第3話 プルメリアの情事
それからはまるで堰を切ったかのように私たちは「恋人ごっこ」を始めた。私は心の底から彼を好きだ。彼には彼女になりそうな人がいる。けれど彼にとって私はかげかえのない存在で、友達以上であることは確かだという。私を失うことは考えられないともいう。何度も何度も確認したが、決して都合のいい女ではないという。
「前々からそうなのかな・・・と思ったことはあったけど、確信は持てなくて。」
「いつ私が恋愛感情を持ってるって確信したの?」
「3月くらいかな。一緒に遊びに行った時、帰り際に『待って・・・』って言われた時に、ああそうなんだなって。」
「あれね・・・よくないなと思いつつ、ついつい言っちゃったんだよね。」
「でも、あれが結構俺にはダメージで。そこから俺の中でも特別な友達で留まらなくなって、傷つくかもしれないけど2番目に好きな人になった。」
ここで悪い男だと悪態をつければ簡単だ。でも私は2番目でも嬉しかった。彼女という地位は確固たるもののように見えるが、実はとても危うくて脆い。もちろんそのまま妻に昇格する人もいる。それはつまり、彼にとっての永遠の1番だ。けれど、私はそんな形式ばった地位よりも、友達でもなく恋人でもなくセフレでもなく、友達のように気兼ねなく、恋人のようにかわいがられ、セフレのように激しく求められる奇妙なこの地位が案外嬉しかった。
当日は梅雨時期にもかかわらず快晴だった。からっと暑かったが、髪を結ぶと跡が付くのが嫌で、私はパーマがかかった髪をドライヤーで温めて軽く巻いた。ブラックのノースリーブのリブニットに、ターコイズブルーのタイトスカート。お気に入りの服で出勤した。
「あれ?今日髪の毛降ろしてるんだね。色気2倍だけど何かあるの?」お昼時に仲のいい女子に立ち話の中でこう言われ、私はぎくりとしたが、「別に何もないけど気分的な問題~」と笑顔で返した。これから好きな人と密会するだなんて、口が裂けても言えない。
午後3時。私は彼と20分ほど差をつけて職場を出ることにし、私が先に退勤した。電車の中で待ち合わせ場所の確認を再度したり、お互い緊張していると言い合ったり。そうこうしているうちに最寄り駅に着いた。買い物客やビジネス客の往来をすり抜け、私は地下道を歩いて行った。広い地下道に出ると人影もまばらで、平日の昼間にホテル街・飲み屋街に行く人はほとんどいないことを肌で感じた。おろしていた髪を少しの変装代わりにポニーテールにゆるく結んだ。
それでも地上に出て界隈を歩くと、平日なんて構わず飲んだくれた男性や風俗嬢だと思われる美しい女性、たった今まで楽しんでいたのであろう仲睦まじいカップルなど、様々な人とすれ違った。すぐ道を外せば百貨店や有名レストランが軒を連ねる通りに出るが、1本違っただけでまるで世界が異なり、いつもはそっち側にいる自分が、こちら側にいることが不思議に思えた。日傘を深めに差し、誰からも気づかれないように歩みを早めた。
ホテルに着き、チェックインをした。エレベーターの中で部屋番号を彼に伝え、部屋で一息ついた。エリアでも人気のあるホテルで、全くいかがわしさを感じさせない。むしろ充実したアメニティやふかふかのベッド、可愛い装飾や自宅よりも綺麗なお風呂に心が躍った。もちろんラブホテルに来たことは幾度もある。その度にその辺のハイクラスのホテルとはまた違った居心地の良さを感じてはいた。しかし、今日は「寛げる」ということよりも、「彼とするんだ」という高揚感が勝っていた。
手洗いうがいを済ませ、歯を磨き、化粧を直した。彼が来るまでそこそこ猶予があったが落ち着かず、何度も部屋を行き来したり、座ってみたりを繰り返した。それを5分ほど繰り返していると、内線が鳴り、彼が到着したことを伝えた。間もなくドアがノックされた。私がカギを開けると、眼鏡を掛けた彼が立っていた。
「あ、本当に眼鏡だ・・・」
「うん、一応ね。しかもパソコン用じゃないから、絶対職場で誰も見てないやつ。」
「印象だいぶ変わるね。あ、お疲れ様。」
