4章 真実の館

1 いじける童貞とずっと続いてた女の闘い

 朝日が、目の前を静かに流れる川のせせらぎを煌かせ、眩しい位に目を灼いてくる……。


 そんな光景を、川辺に体育座りして眺める、もはや地獄の底のような暗い目をした天才軍師、奇跡的にある程度真っ当には育ったモノの依然心の弱い青年、リテイクでカッコ良いところだけ残っているだけで過程の醜態が尋常ではない男、レオ・フランベールは、


(ああ、もう、朝なのか……)


 それだけ思った。

 あの後、特に当てもなく夜の街をふらつき、ふらついた末に疲れて座り込んで、……気づいたら一晩中川を眺めて過ごしていたらしい。


(…………俺に朝なんて必要ないな、)


 いじけ切った天才軍師、童貞クズ野郎は、そんな呟きを胸中に、手元にあった石を川へと投げる。


 ぽちゃん、と、なすすべなく、石は深い深い川の底へと溺れ沈んでいき、その川底の泥のような目をした天才軍師(童貞)は、ふと、思った。


(そうだ。……いっそ去勢しよう)


 ついに生物学的にも童貞を極めようと思い始めた童貞。

 と、だ。そこで、背後から足音が響く。


 その音に、レオはゆっくりと視線を向け……。

 それから、死人のような薄いリアクションで、呟いた。


「お前は…………」


 *


 そんな風に、いじけた童貞の元にも事件が訪れた、同じ朝。

 レオのアパートの横に、気合を入れる美女の姿があった。


(…………手土産のチェリーパイ、良し)


 アリシア・スカーレットは、そう、持参した手土産、一日十個限定特製超限定チェリーパイを確認した。


 さくらんぼはそもそもレオの好物である。レオと行動を共にしている内にマリアにそれがうつって、いつしかマリアの方が前後不覚に陥るほど狂信するようになっただけだ。


(…………店員に聞いた全力勝負コーデ、良し)


 スタイルの良い美女はそう、自分の格好を確認した。


 赤毛の長髪を品よくアップに纏め、ボディラインの出るタイトな白いシャツの上に、落ち着いた色合いのカーディガンを羽織り、下にはロングスカート……一見品が良いが、ロングスカートには布地が合わさるようなかなり深いスリットが隠されていて、カーディガンを脱げば袖口の大きいタンクトップのように横からかなり露出する。


 一見清楚、かつ場合によっては色仕掛けにも走れる全力勝負服を纏い、レオの機嫌を取りつつも場合によってはマリアを買収できるチェリーパイを手に、アリシアは決意を込めた瞳でアパートを見上げた。


(……行くしかない。ここが勝負!今優しくすればレオは落ちる!)


 アリシア・スカーレットは自力で長年戦場を生き抜いたこの世界で最強格の兵士だ。


 それが馬鹿な訳がないし、その勘が鋭くない訳もない。


 二股は最初から知っていた。何ならパーティの時点で、シャロンがレオに万年筆を渡すと同時にメモを渡したことまで理解していた。何ならそのメモの内容まで見えていた。


 だから……。

 知っていて泳がせていた。改変してなかった事になった、最初にレオがばれたと焦ったあの偶然の邂逅。


 あのタイミングでアリシアがやたら寛容だったのは純然たるレオへの好感度稼ぎだ。


 全力を挙げてレオに追いかけて貰おうと逃げただけだ。

 そして、童貞に決断力がなかっただけである。


(私は鮮血のアリシア……常勝無敗!)


 勝てば良かろうなのであろう。戦争にも、女の戦いにも。


 武士道とか騎士道とか本気で思ってる奴が戦場で生き残れる訳ないのだ。そう言うのは口でだけ必要な時に言っておけば良いのだ。結局どんな手を使おうが勝った奴が偉いのである。


