第10話 囚われの妖精

 あの鬼のように恐ろしいフーゲンベルク副隊長が、毎日令嬢を連れて歩いている。


 そんな噂が、王城の護衛騎士団近衛第一隊の中に駆け巡っていた。その令嬢は妖精のように可愛らしく、とても恥ずかしがりで怖がりらしい。

 そんな繊細な令嬢が、あの副隊長の隣にいるなど到底想像できなかったが、目撃者はみな一様に興奮状態だったため、噂が噂を呼び、騎士たちはいつになく騒然となっていた。


 王太子殿下の執務室を中心に、王城内の一部では、侍女・女官から下働きの使用人まで女性という女性を徹底的に排除していたため、王太子付きの近衛第一隊の周りには、女っ気がまったくと言っていいほどなかった。

 毎朝、ジークヴァルトがリーゼロッテを連れていく時間になると、騎士たちは意味もなく廊下をうろついていた。最近では、第一隊以外の騎士たちも、その令嬢を一目見ようと押し寄せる始末である。


「あの、ジークヴァルト様」

 その日も例のごとく、ジークヴァルトに抱えられながらリーゼロッテは王城の廊下を運ばれていた。リーゼロッテがお茶会の日以来王城に留まってから、半月ほど経過していた。

「なんだ?」

「わたくし、自分で歩きますので、降ろしていただけませんか?」

 異形の者にも、多少は慣れてきた。いや、いまだに怖いは怖いのだが、何となく距離のとり方はわかってきた。

 近づかない、目を合わせない、大げさに反応しないなど、そういうことに気をつけていれば、ジークヴァルトの守り石のおかげか、小鬼たちはリーゼロッテに近づいてこなかった。


「却下だ。お前の足だと辿りつくのに何時間かかると思う」

「そんなにはかかりませんわ! それに、毎日送り迎えの手間をおかけするのは申し訳ないですから、これからは、ひとりで行き来いたします」

「却下だ」

 足を緩めることなく、ジークヴァルトは進んでいく。

「なぜですか? わたくしの足が遅いなら、わたくしが早めに部屋を出ればすむことです。道はもう覚えましたから、ひとりでも大丈夫ですわ」

「却下だ。諦めろ」


 こんな会話は、実は今日が初めてではない。リーゼロッテは幾度となく訴えてはいるが、ジークヴァルトが頑として首を縦に振らなかった。

 通り過ぎざま、また騎士たちとすれ違う。ふたりに道を開け騎士の礼を示しているが、その視線は好奇心に満ちたものだ。リーゼロッテにとっては異形の存在よりも、こちらの方がよっぽどいたたまれなかった。

 リーゼロッテはもうすぐ十五歳を迎えようとしていた。十五歳と言えば、ブラオエルシュタインで成人とみなされる年だ。早い者で結婚する者も出始める。

 そんな年にもなって、毎日城の中を、子供抱きにされ、行き帰りを輸送されるのだ。そう、輸送だ。これは完全に荷物の運搬業務だ。


(うう、恥ずかしすぎる。恥ずかしぬってこういうことを言うんだわ)

 騎士たちとすれ違うたびにリーゼロッテは、ジークヴァルトの首筋にしがみついて隠すように顔をうずめた。顔を見られないようにするには、そうするしか手立てがなかった。

「……ヴァルト様」

 結果、耳元でささやくようになる。

「わたくしは、恥ずかしいのです。毎日、このように、荷物のように運ばれて……」

 耳にかみついてやれば、驚いて降ろしてくれるかもしれない。リーゼロッテが真剣にそう思ったとき、ジークヴァルトの足がピタリと止まった。まだ、行程を半分行ったくらいの場所だった。


「そうか」

 ジークヴァルトは、すとんとリーゼロッテを下に降ろした。突然のことに、リーゼロッテは向かい合わせになったまま、ぽかんとジークヴァルトを見上げた。

「なんだ? 歩かないのか?」

 再び抱き上げようとするジークヴァルトに、リーゼロッテはあわてて距離をとる。

「歩きます! 歩かせていただきます!」


 リーゼロッテはウキウキしながら廊下を歩いていた。その後ろを無表情のジークヴァルトが続く。

 なるべく廊下の真ん中を歩き、左右の確認も怠らないようにする。異形の者たちは、遠巻きに見つめてくるが、それ以上は近寄ってこようとはしなかった。

(やった、この作戦ばっちりだわ!)