彼が部屋に入ると同時に、私は部屋の隅のソファに腰を下ろした。ああ、本当にするんだ。いきなり実感が湧いてきて、体中の血液がどくどくと音を立てた。あからさまに抱きつく気持ちもなければ、どうしたらいいものか分からなく、「とりあえず、手洗ってきたら?」と彼に勧めた。「そうする。まだお風呂入ってないの?」と聞かれたので、「うん。一応待ってた。入ってる間に来たらドア開けられないしね。」と言った。
彼が洗面所から戻ってきて、ベッドに腰を下ろした。私との距離はテーブル1個分程度。まだ隣に行く勇気がなく、ひたすら今日の仕事の話をした。途中で彼が上司とのLINEのやりとりを「ほら、見てよ!」と楽しげに見せようとしてきたので、それをきっかけに私はようやく彼の隣に腰を下ろした。これで数センチ。それでも彼に触れる勇気までは出なかった。
ふと沈黙が訪れた。彼がふいに私の目の前に左手を差し出してきた。
「何?」
「まずはここくらいから慣らします?」
「・・・やだ。」
「なんでよ。」
「無理です。」
私はわざと拗ねたように返事をして、彼の手を握らなかった。彼も私が恥ずかしがっていることは気づいていたので、それ以上深入りせずに「はいはい」と笑って手を引っ込めた。「じゃあ、先に入ってくるね。お風呂も入れておくから。」と彼は立ち上がり、ガウンを手にして洗面所の方へ消えた。
10分足らずで彼がお風呂から出てきて、私が入れ違いで入った。手早く体を洗い、入念に隅々まで確認し、下着をつけて鏡に映る自分を見た。人より白い肌、一度も染めたことのない波うった黒髪。化粧を直したばかりの肌はお風呂の蒸気で程よく艶を得ていた。これからするという興奮も相まって、自分に「女」を見た。
ベッドのある部屋に戻り、既にベッドの上で転がっていた彼の隣に腰を下ろした。肩と肩が触れる。それでもまだゼロ距離にはならない。しかし、そうこうしているうちに時間だけが過ぎていく。私は意を決し、彼の左手をそっと触った。彼は私の右手を握り返し、指を撫でたり、私が彼の掌をなぞったりした。
「覚悟はできたの?」
「うん。ここに入ってきた時からそれは。」
「嘘だな、まだ迷ってるんじゃないの?」
「迷ってはないよ。ただ、本当にするんだって思うと緊張して・・・。」
「それは俺だって同じだよ?」
そう彼が言ったのと同時に私は彼の方に顔を向けた。端正な顔がすぐ目の前にあった。私は彼の肩にそっと頬をつけた。彼は私のおろした髪をゆっくり撫でた。少し目線を上にあげると、彼と目があった。この目が私だけを見つめてくれるのを、一体何度願っただろうか。今、彼の目には私だけが映っている。そして、彼はそっと私にキスをした。数秒が経ち、軽いリップ音と共に唇が離れた。
「ずっとこうしたかったです・・・。」
私の消え入りそうな声に彼は無言でまた口づけた。優しく、表面だけ。そして思ったよりも早く口の中に彼の舌が入れられ、優しく口内を撫でた。思わず体が硬直し、吐息が漏れた。一度口を離した彼は、私の耳や首筋に舌を這わせ、そしてベッドに私を優しく寝かせた。私の上に覆いかぶさり、キスを何度も何度もした。自分の置かれた状況が幸せすぎて、私は緊張と共に心地よさを感じていた。
彼の手が私のガウンの紐にかかり、背中に片手がまわり、下着のホックが外れた。手慣れている・・・と思いながらも、それさえが私をぞくっとさせた。ガウンを脱がされ、彼は私の胸を優しく触った。すぐ生ぬるい感覚が先端を襲い、音を立てて吸われるたびに、「あっ・・・」という声が部屋に響いた。間もなく彼は下着も枕元に置いた。そして胸元、おへそ、太股に幾度もキスをして、秘所にも下着越しに口づけた。
「早めに脱がさないと濡れちゃうからね。」と言いながら、私の下着を脱がし、丁寧にたたむとそれも脇に置いた。間髪入れずに、彼は私を舐めた。まさかそんなことをされるとは思っていなかった私は不意打ちをくらい、ビクンと体を揺らした。何度も気持ちよさが襲い、しばらくして彼は指を1本中へと入れた。今までにない感覚で思わず高い声が出た。どうしても過去、痛いというイメージがあったのに、痛さは全く感じず、彼の指の感触だけを感じた。