 …………とはいえ、なんだか少し分が悪い気がしてきたから昨日、先にアクションを起こしたのだが。


 常勝無敗の女の勘は遊浴場で囁いたのだ。このままでは小悪魔に負けると。


 魔王との戦争と並列してずっと続いて来た童貞クズ野郎(たまにカッコ良い)を巡る激闘に敗北すると。


 だから、

 レオのアパートの扉を前に、アリシアはノックする手前で手を止めて、器用に視線をさ迷わせ……どのタイミングからレオに見られ始めても良いように気を高め始めながら……。


 やがて、戸を軽くノックした。


「レオ。……あのさ、えっと……昨日は、その……」


 と、“悲しくて、がっかりして……でも、でもさ。あたしは、やっぱり……。許せないけど。でも、私は、あんたに振り向いて欲しい。私はどうしても、あんたを信じていたいんだ。だからレオ、また……”あたりに続くがっつり練り上げて来た浮気男に罪悪感を与えつつフォローして健気に見せて自分への依存度を高める呪文を詠唱しかけたアリシアは、……しかしやはり歴戦、常勝無敗。


 壁越しに他人の気配を探ることなど造作もない。


「…………………、」


 家の中に気配がない。レオが帰っていない、なら確かにへたれだからあり得るが、けれどやたら偉そうなニートであるマリアまでいないのは妙だ。


 二人まとめて夜逃げ?追い詰め過ぎたか?あのマリアがレオを甘やかすとは思えないが……。


 そう危惧しながら、アリシアは扉を開き、アパートの中へと踏み込んだ……。


 *


(…………お土産のチェリーパイ、良し!)


 アリシアが踏み込んでいったレオのアパートを外から見上げながら、シャロン・マグノリアはそう、持参した手土産、一日十個限定特製超限定チェリーパイを確認した。


 マリアの好物であるさくらんぼが実はレオの好物でそれがうつっただけであることの調べは既についている。


(背伸びした黒いレースの下着、良し!)


 この女脱ぐ気満々である。身に着けているのは清楚な白いワンピースだが、流れた金髪に隠れた背中側は大きく開いていて何なら紐で結わえられているだけ。簡単に脱げるようになっているし、角度によっては脱がずとも下着がチラリと見えるようにもなっている。


(先手は取られましたが、しかし……)


 決意を固めて見上げるシャロンの耳には青い宝石のイヤリング。常についているそのイヤリングから、メイドの声がシャロンの耳朶を打つ。


『殿下。アリシア・スカーレットは既に中に……』

「問題ありません。ここの先手は織り込み済みです」


 シャロン・マグノリアはマグノリア帝国唯一の皇女だ。皇帝に溺愛され、軟禁状態で外に出られず、そんな生活の中で自分に会いに来る見た目だけで言えば王子さまっぽいへたれがいた。あと、行動も極たまに王子さまっぽい。


 たまにしか会いに来てくれないそのヘタレの事を知りたくて、知りたくて、知りたくて、知りたくて、知りたくて、知りたくて、知りたくて……。


 シャロンはメイドに様子を確認してくれるように頼んだ。そのメイドは同じような頼みを衛兵に頼んだ。衛兵は前線に出る兵士に頼んだ。そうやってネットワークが出来上がっている内に、余りにその皇帝に溺愛された皇女のおねだりの頻度が高すぎて秘密裏にその諜報を専門にする部隊、部署が出来上がった。そんな部署の活躍もありそのネットワークは更に広がっていき……。


 やがて、このマグノリアに、軟禁され過ぎてストーカー気質になった“さる高貴なお方”を中心とした超強力な裏情報収集ネットワークが誕生した。


 ちなみに昨日遊浴場でナンパしてきた兵士達もその工作員、シャロンの仕込みである。


 とにかく、もはやこのマグノリアに、シャロンが知ろうとして知れない事はない。


 そして、それだけ強大な組織に配下が膨れ上がっていることをシャロンは知らない。実態は傍付きのメイドたちが握っている。傍付きのメイドたちは皇帝の過激なプレイ画像を手に『これを娘さんに見せますよ?どう思うでしょうね?』と囁いて皇帝すら動かせる。


 皇帝すら動かせる完全なるこの国の裏の支配者になっている事を“さる高貴なお方”は知らない。


 お姫様はわがままを言うと叶うだけである。

 が、そんなお姫様でも通せないわがままが一つ。


(…………レオにむちゃくちゃにされたい!)


