3 膝枕と修羅場

 ふと、目を開けると、目の前に何かの影があり、頭の下が何だか柔らかい……どこかに寝かされているらしい。


「う、」


 とうめき声を上げ、レオが身を起こし掛けた瞬間、


「あ、起きたか?」


 と言う声が目の前の影の向こうから聞こえ、

 ポスン、と、レオは向こうは向こうで少し屈んだらしい、柔らかい何かに顔を突っ込んだ。


「あ、……」


 と言う呟きが、柔らかい何かの向こうから聞こえる。

 アリシアの声だ。そして、今顔を突っ込んでいるのは、


「――――ッ、」


 腰を抜かすように、どうも寝かされていたらしいベンチから転げ落ちるように、そう身を引いた童貞を眺めて、ベンチに腰かけていたアリシアが、……やがて、柔らかな笑みを零した。


「……そんな驚くか?」

「あ、アリシア……何を?何が?一体……」

「アレ、冗談で電撃機能つけたんだってさ。昨日通りがかったカップルが修羅場で、彼氏に恋人がつけて騒いだのがウケて、ちょっとスポンサーが増えたから、悪ノリしたとか」

「悪ノリって……」


 悪ノリで気絶するレベルの電流を喰らったのか?

 そして透明化するローブの後に電撃鞭あるのって予定調和じゃないか?その彼氏が怒らせるようなことしたんじゃないのか?


 そう、とにかく戦々恐々とするレオを前に、アリシアはまた言う。


「で、あんた気絶したし……だから、そうだな。あたしも悪ノリした」


 そんな事を言って、アリシアは自身の膝、いや太ももの辺りを軽く叩いていた。

 膝枕されていたようだ。そして、身を起こそうとした瞬間レオが顔を突っ込んだのは……。


 と、思い出すように、アリシアの身体を眺めたレオを前に、アリシアは呆れたように、からかうように、言う。


「…………もうちょっと休んでくか?」

「いや、……あの、……く……」


 どもって、童貞はすっくと立ちあがった。

 それを、アリシアはもう完全にからかう調子で眺め、言う。


「嫌?……嫌だったのか?」

「いや、いやじゃな、イヤ……そう言う意味の嫌じゃ、イヤ、……く……」


 完全に遊ばれた末、レオは一つ、深く息を吐き。

 それから、傍目には全く動揺してないように見えるポーカーフェイスで、言う。


「ちょ、ちょっと、飲み物買ってくりゅ」


 童貞は噛んだ。噛んだ童貞を前に、アリシアはくすくす笑い、もはやあやす様な声音で、


「買ってくりゅの?」

「……………………飲み物買ってくる」


 今度こそはっきり言い、完全に逃げるようにその場を去ったレオを眺め、アリシアはまだからかうように、楽し気に笑っていた……。


 *


 魔導技術博覧会、その会場の中心辺り。出店が幾つか並んでいるそこで、買ったジュースを二つ手に、レオは胸中呟く。


(……ハァ。まあ、アリシアが楽しそうだから良いか、)


 なんかおかしな方向性に行きかけている気がしないでもないが、一応アリシアは楽しそうにしていた。


 レオの希望に沿った場所で、アリシアが楽しんでくれるなら、それは喜ぶべき事なんだろう。


 アリシアのサドっ気が表に出始めているような気がするが。

 “鮮血”の二つ名が伊達ではないことをレオは良く知っているが。

 戦場で笑顔を浮かべる彼女にそういう側面があることもレオは良く知っているが。


 …………出来れば柔らかいままで居て欲しいモノである。と、仏教面ではた目にはクールにさっき顔を突っ込んだ胸の事を考えている童貞の耳に、ふと、彼の今の二つ名が“童貞”だけではないことを思い起こさせる声が届いた。


「いや~さっきのは凄かったな、シャロン。踊るシャロンが永遠に残る……」

「そうですね、お父様。あの映像すぐ消して貰わないと……」


 と言う会話が、もはや回避不能な目の前から届いた。


 華奢な少女と大柄のおっさんが並んで歩いている。二人共、王城で見るのよりだいぶラフで、おっさんはパツパツのシャツに袖を通し、機嫌良さそうに笑い、その横のシャロンは白いワンピースで、少しうんざりしたような表情を浮かべている……。


