった映像のせいで、勇輝は反撃のチャンスを無駄にした。

 そのすきにベアータが苛烈かれつな斬撃をくり出してくる。


『こんな世界にむきあう価値などあるものかッ!』


 少女の粗末な衣服が引き裂かれる。


 ――イヤ! やめて、誰か助けて!


『この世界にはくだらない人間しかいない、汚れた人間しかいない!』


 乱暴な、だが激しい気迫きはくのこもった刃に接触するたびに、パズルのピースのような記憶の断片が伝わってくる。

 その情景じょうけいが少しずつ明確になっていく。


 これはベアータの魂が発する激情の、はるかな深層に宿った記憶。

 それを勇輝ははからずも感じ取っているのだ。


 ――大人しくしろアニータ、お前を買うのにいくらかかったと思っているんだ!

 ――か、買うって、そんな、そんな……!


 少女は貧民街にある孤児院で暮らす、身寄りのない孤児であった。

 ある日裕福ゆうふくそうな神父が孤児院をおとずれて、このアニータという少女のことをいたく気に入ってくれたのだ。


 神父は少女との出会いをとても喜んでいた。


 孤児院の院長先生もとても喜んでいた。


 二人が喜んでいた本当の理由を、アニータは今になってようやく理解した。


 人身売買。


 商品は、自分。


 ――ヒイイイイイッ!


 とてつもない嫌悪感に耐えかねて暴れるアニータ。

 めちゃくちゃに振り回した手が、たまたま神父の顔を傷つけた。


 ――この!


 神父は乙女の顔面を容赦ようしゃなく殴った。殴りつづけた。


 ――誰か、誰か……。


 少女は誰かに助けを求めた。

 しかし誰も助けてくれなかった。

 そうこうしているうちに邪悪な者は魔の手をのばしてくる。


 ――何か、何か……。


 次に少女は何か助けになる物を探した。

 あお向けにされた状態で、手探りで、何かを探す。

 何かが、コツンと指先に当たった。


 ――さあアニータ!


 邪悪なる者は両眼を血走らせ、少女に顔を近づけてきた。


 ――イヤーッ!


 少女は偶然つかんだ物体を、邪悪な者の顔面に突き立てた。

 それは十字架だった。

 なぜそんなものが床に転がっていたのか分からない。

 二人が争っている間に、机か何かから落ちたのだろうか。

 それともこの神父が十字架を粗末そまつにあつかうほどの不心得者ふこころえものだったのか。


 どちらでもいい。

 どちらにせよ、少女はそれで救われた。

 いや救われたと表現してもよいものかどうか、分からないが……。


 ――ギャアーッ!


 必死の思いで叩きつけた十字架は、邪悪な者の眼球に突き刺さった。

 相手はそのままひっくり返り、状況が逆転する。

 この時、逃げるという選択肢せんたくしもあった。

 だが少女が選んだ道は違った。

 激しい怒りと憎しみが、少女の運命を決めた。

 何度も、何度も、少女は十字架で刺した。

 叩いた。

 引っかいた。

 相手は何かを叫んでいたような気がする。

 だがそんなもの知ったことか。


 こんな邪悪な化け物を許せるわけがない!


 やがて相手は動かなくなった。

 何の反応もなくなったのに気づいて、アニータもようやく手を止める。

 手を止めてから、泣いた。

 血まみれの手で何度も涙をぬぐい、れるまで泣き続けた。


 それが彼女にとって、はじめての犯罪。

 はじめての殺人だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る