2 決戦、遊浴場Ⅰ ~アリシアとサンオイル~

 ザバン、と、波のように背後で人工の湖が揺れている。


 目の前の壇上では、海パン一丁の皇帝が、魔術で作られた拡声器を手に、高らかに言っていた。


『では、これより、マグノリア遊浴場の――』


 マグノリア遊浴場。そこは、広大なドームの中に作られた、ブロック分けされた、湖を模した娯楽施設だ。


 観光産業としてそれを発展させているベニシアを模し、何の変哲もない競技湖から海を模した波間、水上高速滑り台に飛び込み台、砂場を模したビーチに、水路を模した船状経路など、水辺絡みで諸々雑多に詰め込まれている。


 その、一角。周りと同じく水着姿で皇帝の演説を聞きながら、レオは小声で、通信――通信魔術が付与されたネックレスへと、声を投げた。


「頼むぞ、マリア。手はず通りに、」

『わかってる。お前が相手をしない方の相手をすれば良いんだろう、任せておけ。私はお前に負けたよ、……相応の報酬は寄越せよ、チェリー』


 通信用のネックレスは、身に着けている本人にしか声が聞こえない。だから、レオがタイミングを選びさえすれば、この声が周囲に聞かれる心配はない。


 勝手にコードネームにされてしまったらしいチェリーに、にがにがしげな顔をしながら。


「ああ、好きなだけくれてやる。お前を動かす為に出資しておいたんだ」

『まったく、愛されてるな私は。出来れば無償の愛が欲しかったよ』

「御託は良いから、」

『わかってる、わかってる。先に足止めするのはシャロンだったな。任せろ……おい、シャロン。おお、なんだそれ?攻めたな、こんなのすぐ外れそうだ。こうやって、』

『あ、……マリアさん。冗談はやめてください、』

『冗談じゃない、本気だよシャロン。なあ、お前はこういう手を使わないでも十分魅力的だよ。ほら、こうやって、』

『……あ、……ちょっと、何を……』


 通信から何か怪しいやり取りが聞こえてくる…………。


「……………………」


 それを真顔で童貞は聞いていた。


(何をやって……いや、あちらに任せよう)

「マリア。基本的に通信は切っておく。報告の必要がある時に、」

『わかってるよ。こうやってスイッチを入れれば良いんだろう?なあ、シャロン?』

『あ、止めて……本当に、……マリアさん、……あっ、』


 シャロンの嬌声が聞こえる。


(あの魔女何してんだ……)


 通信用だけじゃなく監視、視覚共有も今度用意しておこうか。魔女の暴走を止める為に。断じて何やってるか見てみたい訳ではない。魔女の暴走を止める為に。


(……用意しておこう)


 真剣な顔でそう心に決めた童貞クズ野郎。

 と、そうやってやり取りをしている内に、皇帝の演説が終わったらしい。


 周囲で、この式典に来た来賓たちが、方々それぞれに散っていく。

 皇帝は皇帝で、


「さあ、義務は終わった。後は遊ぶだけ……わしと遊びたい人~!」

「「「は~い!」」」


 と一回り以上年下だろう美女たちを連れて動き出していた。


(あのおっさんは、本当に……今となってはむしろ尊敬するな。それとなくどうやってアレを維持してるか聞いてみるか……?)


 童貞クズ野郎はだんだん極まっていた。


 ちなみに皇帝の妻はもう亡くなっている。息子が3人に娘が1人、それがマグノリアの皇位継承権の上位だ。そして、嫁を亡くした後その寂しさを埋めるように皇帝の女遊びは結構激しい。


 まあとにかく、そうやって周囲の人気が疎らに……それを見回した末、レオはその場に突っ立った。


 この遊浴場と言う名の地獄に来るにあたり、レオはアリシアともシャロンとも、何の約束もしていない。むしろしないようにどうにか言い訳を重ねてこの数日を乗り切った。


 約束をしてそこにスケジュールを発生させてしまえばそれが崩れた瞬間にシャロンからもアリシアからも何かしら疑われる可能性がある。


 それを、避ける為に……。


(流れで出会って流れで遊び、流れで離れてを繰り返して今日をどうにか乗り切る……)


 もちろん計画、タイムスケジュールはレオが勝手に組んでいる。その通りに、二人と会って二人と遊ぶ……それが童貞クズ野郎がこの決戦の場を地獄にしないために建てた作戦だ。


 マリア様も買収済みだ。最悪、改変もある。不可能じゃないはずだ……。


 そう、一人真剣に、全力を挙げて二股を続けようとする童貞クズ野郎の肩を、ふと、誰かがつついた。


「ん?」


 そう、つつかれたレオは振りかえり……だが、振り返った先には、誰もいない。


「…………?」


 眉を顰めたレオの横で、ふと、声が響く。


「レオ?」


 呼ばれて、レオはそちらを向く。だが、その先にも、やはり人の姿はない・

 姿はないが……声で誰かはわかる。何なら、何をしているかもわかる。


 おそらくだが……ごくごくシンプルかつ人間の枠を外れた身体能力でレオの視線を避けて背後を取り続けているのだろう。問題は、そうやって背後を取り続けているその理由……。


