間章 愛
アリシア・スカーレットは物心ついた時にはもう、感情を殺す術を身につけていた。
「――ハハ、」
感情を殺して目の前の相手を殺す。
あるいは、感情を壊して目の前の相手を壊す。
気付いたら返り血塗れ。それが愉しくて仕方ない……いや、愉しいとでも壊れないとその環境に適応することは出来ない。
アリシアの生まれは小国だ。マグノリアに敵対する狂信的な戦闘国家。国土の8割がスラムか焦土で、他人を害さなければ今日の食事にありつけない。カビていようがパンはご馳走。富は極々一部の上流階級に独占され、小奇麗な服も豪華な食事も何もかも、その上流階級をでっぷりと太らせるばかり。
アリシアはそのスラムで生まれた。
スラムで生まれて兵士になった。大人が死ねば子供が動員される。子供が動員される事を咎める人間が居ない腐った国だった。
家族は知らない。苗字はない。軍に入る時適当に、赤毛の少女はスカーレットと名乗った。
そうして世に出たアリシア・スカーレットは、人殺しの才能に溢れていた。
血を浴びて血を浴びて血を浴びて血を浴びて血を浴びて――そうすれば今日の食事がとれる。
壊して壊して壊して壊して、
「ハハハッ、」
少女は悪魔の様だった。未来を考える余裕も自身を顧みる余裕もそこにはなく……戦場で育つ。
その内良い上官に巡り合った。
その肥溜めのような国に生まれたのが不思議な位に出来た大人だった。この国の現状を憂いて、それをアリシアに説いていた。この国の上層部は狂っている。排除するべきだ。
アリシアはその主張に興味はなかった。都度、その上官はアリシアを咎め、アリシアに勉強をさせようとし、アリシアに構う。娘が居たんだ、とか言っていた。
興味がなかった。鬱陶しかった。
……そこは、戦場。
ある日、その上官が居なくなった。
敵の――マグノリアの悪魔が、その上官を殺したと聞いた。
失って初めて理解する。その人物が、自分の周りで唯一まともな人間だったのだと。
「ハハハハハハハッ、」
壊れなければ自分を保てない少女は、まともな人間になりたいと思った。
この国を壊そうと思った。意志を継ごうと思った。
上官の仇を討とうと思った。……どんな手を使ってでも、マグノリアの悪魔を殺そうと。
“赤眼のレオ”。それが現れたと聞いた戦場に都度、“鮮血のアリシア”は都度介入し都度暴れまわり都度すべて全て何もかもぐちゃぐちゃに――。
この世界で“赤眼のレオ”を一番殺したのは、――改変の為に自殺した分を数えなければおそらく、“鮮血のアリシア”だ。
だが、それはなかった事になった記憶。
“鮮血のアリシア”は、いくらやっても“赤眼のレオ”を殺せない。次こそ殺す、次こそ殺す、次こそ殺す――そうやって育って行った。
そして、その決着がつく前に、アリシアの国の方が滅んだ。
離間の刑、謀略策略騙し討ち……どんな手を使ってでも勝利を得ようとしていたのは“赤眼のレオ”も同じだった。
“赤眼のレオ”の方が何枚も上手だった。
“鮮血のアリシア”は敗北し虜囚になった。そして人生の目的を一つ失った。上官の意思を継いで、国を壊す――そのあたしがまともになる方法を奪ったのは“赤眼のレオ”。
人生の目的は一つになった。
そして、その人生の目的の方が、アリシアを口説いて来た。
『……鮮血のアリシア。俺の駒になれ』
敵対していたからこそ、アリシアが異常だとレオは知っていたのだろう。
レオの最終目的は魔王を殺す事。その為に、アリシアはレオからして、非常に有用な駒だった。
そして、捕えられ死を待つばかりだったアリシアにとっても、その提案は渡りに船だった。
『良いよ?……飼われてやるよ、』
寝首掻いてこの男を殺してやる。その結果の為に一切手段は問わない。こいつを殺すことがあたしの人生の最終目標。こいつはあたしから目標を奪った。生きる意味を奪った。同じことをしてこいつを殺してやる……。
そして、アリシアはレオの部下になった。
毎日のように殺しに行った。寝首を掻きに行った。毒を盛った。作戦の途中に裏切った。祝勝会の最中に首を刎ねに行った。それを、何度も何度も何度も……。
何度挑んでも、アリシアはレオを殺せなかった。
いや、実際には殺せている。殺せたことがなかった事にされているだけ……。
それでも恨む。それでも殺す。注視する、隙を探る、観察する、弱みを探る……。
隙を作る為に諦めたふりをする。失敗するごとに演技が上手くなっていく。失敗するごとに時間は経過する。
…………マグノリアは、酷く、まともな国だった。
アリシアの生まれ育った国からは考えられない程に。
戦時下とは思えないほどの平穏がその国にはあった。アリシアの基準化すれば酷く豪華でキレイな服を着て、アリシアの経験からすれば毎日がご馳走。
知り合いが出来た。友達が出来た。
シャロンだ。その娘はレオの弱みだろうと思った。弱みだろうと思ったから、演技でアリシアはレオに笑い掛ける。
『紹介してくれよ、そのお姫様』
そうやって知り合ったシャロンを前に、毒気が抜ける。
隙を見てこいつを人質にして、レオを殺そう。そう思って、信頼を得るまで演技を続ける。戦場を駆り、レオの指示を受け、縦横無尽に、鮮血のアリシアは踊り狂い、それが済めばレオと一緒にシャロンの元へ、戦場であった中で、遠出した中で、それでもシャロンが聞いて楽しいだろう話をする。
そうやって時間が過ぎていく……。
気付けば、演技のはずの笑顔が本物になっていた。
気付けば、鮮血のアリシアはまともになり始めていた。
まともになりながら、レオ・フランベールを観察し続けていた。
全部傍観していたんだろう、魔女が嗤う。
『ミイラ盗りがミイラになったか?』
『…………ッ、』
それに反感でも持ったかのように、アリシアはレオを殺しに行く。
だが、殺せなかった。
失敗したと言う訳ではない。
寝首を掻いて、組み伏せて、首筋にナイフを押し当てて――けれどその手は動かない。
『殺さないのか?』
レオ・フランベールは動じず、それだけ問いかけてくる。
それを、アリシアは睨み付け……。
『……止めだ。止めたよ。でも、許さない。あんたの事を一生恨む、』
それで、アリシアの復讐は終わった。
終わってアリシアの周りに残ったのは、善良な人々。心地の良い居場所。まともな居場所……。
まともになったアリシアは、一つ、肩の力が抜けた。肩の力が抜ければ、そこは良い世界だった。
誰があたしをまともにした?
誰があたしをこんな場所に連れて来た?
誰のせいでこうなった?あたしは誰に負けたんだ?
緩やかに、柔らかく、そんな――元からあったんだろう気質がいよいよ顔を覗かせるようになり、けれど芯は、情念は、ずっと一人を睨み続ける。
それは恋ではないだろう。強烈な恨みだ。
あんたがあたしをまともにした。
あたしをまともにしたあんたを……あたしは一生、許さない。
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