7 恋人の家と逃げ場のない修羅場
アリシア・スカーレット。
鮮血のアリシア。
その素性はレオに近い。スラムに生まれ、戦禍の中幼少期を過ごし、マリアと会って改変を手にし軍師として身を立てたレオと違い、彼女は自力で生き延びた。
アリシアが生まれたのはこのではない。その、極めて戦闘的で狂信的だった、隣国。……今はもう滅び、このマグノリアに平定されている小国。
その小国のスラムの不良から、傭兵、殺し屋に変わり――レオとアリシアは敵として出会った。
どうあがいてもレオが攻略し切れない強敵。工夫は関係なく正面突破で全て無駄にしてきて、何度改変しようとも結局倒せなかった、赤い少女。
それを、その小国がなくなり、平定した後、レオが引き抜いたのだ。
もう5年近く前の話。アリシアが髪を伸ばし始める前の話。仲間にしてから、少女だったことをレオは知った。
それから、文字通り戦友として、戦争の中共に育ち、力を合わせて魔王を倒し、そうやって戦争が終わってから半年。
*
「結構、広いな。良い家だ」
アリシアの家があったのは確かにあの遊浴場の近く、マグノリアの中心と比べるとどこかのどかで閑散としている、少し土地が余っていそうな場所。
一軒家だ。大きな庭のついた、2階建ての、木造の家。
そのリビング、いやダイニングだろう部屋に通されて、レオはそんな事を呟く。
それに、アリシアは応えた。
「こないだ買ったんだ。結構安かったし……ほら。魔王倒した後の報奨金あるだろ?アレさ、使い道わかんなくて。まあ座れよ、」
そう、アリシアは部屋の中心にあるテーブル。その椅子を引いた。
促されるままに腰かけたレオを横目に、アリシアはすぐ隣にあるキッチンだろう部屋の方へと消えていき……。
「……そうだ。なんか食うか?」
消えたかと思えば頭だけ出して、アリシアはそう声を投げてくる。
「そうだな。何か、簡単なモノを……作るか?」
そう腰を浮かし掛けたレオを前に、アリシアは言う。
「いや、良いよ。あたしが作る」
「……お前、料理出来たか?」
「最近やってみてるんだ。戦争終わって、あたしが唯一得意なことが必要なくなって、さ。色々やって見てるんだよ。ああ、凝ったのは無理だからな?あり物炒めるだけだ」
「……期待しとくよ」
「それ皮肉だろ?……出来ないと思ってるな?待ってろよ」
言って、アリシアはキッチンの戸を開けたまま、向こうで料理を始める。
食糧庫を覗いたりしているのだろう、赤い長髪が揺れるのが向こうに見え……それを横に、レオは部屋の中を眺めた。
意外と、と言ったら失礼かもしれないが、片付いている。いや、片付くと言うよりも物が少ない感じだ。
物欲も趣味もあまりない。…………それも、レオと同じだ。
普通は明るく過ごすんだろう若い時期のほとんどを、戦争に使った。必要に迫られた行動が多すぎて、趣味を持つような余裕がないまま、こうして戦争が終わって、何をして良いか少しわからなくなっている。
部屋の隅に、剣が立ててある。片刃の長剣と、ナイフが幾つか。手入れはきっちりされているように見える。使う当てがなくなったとはいえ、習慣なんだろう。
アリシアは今も軍属のはずだ。が、そもそもレオが引き抜いて、レオが直接頼っていた兵士の為、所属がかなり特殊なのだ。
完全な遊撃枠で、レオの私兵に近かった。そんな部隊の中心がアリシア。
この半年で希望を出してきた奴には、相応のポストや新しい職をレオは斡旋した。そして、そう言う希望を出して来ていない奴は、一応軍属だがレオが声を上げるまで待機。
アリシアも同じだ。休暇で、待機。次の、やりたいことを見つけるまでの準備期間のようなモノ。
料理も、あるいはこの間、可愛い服を買っていたのも……今まで出来なかった事をやろうとしているのかもしれない。あるいは、レオとの関係も……。
そうつらつら、ぼんやりと考えている内に……キッチンの音が止まった。
そして、それから、湯気の立つ料理と食器を手に、アリシアがリビングにやってきて、レオの前に手早く、それらを広げる。
そうやって、レオの目の前にあるのは、確かに、ただの炒め物だ。