「……何か、悪戯か、アリシア」


 そう言ったレオの背後で、アリシアは言った。


「いや、悪戯って訳じゃ、ないんだけど……その、」


 その歯切れの悪い声に、レオはゆっくりと振り返る。

 その先には、……漸く視界から逃げるのをやめてくれたらしい、アリシアの姿があった。


 かなり恥ずかしそうに、プロポーションの良い健康的な体を縮めている、水着の美女。


 赤毛を纏めて後ろに束ね、頭に薔薇の飾りをあしらい。身に着けているのは、ビキニだ。


 真っ赤で、肩ひもがない……今にもずれてしまいそうな、かなり攻めた真っ赤な水着。そして、それを張り詰めさせる、豊満なバスト。健康的な太もも。


 それを眺めたレオを前に、恥ずかしそうに手でそれらを隠しながら、


「わかんなくて、店員に聞いて、買ったんだけど……やっぱ、この格好恥ずかしくて。変じゃないか?」


 上目遣いに、アリシアは問いかけてくる。それを前に、微笑みを浮かべて、レオは言った。


「凄く魅力的だよ、アリシア」


 極まって来た童貞クズ野郎は平然とそう言い切れた。

 それを伺うように眺め、はにかんだ後……アリシアは言う。


「そうか。良かった。コホン、……良し!じゃあ、レオ。遊ぼうぜ?そうだ、泳げるようになったのか?」


 普段通り気兼ねなく――振舞いながらまだ少し恥ずかしそうに頬を上気させているアリシアを前に、レオは肩をすくめる。


「秘密にしといてくれ。結局、泳げなくて、だから……」

「……泳がなくて済む場所か?」


 言葉じりを捉えるように、柔らかな笑みで、アリシアはそう言っていた。



 ドームの中とは言え天蓋は所々ガラス張り。健康的な陽光が、空から降り注ぎ――そうやって輝きを帯びるのは、跳ね跳んでいく金色の砂粒。


「そぉれっ!」


 声と共に、アリシアは跳び上がった。彼女が跳び上がる先にあるのは、無償で貸し出されているボール。


 特に、何かルールがある訳でもない。コートがある訳でもない。ただ、ボールを弾ませ合うだけでなんか楽しい気がしてくるビーチの娯楽。


 いや、楽しいのはその行動ではなく光景かもしれない。


 周囲にいる男たちの視線が、アリシアにくぎ付けになる。健康的で、それゆえに煽情的な水着を身に着けたアリシア。跳び上がった彼女の胸が、肩ひものないビキニが、今にも零れ落ちそうなほどに揺れ、周囲の男たちも、あるいはその正面に立っているレオもまた、その光景にくぎ付けになり――。


「やぁ!」


 ……多分、彼女は手加減している。そんな風に聞こえる掛け声の直後、宙に浮いたボールが彼女のスナップの効いた手首に叩き落され、


 ドン!

 およそ柔らかいボールが鳴らすとは思えない音が、気付くとレオの背後で聞こえていた。


「……アレ?まだ手加減たんなかったか?」


 着地したアリシアが、そう頭を掻いている。それを前に、レオはゆっくりと、背後を振り向いた。


 背後にはクレーターがあった。砂が吹き飛んでその下の床が見えていて、その最中に弾けて粉砕されたボールの残骸がある。


(……身体能力が高すぎて、遊びが成立しない?)


 元々そんな気がしていたとはいえ、そのボールに寄る一撃。レオが喰らったら多分死んでただろう。


 そう、戦々恐々とするレオへと、アリシアは歩み寄ってくる。


「悪い。また、ボール借りて、」

「いや、待てアリシア。流石に、開業前に施設をクレーターだらけにするのはまずい」

「あ~、……だよな、」


 アリシアは露骨に肩を落とし、と思えば次の瞬間、すぐに胸を張る。


「しょうがねえな。他の遊びだ!」


 そう言ったアリシアを前に、レオは頷いた。


「そうだな。……安心しろ、俺は伊達に天才軍師と呼ばれてる訳じゃない。ベニシアで良くやる遊びを調べておいた」

「へえ。あ、そうだ。あたしも一個調べてるよ。調べたって言うか、……その、この水着買った店員に聞いたんだけど、」


 そう前置きし、腕を組み、アリシアこう言った。


「なんか、サンオイル塗りって遊びがあるらしいぞ?」

「……………」


 童貞クズ野郎は固まった。


(それは多分遊びじゃないし屋内遊浴場でやる必要があるのかわからないしそもそも今からやる事でもないような気がする……)