 すれ違う騎士たちには、軽く笑顔をつくり会釈をする。抱えられてなければ、恥ずかしいことは何もない。鼻歌のひとつでも歌いたい気分だ。


 いつも抱えられて移動していた廊下は、リーゼロッテの視点からはまた違った風景に見えた。異形たちも、ずっと同じいるところにいる者もいれば、ふらふら移動している者もいて、いろんなことが分かってくる。

(だってジークヴァルト様、速足なんだもの)

 揺れるわ恥ずかしいわで、周りを冷静に観察する余裕もなかった。

(でも、あまりゆっくり歩いていると、また運ばれてしまうかも)

 そう思ったリーゼロッテは、気持ち速足で進むことにした。


 そのまましばらく進むと、急に後ろからジークヴァルトに手をひかれた。二の腕をつかまれ、勢いで背中がジークヴァルトの腹にぶつかる。

「急ぐことはない。危ないからゆっくり歩け」

 真上からそう言うとジークヴァルトは腕から手を放した。

「はい、申し訳ありません」

「わかったら早く進め」

 今度はジークヴァルトに背を押される。


 急ぐなと言ったり、急げと言ったり。お茶会で再会してから毎日顔を合わせているが、ジークヴァルトはやさしいのか意地悪なのか、リーゼロッテはわからずに混乱していた。

 気を遣われているような気もするが、意地悪を楽しんでいるようにも、いないようにもみえる。基本、無表情で口数も多くないので、ジークヴァルトの真意がわからない。何かを尋ねても、「問題ない」の一言で済まされることが多かった。


 ふたりはしばらく無言で進むと、廊下が少し広くなったところに出た。ここは廊下が二手に分かれていて、曲がった廊下の先は王城の中心部へとつながっていた。いつもはこのまま真っ直ぐ進むのだが、その廊下の付近にはいつも以上に騎士たちがごった返していた。

 王城の廊下は、決して狭いわけではない。大の大人が4~5人くらい並んで歩いても余裕なくらいだ。しかし、今日はガタイのデカい騎士たちの人だかりができていて、むさくるしいことこの上なかった。


 リーゼロッテは、みなの視線が一斉に自分に向けられたことに驚き、反射的にジークヴァルトの後ろに隠れた。それまでがやがやしていた声も、ふたりの登場にしんと静まり返った。

「あの、フーゲンベルク副隊長。いつもお連れになっているそちらご令嬢は、いったいどなたなのですか? 我々にもぜひ紹介してください!」

 ひとりの騎士が、前に出てジークヴァルトに声をかけた。周囲の騎士たちは、お前よくぞ言った!という雰囲気で前のめりに聞き耳を立てている。

「……お前たちには関係ない」

 絶対零度の無表情で、ジークヴァルトが威圧するように返した。「ええー、そんなー!」と、あちこちから抗議の声が上がる。


 そんな時、騎士たちの人だかりが割れ、奥から一人の体格のいい壮年の騎士が現れた。他の騎士に比べると騎士服が立派な装飾で、ジークヴァルトのように偉い立場の人のようだった。

「あ、隊長。副隊長がひどいんですよ。こんなにかわいいご令嬢を独り占めして」

「バカか、お前らは。こちらのご令嬢は、副隊長の婚約者殿だ」

 周囲にどよめきが広がる。うそだ、ずるい、妖精が悪魔の手に、など、非難のうずが巻き起こった。


「いや、すまない。こいつらが迷惑をかけたね。ああ、失礼した。わたしはブルーノ・キュプカー。護衛騎士団近衛第一隊の隊長を務めさせてもらっている」

「いえ、わたくしこそご挨拶が遅れて申し訳ございません。わたくしは、リーゼロッテ・ダーミッシュと申します。こちらこそ、ジークヴァルト様を独り占めしてしまい、申し訳ありませんわ」