野菜に肉、あり物を炒めたんだろう……良い匂いがレオの鼻をくすぐった。
そんな料理を前に、アリシアはレオの向かいに腰かけて、
「もうちょっとしっかり準備しとけば良かった」
そう呟いた直後、レオへと手を差し出し、言う。
「どうぞ」
「……ああ。貰おう」
答えて、レオはフォークを手に、その炒め物を口に運んだ。
そんなレオを、アリシアはテーブルに頬杖をついて眺めて……やがて、問いを投げて来た。
「どうだ?」
「…………旨い」
「本当は?」
「……不味くはない。が、そうだな。香り付けに酒を入れたろ。その量が多かったな。アルコールが飛びきってない。少し量を減らした方が良い」
「…………そっか、」
聞いて来た割に少し拗ねた風に、アリシアは呟き……そうやって頬杖を突き続ける彼女を見て、レオは言った。
「そうだ。良かったら今度何か教えるか?」
「…………………」
なんの気はない、提案である。そのレオの提案に、しかし、アリシアはどこか寂し気な雰囲気で、何も言わず、ただレオを見続けている。
そんなアリシアを前に、レオは首を傾げた。
「どうかしたか?」
問いかけたレオを、アリシアは静かに見続け……次の瞬間、問いに返されたのは問いだ。
「それは…………なんだ?」
「なんだって、どういう意味だ?」
「あたしに料理を教えてくれるんだろう?それは、どうしてだ?誰に教えるんだ?部下に教えるのか?友達に教えるのか?それとも、……恋人に教えるのか?」
「…………恋人に、」
「本当か?なら、なんで今ちょっと悩んだんだ?」
「悩んでなんか、」
「なあ、レオ。……迷惑だったら言ってくれ」
「何を言ってるんだ。迷惑な訳ないだろ」
そうすぐさま言ったレオを前に、アリシアはまだ静かに、どこか淡々と、……問いかけてくる。
「…………あたしは本当に、あんたを信じて良いのか?」
真摯に、灰色の瞳は、レオを見据えてくる……。
それを前に、無意識に、だ。罪悪感に負けたかのように、レオは視線を逸らしてしまい、その瞬間、
「……そっか、」
何かが終わったような呟きが、レオの耳朶を叩いた。
「いや、アリシア……」
咄嗟に言いかけたレオの前にあった灰色の瞳には、もう静かさはない。
代わりに、そこにあるのは、苛立ちと、怒りに駆られたような炎。
「なんだよ、」
「………………」
思いのほか鋭かったその瞳を前に、レオは固まり……その脳裏で、思考は走る。
(…………これは、終わり?何で、いつ勘付かれた?ここで終わる?いや、まだ、……リテイクだ、)
そう、決めた直後――あるいは逃げ道を探す様な心境だったのか、レオは短剣を取り出し、それを自身の胸に突き立てようとして。
その瞬間、だ。
レオには何が起こったかわからなかった。何が起こったかわからないまま、気付けば地面に倒されていたレオ、その短剣を握る腕が掴まれ、床に押し付けられていて。
赤い長髪が、レオの顔を撫でる――その長髪を視線で負った先には、レオに覆いかぶさった灰色の瞳の美女の顔があった。
「レオ。……あたしはさ、それを知ってる。付き合い長いだろ?あんたが、あんたから、白状してくれたんだ。そう言うずるをしてるって。魔王を倒す為の、戦争を終わらせるための、その為の力なんだって」
「………………」
「今、何をなかった事にしようとしたんだ?何から逃げようとした?あたしか?あたしと真剣に話すのは、都合が悪いか?なかった事にしたいか?」
「そんな事は……」
そう、ごまかしのように言い掛けるが、結局……レオはその先の言葉を呑み込んだ。
そんなレオを間近で、灰色の瞳で、アリシアは眺めて……。
やがて、その瞳に浮かんでいた苛立ちの炎がふと掻き消え、寂しそうな灰色の瞳が、レオを見ていた。
「……レオ。頼む、……真剣にあたしを見てくれ。正直に言ってくれ。ごまかしじゃなく、ちゃんと……ちゃんと言ってくれたら、あたしも、納得できるから」
そう、囁くアリシアを、レオは見た。
正直に、言う?何を?二股してます、か?恋人になっていたらしいが、そうなった記憶が自分にはありません、か?それとも、それら全部更に誤魔化して、また嘘を重ねるか?