「えっ、もう無理っ・・・。」
「いいよ、イキなよ?」
彼が指を出し入れしていき、あっという間に私は果てた。あまりに早かった。
それから数回同じことを繰り返し、ようやく私が彼に跨る番となった。彼にされたように上から下まで優しく愛撫し、下着を脱がし、彼の物を優しく触った。少しずつ大きくなったところで口に含み、その硬さを味わいつくした。
「ねえ、69したことある?」
「え?」
「知らない?」
「・・・したことあります。」
「じゃあ、してあげる。」
彼は私の足を顔側に引き寄せ、お尻を掴んだ。私は引き続き彼の物をさすり、時々口に入れた。お互い無我夢中で愛撫しあい、私はあまりの気持ちよさに動きを止めてしまったが、彼に気持ちよくなって欲しいと必死に手と舌を動かした。
「待って、いっちゃいそうっ・・・これでいったことないのに・・・。」
「どうしたいですか?」
私はまるで褒められたかのように感じ、動きをわざと止めずにいじわるをした。私の背後で苦しそうに喘ぐ彼をよそに、私は右手を上下に激しく動かした。
「ダメ、本当無理っ・・・」
「じゃあ仕方ないなあ。やめてあげる。」
私はやれやれという感じで手を離し、彼から降りると彼の足の横に座った。彼が近づいてきて、座った状態の私の足を軽く開いた。秘所に再び指が触れたが、もう私も限界だった。
「指じゃなくて・・・欲しい。」
「いいの?」
「うん。」
「ちょっと待ってね?」
彼はそう言うとテーブルに置いてあった箱からゴムを取り出し、手早く装着し、痛くないようにとローションを彼自身と私にたっぷり塗った。彼がベッドに戻ってくるのと同時に、私は片手で彼の物をさすり、念のため空気が入っていないか先端を潰した。そしてキスをして、彼に押し倒された。
「優しくするけど、痛かったら言ってね?」
ああ、まるで彼の彼女みたいだ。私たちの関係を知らないで何かの映画として見ていれば、れっきとしたカップルにしか見えないはずだ。男性が情がなくてもセックスをある程度の女性とならできることは知っていた。それでもキスを飽きるほどしてくれたり、全身を愛撫し、秘所に顔を埋め、何度も気持ちよくさせ、痛くないか気遣う。ここまでできるものなのかと心底驚いた。
そして全く痛さを感じず、するっと彼が中へ入り、私の中にいるのを感じた。間髪入れず彼が動き始めたが、あまりにもその動きは探るようで、優しくて、ずっとこうしていたい・・・と初めて思う快楽だった。目の前で好きな人が私のためだけに体を動かし、キスをし、抱き合ってくれる。それから私が彼に乗ってみたり、座位で密着したまま動いたりした。
「最後どうしたい?」と私は聞いてみた。
「正常位だとすぐいっちゃう。」
「いいよ、そうして?」
彼がもう1度中へ入る。先程よりも奥へ、奥へと。
「・・っ・・・気持ちいい・・・もっと激しくして?」
掠れる声で彼に縋り、
「好きですっ・・・」
と、知らぬうちに声に出していた。彼からの返事はない。
それは彼が私を好きではないから言わないとか、薄情だからではない。事前に約束していたからだ。
「お願い、どんなに私が喜ぶと知っていても、好きだとは言わないで?」と。
その代わり、彼は私をきつく抱きしめた。そして果てた。
まだ息が荒いまま、彼は私の髪を撫でた。思わず私は涙が出そうになり、こう言った。
「好きになってごめんね?」
「好きになってくれてありがとう。」
1秒も間がない返事だった。私は彼が愛おしくてたまらず、彼の頬を撫で、そのまま口づけた。彼も何度も何度も私にキスをした。
そしてこの時既にお互いの気持ちは同じだったに違いない。お互いの目がそう言っていた。
今日で最後にするには惜しい。もっと、何度も、飽きるまで重なりたい・・・と。
さよならの合図はアジサイの季節に みなづきあまね @soranomame
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