皇帝おっさん?……シャロン!?なぜ……)


 天国から地獄とはまさにこの事、一瞬にして楽しいデートが惨劇に変わりかねない邂逅に、童貞クズ野郎は固まり。


 そんな童貞クズ野郎に、シャロンは気づいてしまったらしい。


「レオ!」


 と、直前までのうんざりした表情を笑顔に隠し、白いワンピースの少女は駆け寄ってくる。

 そして、シャロンは言った。


「レオも、来てたんですか?じゃあ、来て良かったです。お父様が一緒に遊びたいって、むりやり……」


 と、朗らかに、父親に溺愛されて休日付き合わされているらしい少女は言って、言いながら、シャロンの視線はレオの両手に止まった。


 レオは両手に、ジュースを持っている。それを確認したシャロンの顔が、笑顔のまま、けれど輝きを失っていき……。


「…………………誰と来てるんですか?」


 表情のない笑顔のまま、シャロンはそう小首を傾げた。


「…………一人で」

「誰と来てるんですか?」

「シャロン!信じてくれ!俺は本当に一人で、」

「誰と来てるんですか?女の人?ですよね?だってレオ、焦ってますし」

「……………………」

「……………私に言えないの?私に言えない人と来てるの?」

「……………………」

「……実はさっき、見たんです。くるくる回ってるアリシアさ――」


 と言う言葉を聞いた瞬間、レオはふと、両手のジュースを捨て、背筋を伸ばし、言い切った。


「リテイクだ!」


* 


「う、」


 とうめき声を上げ、身を起こしたレオは、


「あ、起きたか?」


 と言う声を向こうに、ぽすんと、柔らかさの中に顔を突っ込んだ。


(…………ついこのタイミングに戻ってしまった、)


 が、今は柔らかい柔らかくないと言っていられる状況じゃない。

 すぐさま、ベンチから転げ落ちるように、地面に降り立つと、レオはアリシアへと言った。


「アリシア、もう帰ろう」

「え、なんでだよ」


 驚き戸惑うように眉根を寄せるアリシアを前に、レオは必死な表情で、言う。


「もう、十分俺は楽しんだ。もう、良いんだ。早くここを離れよう」

「…………」


 真剣に言ったレオを前に、アリシアは尚も戸惑うように、黙り込み……。


(……こうしてる間に、シャロンが近づいて来ているかも知れない。見られる訳には……)


 そんな危惧に押されるように、レオは少し強引に、アリシアの両肩を掴み、言った。


「アリシア!」


 これでこないだシャロンは大人しくなった。と、童貞の浅い経験はそう思い起こしたのだ。これで言う事を聞いて貰えた、と。


 が、…………今はそう言うシチュエーションではない。

 強く両肩を掴んだレオを、アリシアはどこか、困ったように見上げて……やがて、言った。


「……そんなに、怒らせたか?」

「え?」


 童貞クズ野郎は馬鹿みたいに言った。

 当然、レオに怒っているつもりはないが、アリシアからすると目覚めるなり語気強くここを離れようとするレオは、さっきの首輪と電撃に大層怒ったように見える。


 肩を掴んだレオの前で、アリシアは俯き、呟く。


「悪ノリし過ぎた、よな。悪い。なんか、楽しくなっちゃってさ。一応、さっきの、お詫びのつもりだったんだけど……怒るよな、」


 首輪付けて電撃流したお詫びに膝枕してくれてたらしい。

 ある意味、と言うかそれこそ飴と鞭である。が、それでもレオが怒っている……とアリシアは解釈した様だ。


 どうも失敗したらしい。そう気付いて、アリシアの肩から手を離し、沈んでしまったらしいアリシアへ、レオは言う。


「いや、そういう事じゃ……」

「良いんだよ。……じゃあ、そんなに言うなら、もう帰るか」


 どこか寂しそうにアリシアは言って、立ち上がり、出口へと歩き出した。

 そこには、当然、リテイクする前にあったアリシアの笑顔はない……。


 ある意味これも、改変のデメリットだ。どんなに楽しい思い出があったとしても、消せばなくなる。レオが覚えているだけになる。しかも改変を重ねれば重ねるだけ、その思い出は遠くなる……。


