2 押し負ける童貞
(……正直に話そう。正直に話せば、まだ何とかなるはずだ……)
翌日。
そう決意を固め、マグノリア城の廊下を、レオ・フランベールは仏教面で歩んでいた。
今日のスケジュールは、昼の12時からシャロンと
(それで世界は、俺の命は平和になる……。お前の勘違いだって、言えば良いだけだ)
ある意味魔王との決戦より緊張してる気がする。そう眼光鋭く、レオはシャロンの私室――衛兵代わりに特別な訓練を受けたメイドが両脇に控えているその扉をノックした。
その瞬間、待ち構えていたように扉が開き、細い指がレオの腕を掴んで、部屋の中へと引き込んだ。
「ッ、」
身体能力に恵まれている訳でなく――そう言う能力が必要な状況は文字通り勝てるまでやり直してやって来た――英雄は、部屋に引き込まれると共に、その場に転び、
「あ、」
レオを引き込んだその誰かが、レオの目の前、すぐ傍でそんな声を上げる。
パタン、と背後で扉が閉じ、直後、その場に沈黙が下り立った。
「いたた……」
レオのすぐ目と鼻の先で、レオを引きずり、一緒に倒れる形になった少女が、そんな呟きを漏らしていた。
シャロンだ。昨日のパーティとは違って、そこまで着飾ってはいない……だがそれでも品のある上質な生地の、薄手のドレスを身に着けていて、金髪が地面に流れ、ピアスが揺れ――長いまつげが、青い瞳が、押し倒す様な格好のレオの目を間近でまっすぐ眺める。
「あ、ごめんなさい、レオ。その、ちょっと悪戯しようかなって……」
そう、言いかけるシャロンの視線が、ふと、落ちる。
その視線をレオは追いかけ……けれど追い切る前に、彼女の視線が落ちた理由がレオにはわかった。
右手の先に温かい感触がある。上質なドレス、その生地、そしてその生地の向こうの柔らかさを、レオの手は掴んでいた。
レオの指が沈み込んでいる。……シャロンの、胸に。
それを、レオとシャロンは二人同時に見て、直後お互いに目を合わせ……。
「………………」
シャロンは何も言わなかった。その格好のまま、レオをつき飛ばそうともせず……どこかうるんだ目で、レオを見上げている。
その目を、レオもまた見返し……。
(……………………)
思考停止した。思考停止のままレオの右手が本能に突き動かされて感触を確かめた。途端、
「あ、」
小さく、シャロンが声を漏らした。そして、その声を聞いた瞬間に、仏教面のまますっくと、レオは立ち上がる。
(…………ちちち違う。こうじゃない。こうじゃないっていうか、なぜ嫌がらない?良いのか?いや、良いのかじゃない。そうじゃない、冷静に、冷静になれレオ。勘違いだったって言うんだろ?)
英雄、レオ・フランベールは童貞である。
無駄にイケメンな童貞はイケメンなせいで内心の動揺がわかり辛く、気取った風に見える仕草でシャロンへと手を差し出し……。
「いきなり、引っ張らないでくれ、シャロン」
改変でやり直しを経験し続けた童貞はポーカーフェイスが無駄にうまくなっていた。一瞬メンタルが死んでいた時期があった副産物である。
そんなレオに手を取られ、
「アハハ、」
何か誤魔化すように笑みを零し、手を取られたまま立ち上がり……そして立ち上がった後。
「………………」
やはり何も言わずうるんだ目で、レオの手を握ったままに、シャロンはこちらを見上げてくる。
(な、なんだ……なんで何も言わない?どうした?……この雰囲気はなんだ!?)