アリシアは何も言わなかった。レオの上に覆いかぶさり、答えを出さない、逃げると言う選択肢を奪って、……その上で、レオを真剣に、ただ見ている。
そんなアリシアを前に……やがて、レオは言った。
「……俺は、お前と恋人になった」
「ああ、」
「……恋人になった記憶が、俺にはない」
正直に話したレオの前で、アリシアは動じず、むしろそうじゃないかと納得したように、静かに吐息を漏らす。そんなアリシアを見ながら、レオは続けた。
「その約束をしたの、魔王と戦う前だろ?俺は魔王戦で、……何回も改変した。何回も同じ時間を過ごした。それこそ百年分以上。その前の事は、」
「細かいことまで覚えてません、か?」
そう囁いてきた瞬間、未だ握られ続けているレオの腕が居たんだ。少し、爪が、食い込んでいたりするかもしれない。その痛みに、しかし、これで良いような気がしてきながら、レオは言う。
「そうだ。それで……だから……。俺は、お前に好かれてて、気分が良かったんだ。だから、知らないってことを隠した」
「シャロンは?今日……あたしに隠れてあたしの前で、……ごまかせてると思ってたか?あたしを小ばかにするのは楽しかったか?」
「そう言うつもりはない!シャロンは……シャロンとも、お前と同じだ。気づいたらシャロンとも恋人になってた。けど、……その記憶も、俺にはないんだ」
「記憶がない、か。……便利な言い訳だよな」
「言い訳じゃない!言い訳じゃないけど……言われても仕方ないとも、思う」
浅はかだったんだろう、レオが。
表面上、誤魔化せた気になっていただけだ。
レオが改変できるのは、レオが気付いたミスだけ。レオがミスしたことに、勘付かれた事に気付けなければ、なかった事には出来ない。
「俺は……お前が気付いた通りの、クズだ。お前にも、シャロンにも、嫌われたくなかった。嫌われる度胸がない。けど、……嫌われるべきなんだろうとは、思う」
そう、誤魔化しなしに言ったレオを、アリシアは静かに眺めて……。
「あたしは、あんたが元から嫌いだったよ。あんたは敵だった。あんたは、あたしの故郷を滅ぼした。恨んだよ、あの肥溜めはあたしが壊すはずだったんだ。それを、あんたが壊した。あんたの部下になったのは、あんたの寝首を掻くためだ。何度も殺そうとした。けど、出来なかった」
「いや。何回もお前は俺を殺してる。改変で全部回避しただけだ」
「ああ、もう知ってる。それを聞いて、裏切られた気がした。……あんたは凄い奴なんだと思ってたからな。殺す気でやって殺せなかった奴はほとんどいない。何回もやって何回も負けたのは、あんたにだけだ。絶対勝てないと思ったのは、あんただけだ。勝てなくて良いと思ったのは、あんただけだ……」
「俺は狡いだけだ。生き汚くて、見てくれだけ取り繕ってるだけだ」
「今もそうだ、あんたは狡い。あたしは、また、裏切られた。……だから、あんたは、キライだ」
そう、揺れた瞳で囁くアリシアを前に、レオは何かを言い掛け……けれど、その口が言葉を発することはなかった。
アリシアの顔が近づく。押し倒され、羽交い絞めにされ、片腕を、胸元を、爪が食い込むような強さで掴まれ……口もまた、塞がれる。
数秒、時間が止まった。思考も身体も何もかも封じ込められたように固まったレオを前に、ふと、アリシアは身を起こす。
赤毛が流れ、乱れ、灰色の瞳から一筋、涙をこぼしながら、レオに馬乗りに、座り込むように……。
「あんたなんか、……キライだ。昔からずっと、大っキライだ」
そして、そう囁くと、アリシアは立ち上がり、奥へと消えようとする。
「アリシア、」
「帰ってくれ、レオ」
レオの言葉を遮るように、アリシアはそう言って、……それから、振り返り、こう無理やり微笑んだ。
「安心しろよ。明日になったら……また、友達みたいに笑えるから」
その言葉が、最後だ。
アリシアを見送ったレオは、途方に暮れるように、アリシアが去って行った先を眺め続け……直後、ふと衝動にかられたように、逆手に持ったナイフを振り上げた。
「…………」
心臓の手前で、短剣の刃は止まっていた。
そんな事をしなくても、刃は既に深く、レオに突き刺さっている……。
「………………」
何も言わず、何も言えず。ただ、ただただレオは、その場に蹲り続けた……。
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