 アリシアは、歩み去っていく。その背中を、レオは眺め……。


(このまま帰れば、シャロンと会う確率は低くなる。だが、……)


 レオは、二股がばれたくない訳ではない。いや、二股はバレたくないが。バレる訳にはいかないが、バレる訳に行かないのは、そう、二人の笑顔を守る為。


 笑顔を消してしまってまで誤魔化しに走れば、本末転倒だ。


(……アリシアが楽しいなら、デートは継続だ。継続しながらシャロンを避ける……)


 童貞クズ野郎はそれはそれでクズな決断を下した。

 そして、レオは言う。


「…………リテイクだ」


 *


「う、」


 とうめき声を上げ、身を起こしたレオは、


「あ、起きたか?」


 と言う声を向こうに、ぽすんと、柔らかさの中に顔を突っ込んだ。


 もう3回目である。通算3回目。いや、多分、デートを継続となればこの先3回では済まない長い戦いになるだろう。デートを継続しながら、シャロンに発見される度にやり直すことになるのだ。


 そう、真剣に考えながら、レオはアリシアの胸に顔を突っ込み続けていた。


「…………レ~オ?嬉しいか?」


 アリシアの声がする。呆れた雰囲気ではあるが、怒った雰囲気ではない。その声に、レオは漸く顔を胸から離し、……そのまま横になった。


「ああ。……できればもう少しこのままで居たい」


 そう、膝枕されながら童貞クズ野郎は平然と言う。それに、やはり、アリシアは呆れた風に……。


「まあ、良いけど……」


 そう、呟いた。その声を耳に、どこか安堵するような息を漏らし、……レオは考える。


(……このまま過ごしてればシャロンと会わない可能性はないか?)


 ワンチャンあるかもしれない。このまま、日が暮れるまで膝枕して貰えば、シャロンとエンカウントせずに過ごせるかもしれない。その可能性は限りなく0に近いような気がしないでもないが、0でないなら試す価値はある。


 仮に0だったにしても、まったく行動しなかった場合にどの程度時間的余裕があるか調べる事は出来る。

 暫く、そのまま、ゆったりと時間が過ぎていく……。


 と、だ。そうしているうちに、ふと、優しい指先がレオの頭に触れた。


 どうも、アリシアに撫でられているらしい。そうやってレオの頭を撫でながら、アリシアは遠くを眺めて、呟く。


「レオ」

「……なんだ?」

「なんか、今あたし嬉しいよ。平和だなって思う」

「………………」

「こんなのんびり過ごせたのって、そんななかったろ?今、あんたもあたしも、別に英雄じゃなくて良い。何にもしないで、のんびりしてても良いんだな、」


 本心から言っているのだろう。


 レオもアリシアも、戦争ばかりして育ってきた。興味も労力も時間も、大抵戦争に使っていた。


 こういう無駄にして良い時間は、ほとんどなかった。無駄に過ごしても後悔せずに済みそうな、柔らかな時間は。


 その、アリシアの言葉に、レオは返事をしようとして…………。


「あ、アリシアさん。と…………レ、オ?」


 向こうから声が投げられる。と、同時に、レオの頭を撫でるアリシアの指に、痛い位に力が入って髪が掴まれて……。


(痛い……が、どうせこうなるだろうとは思っていた。猶予は5分ほどある。その間に上手くアリシアを次に誘導すれば良い)


 そんな思考の直後、レオは呟いた。


「リテイクだ痛ッ、……頭皮を抉るな、いや、抉らないでください……」


 *


「う、」


 と目覚めた直後胸に顔を突っ込み、そのままレオは言った。


「……はげるかと思った」

「なんだよ、レオ?なんて言った?……くすぐったいんだけど」


 と言う声が聞こえて来た瞬間、レオはベンチから転がるように下りて、それから、言う。


「いや、……ちょっと変な夢を見た」

「……あたしの膝枕の夢見心地が悪かったか?」


 そう、どこか拗ねたように、アリシアは目の前で太ももを叩く。

 その表情は、拗ねた風には見えるが……。


(怒ってるわけじゃないな。まだ楽しんでる、)


 それを確認した上で、レオは――。

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