 そう思いながら童貞クソ野郎の視線は豊満な二つのボールに止まっていた。

 腕を組んだ結果寄せてあげられて更にはちきれそうになってしまっている、そこ。


 それを見て、真剣な顔で、童貞は言った。


「……どんな遊びかわからないしとりあえず一回やってみよう」

「ああ。そうだな」


 わかっているのかわかっていないのか、アリシアは普通に頷いていた。



「……サンオイル塗りって、こういう……だから店員、効果的だって、」

「効果的?」

「いや、なんでも、ないんだけど……。なあ、レオ。やっぱりやめとかないか」


 ビーチブロックの隅の方。物陰になって、他の客の目に付かないその場所で、どこかおびえたような雰囲気で、アリシアはシートの上に座り込み、胸元に手をやっている……。


 それを前に、さっきスタッフから買い取ったサンオイルのボトルを手に、レオは言った。


「やりたいって言い出したのはお前の方だろ?」

「そう、だけど……」


 言い淀んだアリシアは、そこで視線を泳がせ、暫し何か悩んだ末……やがて唇を引き結ぶ。


「わかった。……わかったよ、そうだな。言い出したのはあたしだ。やるだけ、やってみよう」


 何か覚悟を決めたように、アリシアは頷き、シートの上にうつぶせに横たわる。

 そして、


「……こうするって、店員は言ってた、」


 その言葉の直後、アリシアは背中に手を回し、ビキニの上、その背で結わえられた布をほどいた。直後、締め付けていた豊満なバストの圧に負けたかのように、解けた布がしゅるりと、ビーチの上に敷かれたシートへと落ちていく。


「…………」


 レオの目の前に、一糸まとわぬ美女の背があった。うつぶせの彼女の背中が全て露わになり、解けた布の行き先を追えば、その視線は途上の地面に押し付けられた白い胸に止まる。


 アリシアは世界有数、最強格の美女だ。その美女がレオの目の前で。かなり無防備になっている。今少しでも身を起こせば、何に隠されるでもないその双丘が露わに、レオの目の前に現れるだろう。


「…………」


 童貞は何も言わずその横乳を見ていた。

 それを前に、アリシアが、肩越しに振り返る――肩越しに振り返った瞬間に、地面に押し付けられていた胸が少し浮き上がり、煽情的にわずかに揺れ、


「……レオ?」


 何所か心細そうに、アリシアはレオの名前を呼んでくる。

 それを前に、


「な、何でもない。じゃあ、その、……塗るぞ?」

「ああ、」


 どっちも緊張してがちがちになっているように、二人はぎこちなくそう言って……。


 レオはボトルの蓋を開く。と、そこで、だ。


「あ、レオ」

「なんだ?」

「あの、さ。えっと……店員が言ってたんだけど」

「……ああ」

「流儀なんだって」

「ああ」

「……その。……どこに塗っても、あたしは怒んないから」

「…………」


 あらゆる事故のお許しを直接頂いた童貞は固まった。が、この童貞はもはやただの童貞ではない。童貞クズ野郎にクラスダウンした生粋のクソ野郎である。


「…………ああ、」


 無駄にイケメンな真剣な顔でそう頷いて、童貞クズ野郎はボトルから粘性の液体を手に、あるいはアリシアの背中に零そうとして……。


 その瞬間である。


『あ~、お楽しみの所悪いな、チェリー。グッドニュースだ。シャロンに逃げられた』

(……それバッドニュースだろ、)


 通信魔術越しに届いたマリアの声に、童貞クズ野郎の動きは止まった。


「…………レオ?どうか、したか?」


 アリシアはそう、心細そうな声で問いかけて来て――それに、魔女の嘲笑に近い声が混じる。


『そのお楽しみ、シャロンに見られると大分まずいんじゃないか?まあ、私はそれはそれで面白いから良いがな』

「…………」


 魔女の言葉に、童貞はまた固まり……それに、どこか不安がるように、アリシアは視線をレオに向けてくる。


 その、アリシアの視線を前に、レオは、サンオイルのボトルを閉じ、地面に置いた。


 そして直後、アリシアの背に覆いかぶさるように、その解けたビキニを手に取ると……それを、アリシアの背中に、結び直す。


「レオ?……なんだよ。……しないのか?」

「こうじゃない。……アリシア、俺は、その……よこしまな気持ちでお前と、いや……よこしまな気持ちはあるけど。あるのは、確かだ。ああ、凄いある。お前は魅力的だからな。けど、こういう事じゃないんだ。それだけじゃないんだ」

「レオ?」


 水着を結び直されたアリシアは、身を起こし、レオへとゆっくりと振り返る。

 その目をまっすぐ見ながら、レオは言う。


「こういうのは、……順序があってしかるべきだろ?俺も、悪乗りして、悪かった、あの、ちょっと……」


 言いよどむように、レオはそう言って、立ち上がり、悩むように額を軽く押さえて、それから、アリシアの目をまっすぐ見て、言う。


「アリシア。俺はお前の事を大切に思ってる。だから……ちょっと、冷静になってくる。……これは、また今度にしよう」


 まるで凄い純愛に走っているかのような事を、童貞クズ野郎は平然と口走り、そしてアリシアに背を向けてその場を歩み去って行った。


 そうやって歩み去っていくレオを眺めて、アリシアは……。


「レオ……」


 何所か物憂げに、そう、吐息に近い囁きを漏らした……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る