 リーゼロッテは、優雅な振る舞いで完璧な淑女の礼をとった。その可憐な姿に、周囲から息をのむ声が上がる。

「いや、ダーミッシュ嬢の護衛は王太子殿下からの命だ。きちんとした職務だから、あなたが気にする必要はない」

 やさしい声音に、リーゼロッテは領地にいる義父・フーゴを思い浮かべた。そして、キュプカーのブルネットの髪と榛色はしばみいろの瞳に、ふと既視感を覚える。

「あの、キュプカー様……キュプカー様はもしや、ヤスミン様のご血縁の方でいらっしゃいますか?」


「おや、娘とお知り合いでしたかな? 迷惑をおかけしていなければいいのだが」

 キュプカーの榛色の瞳がキラリと光る。あのミーハー娘が、ダーミッシュの妖精姫と知り合いだったとは。さぞや狂喜乱舞したのではないだろうか。


「いえ、先日の王妃様のお茶会でご一緒させていただいたのです。ヤスミン様には、とても親切にしていただきましたわ」

 淑女の微笑みを口元に乗せ、リーゼロッテはあの日のヤスミンを思い浮かべる。とても似ている父娘おやこだと思った。

「ああ、なるほど。妖精姫と名高いダーミッシュ嬢とお会いできて、娘もさぞや喜んでいることでしょう」

「その呼び名は……とても、恥ずかしゅうございます……」

 消え入りそうな声に、キュプカー隊長は豪快に笑った。

「ははは、ダーミッシュ嬢は本当に妖精のように愛らしい方だ。フーゲンベルク副隊長、くれぐれも職務を忘れるなよ」

 そう釘をさすと、キュプカーは周囲にいた騎士たちを見やった。


「お前らも何サボっているんだ? キリキリ働かないと職務怠慢で会議にかけるぞ。その際は半年の減給か鍛錬か選ばせてやる」

 大きくはないがよく通る声で周囲をひと睨みすると、騎士たちは慌てて解散していった。近衛一番隊の鍛錬は、それはそれは地獄のようであると、もはや伝説にすらなっていた。

「では、わたしもこれで」

 一礼してから颯爽と廊下を去っていくキュプカー隊長を見送りながら、リーゼロッテがぽつりとつぶやいた。

「……かっこいい方ですわね」

(あれ、ジークフリート様といい……リーゼロッテってば実はオジ専?)

 自分で自分に脳内突っ込みをいれていると、リーゼロッテの視界が急にかしいだ。


「んきゃっ」

 見ると、ジークヴァルトがリーゼロッテを横抱きにして抱えていた。急に視界が高くなり不安定な体勢に、思わずジークヴァルトの首にしがみつく。

「ななな何をなさるのですか」

「危険だ。やはりお前はオレが運ぶ」

 言うなりジークヴァルトは大股で廊下を進み始めた。

「や、ジークヴァルト様、先ほど恥ずかしいと申し上げたはずです!」

「“荷物のように“運ばれるのが嫌なのだろう?」

 抗議の声を上げるが、そう一蹴された。だから横抱き、いわゆるお姫様抱っこなのか。一瞬納得しかけて、リーゼロッテはかぶりを振った。


「そうではありません! いえ、もちろんそれもあるのですが、抱きかかえられるのは淑女としてとても恥ずかしいのです! それに危険と言っても、先ほどは問題なく歩けましたわ。小鬼も寄って来なかったではありませんか」

「そっちではない」

 リーゼロッテは、先ほどよりジークヴァルトの顔が近いことに動揺しつつも言いつのった。

「そっちでなければどちらだというのですか? そもそも、廊下には護衛の騎士様がいっぱいいらっしゃるではありませんか!?」

「危険だろう」

「どこが危険だというのです!?」

 騎士がいっぱいいて一体何が危険なのか。この上なく安心・安全だと思うのだが、ジークヴァルトとの会話はどうもかみ合わない。

「どう考えても危険だろう。馬鹿なのかお前は」

リーゼロッテは二の句が継げずに、小さな口をパクパクした。

(ば、バカなのはお前だ―――!)