童貞は動揺していた。動揺する童貞を前に、シャロンはふと身を寄せ、体重を預けようとするかの様に一歩、レオへと身体を寄せ――。
その瞬間。
「レオ!久しいな!」
そんな大声と共に、扉が開かれた。そして、部屋の中に入って来たのは、大柄な――年を取ることを知らないような筋肉量を誇る、歴戦の老人である。
マルス・マグノリア。このマグノリア帝国の皇帝であり、軍神との異名をとる、帝国有数の武人にして、シャロンの父親。
そんな父親が突然、縮尺がバグって小さく見えるプレート、どうも料理が乗っているらしいそれを手に、部屋の中に踏み込んできた。
一瞬早く、父親の来訪を察知していたのだろうか。
シャロンは終数秒前までの雰囲気を消して、どこか父親に対してむくれるような、幼い表情を浮かべて、言う。
「お父様……。突然、何ですか?」
「いや、何。久しぶりにレオが帰って来たと聞いてな。戦後処理の諸国漫遊はどうだった?わしも話を聞いても良いだろう?どうだ、美女はいたか?ついに寝たか?はっはっは、」
デリカシーもくそもなく言い捨てる老人を前に、
「…………」
レオは固まり、その横を、皇帝は快活に笑って、歩みすぎていく。
「なんだ、レオ。お前ぐらいならよりどりみどりだろう、方々でとっかえひっかえすれば良い。それも若さだ」
そうピンポイント過ぎる事を言ってくるおっさんは、どうもこのままこの部屋に居座る気らしい。
シャロンの私室のテーブルに、皇帝自ら持参してきた料理を並べ、その姿を見ながら、
「もう……お父様、」
シャロンはむくれた調子で言いながら、レオの服の裾を、父親に隠れて引っ張る。
そして、父親が背を向けたタイミングで、ふと身を寄せふと爪先立ちに、
(後で続き。……しますか?)
そう、耳元で吐息のように囁いた。
「…………」
何も言えず固まった童貞を横に、シャロンは悪戯っぽい笑みを零して、それから、皇帝の元へと歩んで行く。
「お父様?給仕なら私が致しますから、座っていてください。一緒に、レオの話を聞きましょう?」
そう、何事もなかったかのように振舞う少女を前に、
「………………」
童貞は一見クールっぽく見えるいつもの仏教面で、思考停止していた。
*
(……なんだアレは。どういう事だ、色仕掛け?いや、色仕掛けじゃなくてもう恋人だからつまり良い?いや、良くない、っていうかそういう事じゃない。結局……シャロンに勘違いだって言えなかった……)
夕方。王城を背に、町娘から『レオ様……』『今日も物憂げに……』と言う憧れの視線を向けられながら童貞な英雄はクリティカルヒットした色仕掛けに未だ動揺していた。
あの後、おっさんは最後まで居座っていた。もしかしたらあのおっさんはわかっていて妨害してきたのかもしれない。シャロンが都度父親に仕事はどうしたのかと尋ねるが全部快活に無視し、おっさん同伴の
(あのおっさん、余計な事を……いや、違う。むしろファインプレイ、いや違う。だから勘違いだったんだって……)
夕陽の中歩む無駄にイケメンで経歴の確かな英雄は、決意を固めたような顔で、胸中、呟いた。
(勘違いだって、……アリシアに言えば良いか)
こうしてクズは出来上がるのである。
あっさりお姫様の
夕陽で輝く、城下町の外れ。小高い丘の上にある、ちょっとした広場。
何か絢爛な飾りがある訳ではない。小高い草原の丘に、林が背後に、茶色い煉瓦の歩道があるだけ。その歩道の隅に、丘から城下を見下ろすように、ベンチが一つあるだけ。
そのベンチに、夕日に横顔をどこか寂し気に照らした美女が、腰を下ろしているだけ。
今日も、昨日のパーティと同じ、真っ赤なドレスを身に着けている。そんなアリシアは、ふと、視線を――少し寂し気な視線をレオに向けて、囁くように言った。
「……ちょっと、来ないかと思ってた」
「ああ、いや。……少し用事があってな」
「そうか、」
それだけ言って、アリシアは視線を夕陽に向ける。その横顔は寂し気で、同時にもはや芸術のように美しい。
そんなアリシアを前に、どこか意を決し、レオは口を開いた。
「アリシア。実は……」
「なんか話か?……その前に、まあ、座れよ」
そう、アリシアに促されて、レオはベンチに腰を下ろす。
と、その時――だ。なんの気はなしにベンチに付いた手が、何かに触れた。
アリシアの指先だ。そして、そうやって一瞬触れ合った途端――。
「――、」
直前まであったどこか超然とした雰囲気を消して、夕焼け以外で頬を少し染めながら、アリシアは一瞬触れ合った手を離し、胸に抱き……それから、どこか照れたように、呟く。
「……あ、アハハ……なんか、びっくりした。アレだな、えっと……」
