4 (クズとして)覚醒する天才軍師(童貞)

 ――ふと、気付くと、目の前に俯き加減のシャロンがいる。


「……あの、もしかして、ですけど。私、一人で盛り上がっちゃってましたか?」

「…………」


 そのセリフには聞き覚えがある。ついさっき聞いた。


改変リテイク……俺は、使ったのか?そうだな、使ったな、良心の呵責に耐え切れず……)


 と、真剣に考えるレオを前に、シャロンは続けている。


「さっき、何か言いかけてましたよね?怖くて、誤魔化しちゃったけど……何を言おうとしてたんですか?」

(この、後だ。この後、数秒後にアリシアが来る。だから、その前に、)


 ……どうにか逃げよう。あの未来を回避してどうにか誤魔化そう。さもないとレオの良心が持たない……。


 そう、危機感に駆られた結果クズ度を増しながら、レオは言う。


「シャロン!」

「は、はい!」


 大声を上げたレオを前に、驚いたようにシャロンは背筋を伸ばし――そんなシャロンの手をレオはいきなり握ると、


「話してる時間はない。俺と来てくれ、」


 そう言うなり、アリシアがやってくる方向と真逆に、シャロンを連れて駆け出した。


「あ、は、はい……」


 何か照れたような目を白黒させているようなそんな声が背後から聞こえるが、それに関わっていられる状況ではない。


(速く、逃げないと……エンカウントすれば地獄が待っている。そう、これは、シャロンの為でもある。……シャロンの笑顔を守る為なんだ!)


 天才軍師は順調にクズの道を邁進していた。

 と、そうやって逃げ出したレオ――その背後、ずっと向こうで。


「あ、」


 そんな弾んだような声が、レオの耳朶を叩いた。


(捕捉されたか……ッ、)


 歯噛みし、レオはチラリと背後を振り返る。その視線の先、通りの向こうにいたアリシアの姿が――直後、掻き消えた。

 と、思えば次の瞬間、


「レオ。……何してるんだよ、こんなところで」


 ――さっきまではるか遠くにいたはずのアリシアが、レオの眼前に現れていた。


 鮮血のアリシア。マグノリア帝国、いや世界でも最強格の武人。その動きは、もはや常識で測れるレベルではない。


 恋人を見つけたアリシアは、飛んできたのだ。より正確に言えば、人間離れした脚力で通りの両隣の建物の壁を連続で蹴って、目にもとまらぬ速さで、レオの目の前まで移動してきた、である。


(…………やはり、敵に回すと化け物か、鮮血のアリシア……)


 そう歯噛みし、レオは立ち止まり――そうやって急に立ち止まったからだろう。


 レオの背後で、「キャッ、」と言う声と共に、シャロンが足をもつれさせた。

 半ばレオに抱き着くように、立ち止まったシャロンの頭から、帽子が落ち、金色の長髪が流れ……。


「どうしたんですか、レオ。急に……でも、強引なのも、ちょっと良いかも、」


 何かにちょっとテンションを上げてしまわれたらしいお姫様は少し息を弾ませて上目遣いにうるませた目でレオを見上げてくる――。


 ――瞬間、殺気がレオを叩いた。


 恐る恐る、と言うかもう見ないでもわかる。ポスン、と真新しい服の入った紙袋が地面に落ち、それを足元にした赤毛の美女は、洞穴のような目でレオを睨み付け……。


「…………………」


 そして、やはり何も言わない。何も言わないが殺意と絶望を如実に伝えてくるアリシアを前に、レオは言った。


「待て。わかった。わかってる。誰が一番悪いかわかってる。……始末は自分でつける」


 言うなり、レオは短剣を取り出し――。


「リテイクだ!」


 その声と共に、それを自分の心臓へと突き立てた。



――目の前に俯き加減のシャロンがいる。


「……あの、もしかして、ですけど。私、」


 と言っているシャロンを前にレオは思考する。


(アリシアの身体能力が高すぎる。発見されたら終わりだ。真っ当に逃げて逃げられる訳がない……)


 改変は強力な能力だ。が、そこには一つルールがある。

 一度改変を使用した場合、その戻った地点より過去へは戻れなくなる。


 つまり、このタイミングに戻ってきてしまった以上、この前――例えばデートの最初に戻ってルート自体を変える、と言う手段はとれない。


(アリシアに発見されるまでおよそ30秒……それまでにどうにか、逃れる為に、)

「……一人で盛り上がっちゃってましたか?」


 そう、躊躇いがちに見上げて来たシャロンの手を強引にとり、レオは言った。


「後にしろ、来い!」

「あ、……は、はい、」


 と、不安を吐露した直後に強引に迫られて大人しくなったシャロンを連れ、レオは駆け出す。


(逃げるのは無理だ。なら、隠れるしかない……)


 即座に周囲に視線を奔らせ――手近な路地裏。いや、路地裏とも言えないような細い建物と建物の間に、レオはシャロンの手を引いて駆け込んだ。


 そして、駆けこんだ直後、シャロンの手を半ば無理やり――焦りで配慮する余裕がないままに、路地裏に引き込み、抱き留めて影に隠し、レオは外の様子を確認する……。


(アリシアは……どこだ。まけたか?)