 バカっていう方がバカなんですと、リーゼロッテの心の叫びが脳内で木霊したとき、ふたりは人気のない廊下に差しかかった。

 すると遠くから、かしょん、かしょん、かしょん、と音が聞こえてきた。どうやらその音は近づいてきているようだ。

 廊下の分かれ道の薄暗い先から、何か大きな影が見える。リーゼロッテはジークヴァルトの腕の中から、首をひねってそちらをみやった。

(く、首無しの鎧が歩いてる!!)

 リーゼロッテは無意識にジークヴァルトの首に強くしがみついた。


 かしょんかしょんと音とたてて、鎧はこちらに近づいてくる。よく見ると、その鎧は甲冑の兜をかぶったままの自分の首を小脇に抱えていた。

「じじじジークヴァルト様」

 リーゼロッテのその言葉に、ジークヴァルトが足を止める。

(いや! なんで止まるのっ!!)

 リーゼロッテはさらにぎゅううっとジークヴァルトにしがみついた。

 その間にも首無しの鎧はふたりにどんどん近づいてくる。リーゼロッテの反応を見て、「ああ」とジークヴァルトは無感情な声で言った。

「あれは三百年前の大公だ。時々、ああやって王城内を徘徊しているが、害はない」

 そう言うとジークヴァルトは、リーゼロッテをすとんと下に降ろした。首無し鎧はすぐそこまで迫っていた。


「大公、めずらしいな。昼間に出歩くなど」

 ジークヴァルトの言葉に、首無しの鎧の足が止まった。

『おお、フーゲンベルクの小僧か。大きくなったな。おや、そこにいるのはマルグリット嬢か? 最近見かけないと思ったが。元気にしていたか?』

 ジークヴァルトの陰に隠れていたリーゼロッテが恐る恐る顔を出す。

「母様をご存じなのですか?」

 しゃべる首無しの鎧は怖かったが、禍々しい感じは全くしなかった。リーゼロッテは、ジークヴァルトの後ろから少し前に出て、その大昔の大公に礼を取った。


「わたくしリーゼロッテと申します。マルグリットはわたくしの母でございます、大公様」

『嬢の娘とな。同じ気配を纏っていると思ったが……そうか……時が移ろうのは早いものだな』

 リーゼロッテをしばらく見やってから、大公は感慨深げに言った。

「大公はこんな時間に何をしているのだ?」

『最近、異形たちが騒がしくてな。おちおち寝てもいられん』

 わしも異形だがな、と付け加えると鎧の大公はわははと豪快に笑った。


(この鎧の大公様も異形なのね。魂の錬成、とかではないわよね、やっぱり……)

 リーゼロッテはここの所ずっと思っていた。せっかく異世界に転生したのだから、錬金術とか魔法陣とか、そっち系の世界がよかったのにと。なぜに自分はドロドロでデロデロなオカルト系なのだ。異世界要素は、それこそ龍の存在くらいだ。


(ラノベ的にタイトルをつけると、『異世界に転生しましたが、魔法は存在せずかわりに異形に狙われています』とか?)