 このお姫様は女ばかりの空間で軟禁されていたせいで結構全力で倒錯していた。


 抑圧された状況下で耳にする伝聞乙女小説が過激すぎたのである。


 そんな“さる高貴なお方”は、足音が聞こえるように階段を駆け上り、自身の襲来の予兆を部屋の中へと伝えつつ多分アリシアが先に入って鍵を閉めていないだろうドアへと向けて、駆け寄り、


「レオ!」


 そう声を上げながら、必死で真剣な表情でアパートの中に駆け込んだ。そして、そのまますぐに言う。


「私、家出してきました!アレでサヨナラなんて、そんなの嫌です!レオが来てくれないなら、私が……」


 と、必死に言いながら向けた視線の先に居るのは、アリシアだ。

 その姿を見た瞬間に、シャロンは言う。


「アリシアさん……どうして……。貴方は、……昨日、レオを追い詰めて……」


 この国最強の諜報機関が作った分岐別会話フローチャート一覧が全て頭に入っているお姫様は淀みなかった。


 と、そんなシャロンを前に、恰好的にどう見ても気合を入れてきているはずなのに、アリシアは気の抜けた風に頭を掻いて、言う。


「……レオを追い詰めたあたしを悪役にして自分の好感度上げようってか?」

「な、なにを言ってるのかちょっと良くわからないです」


 そう、どんな時でもあざとさを忘れずにシャロンは露骨に視線を逸らす。

 そんなシャロンを前に、アリシアはまた、気の抜けた風に言う。


「ご自慢の裏組織はどうした?レオが居ないって知らなかったのか?」

「裏組織?何の事だかわかりませんが……」


 そう小首を傾げたシャロンの耳に、部下の声が届く。


『申し訳ございません、殿下。戦況分析とパターン構築に労力がかかり、単純な諜報に置いて後手を……』

「あ、謝らないでも……皆さんは私のわがままを聞いてくれてるだけですし、」


 ここは天然で言ってるからこの組織は異常に強いのである。

 とにかく、シャロンは部屋の中を見回した。


 アリシアは居る。が、マリアもレオもいない。レオの私室も……扉が開いている辺りアリシアが探索済みだろう。鮮血のアリシアが閉所に隠れた人間を発見できない訳がない。血みどろで相手を追い詰めて嗤うから“鮮血”なのだ。そう言う勘は常軌を逸しているはず……。


 いや、アリシアがレオを隠している可能性が……。


 と、疑い始めたシャロンの耳に、部下の声が届く。


『殿下。盗聴班に確認したところ、どうも昨夜、フランベール様は帰宅されていないようです』

「帰ってない……」


 そう呟いて、シャロンはアパートのテーブル、そこに置かれた真新しい万年筆を見た。


 あのパーティでシャロンが渡したプレゼントだ。結構使ってくれていたらしくてシャロンは普通に嬉しかった。……そもそも盗聴用の魔術をこの家に不自然じゃなく設置する為の贈り物ではあったが。


 ちなみにシャロンは同じものを同じ方便できっちりアリシアにも渡していた。

 そっちは翌日にバキ、という音がして音信不通になっている。童貞軍師には効いたが歴戦の女戦士には即看破されたらしい。


 とにかく、シャロンは言った。


「帰ってない……アリシアさんが雑に追い詰めるから、レオが思い詰めてたらどうするんですか!」

「どうせアイツはほっといても勝手に一人で思い詰めるぞ」

「アリシアさん!?……レオが居ないからって、そういう事容赦なく言っていくんですか?」


 平然と言ったアリシアを前に、シャロンがそう声を上げると、そこでアリシアはふっと、嗜虐的な笑みを浮かべ、言った。


「思い詰めて情けなくなってるのが可愛いだろ?私が支えないと……。私が虐めて私が甘やかすんだ……」

(アリシアさん……やっぱり戦場で虐殺しすぎて、サディストに……)