照れたように、恥ずかしそうに、手が触れ合っただけで、アリシアははにかみ、言葉に窮している。
「…………」
それを横に、内心硬直し、が、傍目にはそうは見えないポーカーフェイスで眺めたレオを前に、またはにかんで、色々不器用にごまかすかのように、アリシアは言う。
「ゴホン。そ、そうだ。……さっき、なんか言ってたよな。なんだ?」
「あ、ああ……。あの……」
一瞬、レオは言い淀み……それから、結局決意が固まり切らないかのように、言う。
「……その格好は?」
「ああ、これ?……これは、さ。……わかんなかったんだ」
漸く、はにかんだ、照れたような雰囲気から、普段通りに少し戻って、アリシアは言った。
そんなアリシアを横に、内心ちょっと安堵した童貞は、そちらも普段通りに、問いを返す。
「わからない?」
「ああ。良~く、知ってるだろ?……あたしは“鮮血のアリシア”だ。戦争しかしてこなかった。半年さ、平和になって。それで気付いた。あたしは軍服しか持ってない。普通の女の子が着るような可愛い服ってなくてさ」
「…………」
「さっきまで、ここ来るまで悩んでた。……デートって、何着れば良いんだろうって、マジで思いつかなくて、考えて悩んで。……なんか、悩むのも楽しかった。だから、来なかったら寂しいけど、こんな女じゃしょうがないだろうなって、思ってて。だから……」
そこで、アリシアは夕陽の最中、どこか消え入りそうな笑顔で、言う。
「来てくれて、それだけで嬉しいんだ、レオ」
「…………、」
何も言わず、どこか見ほれるように固まったレオを前に、ふと――視線が合っている事すら照れるように、アリシアは夕陽に目を向け、言う。
「さっきさ、……言いかけたの。別の事だったろ?なんだよ。言ってくれよ。ちゃんと言ってくれたら……納得できると思うから」
そんなアリシアを横に、レオは意を決し――
*
「……その流れでドレス似合ってる以外に言える訳ないだろ!?フれる訳ないだろ!?なんなんだアイツら、ここぞと攻めてきて……クソ!あいつらなんなんだ!何を考えてるんだ!?なんでここにきて知らない一面が攻めてくるんだ……!?」
激戦に敗北した童貞は我が家に帰り着いた瞬間にそう喚いて両手で地面を叩いた。
それを冷ややかに、今日もソファに気だるげに寝転がんだマリアは眺め、さくらんぼのシャーベットを雑に指でほじくりながら、どうでも良さそうに言った。
「そうか、クズ。それはもう同じ相手に100回ぐらい死んだ時の壊れ方だな。一回でそれだけ盛り上がってるなら童貞からクズ種まき野郎にクラスチェンジして来たのか?」
「………………」
黙り込んだレオを前に、小馬鹿にするような笑みを零し……マリアは言った。
「良いか童貞。……だからお前は童貞なんだ」
「うるさい!」
大声を上げて立ち上がったレオを前に、ほじくったシャーベットを口に運んで、マリアは言う。
「で、童貞は不治の病として」
「不治じゃない!」
「……まあどうでも良いが、結局、勘違いだって言えたのか?」
「……………」
「そうか。じゃあ、どうする童貞。このまま器用に二股継続か?童貞の分際で?童貞の分際で美女に二股か?童貞の分際で?」
「なんで俺そんな童貞童貞言われなきゃいけないんだ……」
「事実だろう?」
「………………」
事実だったから童貞は何も反論できなかった。
そんなレオを横目に、どこか諭すように、マリアは見下した。
「……なあ、レオ。良い事を教えてやる。ここですぐ言い返せずに黙るからお前はいつまでも、」
「うるさい!…………そう騒ぐな、問題ない」
「騒いでるのはお前だけだ」
「俺は天才軍師だ。赤眼のレオだぞ」
「そうだな。改変のチートのお陰でそう呼ばれてるな。それを御大層な騎士道精神で封印した結果残ったただの残りカスの童貞がお前だ。忘れたか、レオ。お前は手段を選ばなかったから勝者になったんだ。手段を選んだらただの優柔不断な凡人だよ」
冷静に、どこかどうでも良さそうにそう言って、マリアはシャーベットを指で掬い、口に運ぶ。
それを、どこか挑むように睨みながら、レオは言った。
「……もう、平和になったんだ。俺は凡人で良い。凡人でも、正々堂々真っ当に生きる」
「正々堂々二股か?」
「二股は両方解消する。次はうまく勘違いだって伝えられる。問題ない。次の機会、次のデートだ。そこで伝えればまだ、問題ないだろ……」
「…………まあ、好きにすれば良い。お前の掴んだ人生だ」
そう言って、マリアはさくらんぼのシャーベットを素手で口に運んで行った。
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