 そんなことを考えて、かえってげんなりしてしまった。

(せめて『異世界の令嬢に生まれ変わりましたが、チートは微塵も発生しない模様です』とか? あ、これ、完全にパクりなやつあかんやつだわ)


 リーゼロッテが心を飛ばして現実逃避をはかっていると、鎧の大公は脇に抱えた兜のベンテールを反対の手でかしゃりと開けた。ベンテールを上げた兜から、金色の瞳が覗いている。

 鎧の大公はなかなかのイケおじだった。小脇に抱えられた生首でなければの話だが。

 兜の生首大公と目が合って、リーゼロッテは引きつった笑みを浮かべた。叫ばなかっただけ自分でも偉いとほめてやりたい気分だ。

『ふむ。ラウエンシュタインの今度の守護者は、どうしてなかなか……』

 目を細めて楽しそうに鎧の大公は言った。


『しかし、龍は何を考えてるのやら』

 そう呟くと、鎧の大公は再びベンテールをかしゃりと下ろした。

『さて、わしはもういかなくては。機会があればまた会おうぞ』

 そう言い残すと、鎧の大公は鎧の音を響かせて、薄暗い廊下の向こうに去っていった。

「……王城とは不思議な場所ですわね」

 鎧の大公が去った廊下をみやりながら、リーゼロッテが呟くように言った。

「大公は、城の名物みたいなものだ。夜な夜な感じる者を脅かしては楽しんでいる」

(王城の七不思議的なものかしら?)


 リーゼロッテがそんなことを思っていると、ジークヴァルトは再びリーゼロッテを抱え上げた。

「きゅ、急に抱き上げるのはやめてくださいませ」

「しかし、大公に礼を取ったやつは初めて見たぞ。言っておくが、周りには独り言を言っている変人にみられるからな」

「ヴァルト様が先に大公様に話しかけたのではありませんか」

「お前が気にするからだ」

 そっけなく言うと、ジークヴァルトは大股で廊下を移動し始めた。

 

     ◇

「いやー、なんか護衛騎士の間ですごい噂になってるね、リーゼロッテ嬢」

 紅茶を淹れながら、カイが楽しげに言った。

「噂? 噂ってどんなですの?」

 ぐったりしながらソファに沈みこんでいたリーゼロッテは、カイに聞き返した。

「鬼が妖精を連れているとか、悪魔が妖精をさらってきたとか、魔王が妖精をかどわかした、とか?」

「なぜすべて妖精なのでしょう!?」

 リーゼロッテは信じられないといったふうに、頬に両手を当てて頭をふるふると振った。大きな緑の瞳をうるませて、羞恥に震えるリーゼロッテはとても庇護欲をそそる。

「あー、なんていうか、そういうところだろうねー」

 自覚はないんだと、カイは苦笑した。


 小さくて可愛くて可憐なリーゼロッテが、ジークヴァルトにふんわりと抱き上げられる様は、重さを感じさせない妖精そのものだった。騎士たちの中には、その背に羽がないかと真剣に探す者までいた。女に餓えた男どもにとって、リーゼロッテは奇跡のような存在となっていたのだ。

 いかにジークヴァルトの婚約者と言っても、よからぬことを考える奴がいるかもしれない。リーゼロッテの無防備さが心配になってきたカイは、人差し指を立てて言い聞かせるように言った。

「リーゼロッテ嬢は、間違っても一人で王城内を出歩いたらダメだよ?」


「なぜ、みな同じことを言うのですか……」

 そんなに自分は危なっかしいのだろうか。ジークヴァルトはもちろん、エラや給仕にやってくるほかの侍女たちにも、何度も何度もきつく言われていた。耳タコである。

「申し訳ないが、それに関してはわたしも同感だな」

 黙って聞いていたハインリヒ王子にも苦笑気味にそう言われ、リーゼロッテはますます絶望的な顔をした。


「安心しろ。どこかへ行きたいときにはオレが連れていく」

「行きたいところとおっしゃいましても……」

 ジークヴァルトにそう言われたが、王城内では客室とこの王太子用の応接室を往復する毎日だ。他に出かける用事などがあるわけもなく、リーゼロッテは首をひねった。


「ああ、リーゼロッテ嬢には窮屈な思いをさせているね。気晴らしに何かあるといいのだが」

 ハインリヒの言葉にリーゼロッテはかえって恐縮してしまう。

「王子殿下。わたくし、領地のお屋敷にいるときよりも、ずっと自由に、快適に過ごさせていただいております。感謝こそすれ不満を申し上げるなんてとんでもないことですわ」

 物心ついたときから毎日小鬼たちに転ばされていたことを考えると、リーゼロッテにとって今の生活はパラダイスだった。その言葉に、ハインリヒがジークヴァルトをジト目で見る。