 鮮血のアリシアは殺戮の結果サディズムとそれへの罪悪感由来の母性を同時に目覚めさせていた。

 ちなみに、追い詰めた後すぐ優しくするのは基本的にDV男のやり口である。


 とにかく、そんな戦々恐々とした呟きを胸中に、シャロンは挑むようにアリシアを見て、言った。


「理解できません……レオはカッコ良くてちょっと強引なくらいが良いんです!」


 軟禁され過ぎて色々全力で倒錯している夢見がちな皇女はそう言い切った。

 そんなシャロンを見下し、アリシアは言う。


「ハッ、それはあんたの思うレオ様だろ?幻想だ」

「幻想じゃないです!たまにカッコ良くて強引な時もあります!」

「たまにだろ?本性じゃない!」

「私が本性にするんです!」

「いや、あたしに依存させる!あたしが世話焼いて、あたしが首輪付けて、あたしが飼う!」

「…………首輪付けるのはちょっとイイかも」

「だろ?」


 能動的共依存サディストと幻想倒錯少女は、ヤバい部分だけ意見が合致していた。

 と、だ。そこで、シャロンの耳に声が届く。


『…………盛り上がっているところ申し訳ありませんが、殿下。発見しました。どうも、フランベール様は北東の河原で座り込んでせせらぎを眺めていらっしゃるようです』


 それを聞いた瞬間、シャロンは眉を顰め、アリシアに言う。


「とにかく、今はレオです。思い詰めてたら本当に……アリシアさん。貴方の方が早く付くでしょう?レオが見つかったそうです。南西の林で、貴方が望んだように首を、」


 と、さらっとレオの居場所に関して嘘を吐いたシャロンを、アリシアは睨む。


「それは望んでない。それに、あたしを舐めるなよ、シャロン。嘘はわかるぞ?」

「ウソなんて……アリシアさん。私を信用できないんですか?」

「今この瞬間信用できないことに関しては信用できる」

「………………」

「………………」


 睨み合いながら、シャロンは思った。


(ここにアリシアさんを置いて私だけ……いえ。アリシアさん相手に逃げ出すのは無理です。後を付けられて物理の差で先手を取られるのがオチ……)


 そしてアリシアの方も、考える……。


(自力であたしがレオを見つけるのは無理がある。シャロンの諜報機関は尋常じゃない。間違いなく見つけてる、そこにブラフはないはずだ。先に動いてくれれば、後をつけてどうにでもなるけど、それはシャロンからしてもわかってる……)


「「………………」」


 女達は静かに睨み合い激戦を繰り広げていた。


 と、そこで、更なる報告が入る。


『あ、……殿下。今、報告が。フランベール様がどうも、連れ去られたらしく』


 途端、シャロンは眉を顰める。


「……誘拐?アリシアさん。本当にそういう場合じゃなくなりました。レオが、誘拐されたって」

「なに?……どこの女に?」

「女?…………え?ああ、そういう意味ですか?」

『いえ、誘拐犯はおそらく男ですが……』

「アリシアさん。誘拐犯は男だそうです」


 そう言ったシャロンを前に、戦場で色々見て来たアリシアは目を見開いた。


「レオが男に誘拐された!?」

「そこってそんなに驚くところですか?…………え?そういう意味なんですか?」


 軟禁状態で倒錯している幻想小説皇女はそう言った。


『申し訳ありません。それに関してはなんとも……。というか、殿下。僭越ながら、本当に、そういう事を言っている場合ではないかと』


 部下の言葉に、シャロンは気を取り直し、言う。


「そ、そうですね。……こほん、とにかく、レオの危機です。命、もしくは貞操の。ここは、一時休戦という事でどうでしょう」

「仕方ねえな……とりあえずレオを助けて、」

「はい。……ああ、そうだ、その後二人でレオを虐めて、首輪付けて1日ずつ持ち回りで……」

「その後許してチャラか。……わかった。あたしが先な」

「アリシアさん?私が教えなければレオの居場所は掴めませんよ?私は別に、普通にお父様に知らせても構いませんが?」

「チッ、わかったよ……」


 と、ヤバい契約を結びながらこの二人、どちらかがその提案をレオにした直後に裏切って好感度を稼ごうと思っている。


 赤眼のレオ。顔良し、優柔不断に目をつぶれば性格良し、家事の能力も高く、魔王を倒したと言う実績付きで金も莫大に持っているし、周りに美女が多く、……鳥肌が立つほどに愛されている。


 そんな彼がまだ童貞なのはだいたいこの二人の水面下の激戦のせいである。


 二股野郎は所詮ピエロなのだ。


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