 捕捉される前に隠れる事は出来たはずだ……と、そう油断なく外を確認する強引に路地裏に引き込んできたイケメンの腕の中で、


「あ、」


 シャロンはふと、そんな吐息のような声を漏らすと、身体の力を抜いてレオにもたれ掛かってくる……。


「シャロン?どうした?何所か怪我でも、」


 言いかけたレオの胸元を、シャロンはふと握りしめた。そして、全身でもたれ掛かりながら、上目遣いに見上げる目はうるみ、頬は赤らみ……。


「これが、答え?強引に……路地裏に?」


 何かのスイッチが入ってしまったらしいお姫様はそう吐息のような声を漏らす。

 それを前に、レオは何かを言う――その間すらなく。


「見つけた。レ~オ?」

「うわァァァァッ!?」


 突如可愛らしい声と共ににゅっとアリシアの顔が路地裏を覗き込んできた。

 素っ頓狂な声を上げたレオを前に、不満そうに、アリシアは言う。


「なんだよ、そんな驚かなくても良いだろ?」

「あ、アリシア……なんで?俺は隠れたはず、」

「隠れるとこ見てたよ、あたし目、良いし。ていうか、なんで隠れ……」


 言いかけたアリシアの視線が、レオの腕の中――スイッチが入ってもはや周囲がどうでもよくなっているかのようにとろけた目でレオだけ見上げている、シャロンを捉えた。


 瞬間、アリシアの目から光が消え……。

 レオは叫んだ。


「リテイクだッ!」



 改変リテイク数、23回。23回やってレオは状況をかなり把握した。


(アリシアの兵士としての能力が高すぎる。到達まで30秒なだけでこの状況でもう捕捉されてる。流石、鮮血のアリシア……優秀だな)


 23回あらゆる逃走や隠れ場所を試したがアリシアに全て看破されたのだ。


『レオ?』『レ~オ?』『レオ!』『……み~っつっけた。レオ?』


 鮮血のアリシアの笑顔がレオはトラウマになりそうだった。

 が、……だからと言ってこの程度で諦める訳にはいかない。


(そもそも、もう発見されている時点で俺は詰んでいるのか?魔王相手ですら勝ち筋を見つけたのに?この状況で生き延びる目はないって言うのか……いや、違う)


 改変と改変の合間。死んでから再開されるまでの刹那にして無限の思考時間の最中、レオは結論を出す。


(発想自体が間違っている。ゴールは逃げる事でも隠れる事でもない。……戦術目標は一つ。二股をごまかすことだけだ!)


 覚醒したクズ――その眼前で、また、時間は進み出す。


「……あの、もしかして、ですけど。私、」


 とか言われてるこの一秒が惜しい……。


「シャロン!」


 いきなり大声を上げ、レオは目の前にいるシャロンの肩を強く掴んだ。


「は、はい!」


 驚いたように、同時に息を弾ませるように返事をしたシャロンの目をまっすぐ見て、レオは言う。


「御託は良い。俺はこの時間を楽しんでる。けど、俺もはしゃぎ過ぎて少し疲れた。何か飲み物でも買ってきてくれないか?俺は、少し、その辺で休んでるから」

「…………は、はい、」


 何所かドギマギ、目を白黒させて胸に手をやりながら、放心状態のようにシャロンは頷き、そのまま、何処か浮ついた足取りで背を向けて、歩み去って行った。

 それを、レオは見送り……。


(一度目で言う事を聞いてくれた?……まあ、立ち去ってくれるならそれで良い)


 強引に振舞う、を無意識に発動したイケメンはそう、シャロンを見送り……。

 そうやって眺めた先でシャロンの姿が離れた後。


「レオ?」


 そう、背後から声が投げられた。

 振り向いた先にいたのは、当然紙袋を手にしたアリシア。その、トラウマになりそうなくらい知っている邂逅を前に、


「アリシア?……どうしたんだ、こんなところで」


 改変慣れしたレオは驚いたようにそう声を上げた。


「あ?ああ、あたしはちょっと買い物。それより……レオ。さっきまで誰かといなかったか?アレは?」


 そう、アリシアは人ごみの向こうに視線を向けている――それを前に、レオは内心笑った。


(やはり、アレをシャロンとは認識していなかったか……)