「ヴァルト、リーゼロッテ嬢がよくできた婚約者で本当によかったな」

 ジークヴァルトは聞こえなかったかのように、ふいと顔をそむけた。


「まあ、いい。リーゼロッテ嬢は何かしたいことはないかい? 今はまだ、城からは出してあげられないけど、外商を呼んで何か買ってもいいし、城下ではやりのお菓子など取り寄せてもいい」

 もちろんヴァルトの支払いでね、とハインリヒは続けた。リーゼロッテは可愛らしく小首をかしげてしばらく考え込んだ。

「……でしたら、わたくし、アンネマリーと会いたいですわ。アンネマリーもまだこちらにいると伺っております。お許しいただけるのなら、少し話がしたいです」


 その言葉に、なぜかハインリヒが急に咳込んだ。その後ろで、カイがニマニマと笑っている。

「王子殿下?」

「いや、失礼、何でもない。クラッセン侯爵令嬢だね。うん、わかったよ。義母上に一度お伺いを立ててみる」

 アンネマリーは今、王妃の離宮に滞在している。王妃の離宮は、国王以外の男性は、王子であっても許可なく立ち入ることはできないのだ。


「それで、最近はどうだい? 力は扱えるようになってきた?」

 そう話を振られて、リーゼロッテはかぶりをふった。あれから原因を探るものの、リーゼロッテの内に力は存在していても、その発動には至っていない。成果があったとすれば、ジークヴァルトがいなくても、守り石があれば異形の者が見えるようになってきたことぐらいだ。


「目詰まりだな」

 ジークヴァルトのその言葉に、ハインリヒが「もっとわかるように話せ」と嘆息した。

 この目詰まり発言は、ジークヴァルトからずっと言われ続けている。リーゼロッテは排水溝のように言われて、いたく傷ついていた。


「ダーミッシュ嬢の力は、内部で秩序なく対流している。この半月、流れを確認しているが、力が行き場をなくしてそのうち破裂しそうにも感じる。ある程度たまれば漏れ出てくるかとみているが、今のところその様子もない」

 と、この状態をジークヴァルトは『力の目詰まり』と呼んでいる。

(だったらド〇ストでもパイプ〇ニッシュでも持ってきてよ)

 毎日毎日目詰まってると言われるこちらの身にもなってほしいと、リーゼロッテは気づかれないようにため息をついた。


「……そうか、状況はわかった。だが、女性に対して目詰まりはよせ」

「そうですよー、デリカシーのない男は嫌われますよー」

「お前が言うな、カイ」

 ハインリヒの突っ込みに、カイは「なんでですかー」と不服そうに返した。

「……わたくし、殿下が王太子であらせられて、我が国はこれからも安泰だと、今、改めて心からそう思いましたわ」

「非常識を前にすると、大概はまともに見えるものだよ」

 リーゼロッテの言葉に、ハインリヒは微妙に遠い目をして答えた。


「そうだ、ジークヴァルト様。みなに配る守り石が、最近、消費が激しくて困っているんです。これ、ちゃちゃっと力込めちゃってくださいませんか?」

 そう言うとカイは、脇に置いてあった箱を手に取りその蓋を開けた。中には、大小様々な丸いくすんだ石が入れられている。

「ああ」

 何か書類に目を通しながら、ジークヴァルトはカイに手のひらを向けた。カイは箱から石をひとつ取って、ジークヴァルトのその手に乗せる。


 視線は書類から離さず石を一握りすると、次の瞬間、ジークヴァルトは手首のスナップをきかせてその石を後ろに放り投げた。その石を、別の箱でカイが器用にキャッチする。見ると、くすんでいた石の色は綺麗な青に変化していた。

