間章 恋
シャロン・マグノリアは生まれつき感情が希薄だった。感情がない、と言う訳ではない。感情は感情で切って捨てた上でそういうモノ、と何もかもに納得してしまえる人格だった。
ある意味、異常な程素直で良い子、とも言えるだろう。
皇族として生まれ、唯一の娘と父親に溺愛され、立場や役割を理解した上で微笑み続ける癖が幼少期から体に染みついていた、と言う話だ。何に対してであれ受動的に受け取り眺めて微笑んで、そう微笑むだけで褒められる生活。
主体的に何かに興味を持つことがあまりなかった。
何かに強く感情を揺り動かされる経験もなかった。
シャロンが幼くして母が病で逝った。父や兄、家族はソロを酷く嘆いた。シャロンは嘆いている彼らの顔を見てから、涙を流した。
母親を嫌っていた訳ではない。優しく聡明な母親だった。過保護になろうとする父を諫めている姿を見るのは楽しかったかもしれない。古城の中だけとはいえシャロンにある程度の自由が担保されていたのは、母親が居たからだ。
それが悲しいと思わなかった訳ではない。ごく幼くしてもう既に、仕方がないと納得できてしまえるような人格だっただけだ。
母親が居なくなり、家族の顔色を窺ってから泣いて、泣いて見せながら胸中首を傾げた。
“……わたしってなにか変なんでしょうか?”
そんな幼い問いかけが唯一出来たであろう相手は、先日病で逝ったばかり。
幼い漠然とした不安は誰に吐露されることもなく、一人古城の深窓に佇むうちに少しずつ膨らんでいき、やがて一つの欲求になった。
何かに興味を持ってみたい。
それが願いになってしまう時点で彼女は希薄だ。
希薄な彼女は冒険に出かけてみる事にした。古城の中に居て、これと興味を持てるモノに出会えなかったのであれば、ならばもう、外にそれを求める他にない。
幼いシャロンは大人の目をごまかして、城下に冒険に出かけてみた。
不運だったのは、そう幼く想ったその時。この世界は戦時下にあり、マグノリアの首都であれば尚の事、敵対勢力の暗躍には事欠かない。
誰に告げず一人で外に出たシャロンは格好の獲物だった。
シャロンは誰かに捕えられた。大人の男たちがシャロンを捕えた。
それが危機的状況だと理解していなかった訳ではない。あるいはその逆で、幼くしてもう、自分の手に負えない状況、と言うモノを完全に理解できてしまえていたのだろう。
敵に囚われたながら、泣き叫びもせず、特に表情を見せる事もなく……それが、捕えた男たちはおもしろくなかったのかもしれない。
『気味悪いガキだな、』
殴られた。痛かった。痛いなぁ、と、首を傾げた。それしかリアクションを返さなかったのが、多分その男たちはやはり面白くなかったのだろう。更に苛立ちを募らせた様子で……。
けれど、そんなどう転んでもろくなことにならないだろう状況の皇女を、救った人物が居た。
シャロンはその相手を噂話程度に知っていた。
軍に悪魔が居る。悪魔のガキが居る。そんな噂話を古城で耳にしていたのだ。
自分よりほんの少し年上の少年。華奢な少年。一歩間違えれば女の子にも見えそうな、黒い髪に赤い瞳の少年。
単身、駆けつけた彼は、シャロンから見て扱くあっさりと――あっさり殺せるまでやったのだろう。シャロンを捕えた大人たちを倒して、それからシャロンへと、大人のように頭を下げる。
『殿下。……ご無事ですか?』
そう言った少年の赤い瞳には、……酷く複雑で狂信的な情念が揺れていた。
その瞳に、シャロン・マグノリアは人生で初めて何かに興味を持った。
レオ・フランベール。自分より二つ年上。先日マグノリアの軍に入り、幼くしてもう明らかに異常な功績を上げている少年。
シャロン・マグノリアを救い出した功績で、皇帝の覚えがめでたくなった少年。
彼は頻繁に王城に出入りするようになった。