 レオと誰かが歩いている、とは、アリシアは認識していた。だが、レオの隣にいる相手は、遠目には少年に見える。アレがシャロンとばれてはいない。ばれていないのなら……。


「戦後処理の時に出来た知り合いが観光に来てるんだ。ちょっと案内してる。……ちょっと歩き疲れたから、飲み物買いに行って貰ってるんだ」

「ふ~ん……。レオは、体力ないしな」

「お前と比べたらだれでもそうだろ。……で、買い物だったか?何買ったんだ?」

「え?ああ、えっと……」


 そこでアリシアははにかみ、照れくさそうに言う。


「……服。あの、やっぱドレスは気合入り過ぎだから、可愛い服買って……そうだ。道案内、終わってからでもさ、あの、似合うかどうか……」

「お前は何着ても似合うだろ。美人だから」

「……………」

「楽しみだ。けど、……次のデートにとっておきたい気がする。今日は我慢するよ」

「そ、そっか……」


 照れたようにアリシアはまたはにかんで、大切そうに紙袋を抱きしめると、


「じゃあ、えっと……また今度、楽しみにしててくれよ」


 照れくさそうにそう言って、レオに背を向けて去っていく。その去っていく方向は、アリシアが元来た方向。


 どうもアリシアは、レオを見かけて嬉しくて駆け寄って来ただけらしい……。


(良し、最終関門もクリアだ。やったか?やったな?……これはこれでなんか、良心の呵責が、…………いや。良いんだ。これで良い。俺は二人の笑顔を守り切った!)


 クズはそう、人間として間違っている達成感の中、息をついた。

 と、だ。そこで、アリシアを見送ったレオの背後で立ち止まる人影があった。


 振り返ると、すぐ後ろに両手にジュースを持ったシャロンの姿がある。俯き加減で……アリシアがいた事には気づいていないらしい。少なくとも殺意は向けられていない。


「ああ、シャロン。ありがとう、」

「は、はい……」


 妙にしおらしく、俯き加減で頷いたシャロンは、レオにジュースを差し出し……それから、上目遣いにレオを見ると、言う。


「ねえ、レオ」

「なんだ?」


 普通に問いかけたレオを前に、シャロンはふと背伸びして、レオの耳元で、か細く囁いた。


「さっきのガシって奴。後でもう一回、して?」

「…………」


 レオがクズに目覚めると同時に。

 お姫様も何かしらに目覚め始めているらしかった……。



 激闘を終え、日の落ちたマグノリア……その片隅のアパート。


 いつものようにラフな格好で、雑にソファにもたれ掛かり、さくらんぼのフレーバーのビスケットをどこか苛立たし気に、マリアは睨んでいた。


 と、だ。その視界の一角で、ふと、扉が開く。

 そして、入って来たのは、何か達成感に満ち溢れた顔をした青年だ。その表情を前に、マリアは言う。


「なんだ、レオ。今度こそクラスチェンジしたか?寂しいな、もう童貞となじれないのか。チェリーなお前が好きだったよ、」

「………………」


 言われた瞬間視線を逸らして数秒前まであった達成感らしきものを萎ませた青年に目を細め、小馬鹿にするような笑みを零し、マリアは言う。


「そうか。やはり不治か」

「不治じゃない!……それに、そう言う問題じゃない。これはある意味純愛なんだ」

「知ってるか童貞?クズ程聞こえの良い言葉を使いたがる。それで騙せると浅はかに考えてな。馬鹿なんだよ、馬鹿」

「クズだと言われようが、構わない。…………俺は二人の笑顔を守り抜いて見せる」

「そうか、童貞クズ野郎。死ね。……お前、改変使っただろう?使ったことは私にもわかるんだぞ?」

「もう手段は問わない。どうののしられたって良い。……俺は二人の笑顔を守り抜く!」

「わかったわかった、童貞クズ野郎。その達成感で変色するまでマス掻いてもげて称号を不治にして永遠に寝ろ」


 取り合う気ゼロで、気だるげに、辛辣に、マリアはさくらんぼのビスケットを齧り、予想より味が薄いんだろうそれに、眉を顰める。


 と、だ。そんなマリアの元に、レオはふと真剣な顔で歩み寄ってきた。


「……なんだ、クズ野郎」


 そう視線を向けたマリアの肩を、突然、レオは両手で強く掴んだ。

 そう、強引に肩を押さえつけられ……マリアはいらだったような表情で、吐き捨てる。


「この手はなんだ童貞。殺すぞ」

「……………大人しくならないのか?」

「……何を言ってるんだ?」

「シャロンには効いたんだが……。アリシアにも今度試してみるか、」


 そう、ぶつぶつ呟きながら、レオはマリアに背を向け、自室へと歩んで行く。

 それを、マリアは見送り……やがて吐き捨てた。


「……馬鹿が。女がそう単純だと思ったら大間違いだ」


 そして、マリアは視線を向ける。部屋の隅にある机。その上に置かれた、真新しい万年筆へ……。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る