シャロンは興味を探しに冒険する必要がなくなった。
興味を持った。興味を持ったから見かけたら追いかけて後ろからじっと眺めていた。てこてこ追いかけて物陰から眺めた。そうやって追いかけていると、その内向こうが声を掛けてくる。
『殿下。何か御用ですか?』
『……いいえ。特に用事はありません』
そう応えたシャロンを前に、幼いレオは完全に困っている様子だった。それを見ているのはなんだかおもしろいような気がした。だからまた追いかけた。物陰から眺めた。そうしていれば向こうが声を掛けてくる。
『……殿下。一体、』
『なんでもないです』
『…………ハァ、』
少年は弱り切ったようにため息を吐く。
暫くそう言う日々が続いた。そう言う日々が続いていくうちに、だんだんやり取りの口数が多くなり、だんだん仲良くなり、シャロンは悪戯とは面白いモノだと言う事を知った。
困らせて遊んでそれに少しずつレオの表情は柔らかくなり、けれどある日ふとその瞳に暗い情念が宿る。そんな表情を見てから暫く、レオは古城に姿を見せなくなり、次に姿を見せた時に、シャロンを前に息を吐いていた。
そんな風に、育っていく。
気付くとレオと呼びかけている。気付くとシャロンと呼ばれていた。いや、呼ばせた。
『なら、……二人で居る時はシャロンって呼ぶよ、』
そう、どうも少し気取ることを覚えたらしい、幼さが抜けて来た少年が、なんだか面白かった。
レオの境遇を聞き、レオの目的を聞き、レオの後を追いかけて、レオの事を調べて……。
そうやってまた時が立ち、ある日シャロンはレオにわがままを言ってみようかと思った。
レオの横にマリアと言う美女がいるらしいと知った後である。王城に顔を見せないからあった事はないが、そう言う“魔女”と暮らしている、と。
それが何でわがままにつながるのか、シャロンは自分ではよくわからなかった。
けれどレオにねだって見たくなった。
“内緒でお城の外に連れ出して?”
そんなお願いをしようと、やって来たレオの顔を見てみれば……その表情に深い苦悩があった。
おねだりを口にせず、シャロンはレオに尋ねた。
『何かあったんですか?』
そのシャロンの問いに、レオは何か傷ついたような表情を見せ、それから言い出した。
俺はシャロンを利用していた。
昔、俺が助けたから興味持ったんだろう?
あの状況を俺は利用しただけだ。皇帝に近付く為に。出世の為に利用しただけだ。
何があったのか……レオがなかった事にした出来事の事は何も語らず、レオはそう、遠ざけようとするように言う。
それを前にシャロンは首を傾げて、言った。
『はい。知ってますよ?』
レオが育つのと同じだけ、あるいはそれ以上にシャロンもまた聡さが増している。
レオの目的は知っているし、その条件に出世が入っていて、状況からすれば皇帝に溺愛されているシャロンに近付く事は一番楽な方法だろう。そのくらいはわかる。
わかった上で……。
『別に、私は気にしません。全部打算で仲良くなったんですか?レオはそんなに器用じゃないでしょう?』
そんな風に、悪戯っぽく微笑んで、遠ざかろうとした分だけ距離を詰める。
何を意識するでもなく、そんな風に振舞って、やたらと深刻そうなレオを宥め……なだめながら、感情の希薄な少女は考える。
別の目的に利用されていたとわかった上で、いや、わかっていた上で、けれど自分は距離を詰めようとしている。別に仲良くなれたのならそれで構わないと思っている。レオの周りに別の女の影があると知って、行動を起こそうと思う。
この感情は何なのだろうか?
考えて、調べて、考えて……。
やがて、大人になり始めた少女は知った。
……その感情には、あるありふれた、一つの名前が付くのだと。
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