 石を渡され、握り、放る。その作業は高速で行われた。その間、ジークヴァルトは書類に目を通したまま、一連の動きには目もくれていない。ぽい、ぽい、ぽいと、最後の石が投げ込まれると、カイが満足そうに箱の蓋を閉めた。

「はー、いつ見てもジークヴァルト様の妙技はすごいなー。誰よりも早くて間違いない」

 じゃあ、これ、早速届けてきます、そう言って、カイは応接室を後にした。


 それをずっと目にしていたリーゼロッテは、知らず両手にこぶしを作ってわなわなと震えていた。

「わたしは隣の執務室にいる。クラッセン侯爵令嬢の件は少し時間をもらえるかい?」

 懐中時計の蓋を開いて時間を確認すると、ハインリヒはリーゼロッテに声をかけた。

 リーゼロッテが我に返り、「は、はい、もちろんでございます」と言うと、ハインリヒはいつになく軽やかな笑顔でうなずいてから隣の執務室へと向かっていった。


 そして、リーゼロッテはまたジークヴァルトと二人きりだ。いや、ジークヴァルトの守護者たるジークハルトも先ほどからそこに浮かんでいるのだが。

「さて、ダーミッシュ嬢」

 ジークヴァルトは、リーゼロッテの肩に手を乗せ、いつものように椅子に座らせようとした。

「さて、ではございません!」

 ジークヴァルトの手をするりと抜けて、リーゼロッテは片手を腰に置き、憤慨したように言いつのった。


「先ほどのあれは何なのですか? あんなふうに手に触れて簡単に力が籠められるなら、必要以上に近づく必要などないではありませんか!」

 リーゼロッテは、手で触れるだけで守り石が青くなっていくのを目の当たりにして、ジークヴァルトに怒りを禁じえなかった。あれができるのなら、密着して石に口づける必要などないのだから。

 いつも羞恥に耐えていたリーゼロッテは、もうだまされないとばかりに、外したペンダントをジークヴァルトに差し出した。

「これからはわたくしが外してからお渡ししますので、それから力をお籠めくださいませ」

 ジークヴァルトは無表情でそれを受け取ると、二人掛けのソファに腰を下ろした。リーゼロッテは立ったまま何も言わずそれを見守った。


 ジークヴァルトは石の真上の鎖の部分を握り、石を持ち上げて口元に持って行った。瞳を閉じてすっと息を吸う。

(口づけるのは結局やるのね)

 力の籠め方が違うのかもしれない。だとすると、先ほどのたくさんの石は、あまりにもぞんざいに扱われてやしないだろうか。

 少しくすんでいた石の青が、すうっと澄んだ青に変化していく。中の青が揺らめく瞬間を、リーゼロッテは食い入るように見つめていた。

(やっぱり綺麗……)


 ふいにまぶたを開けたジークヴァルトと視線がばちりと合う。無言でペンダントを差し出されて、リーゼロッテはおずおずと手を伸ばした。

 やってもらっているのに、横柄な態度を取りすぎたかもしれない。そう思うと、リーゼロッテはそれ以上強気にでることはできなかった。

 お礼を言おうと口を開きかけた瞬間、ぐいと、ジークヴァルトに腕をつかまれ引き寄せられた。


「きゃ」

 小さな悲鳴を上げた次の瞬間には、リーゼロッテはジークヴァルトの膝の上にのせられていた。抗議の声を上げる間もなく、一度手渡されたペンダントを取り上げられ、ジークヴァルトはそれをサイドテーブルへとコトリと置いた。

「あの、ジークヴァルト様」

 言葉を紡ごうとした瞬間、背中を支えられ、そのままジークヴァルトが胸元に唇を寄せる。

「流れを見る。じっとしてろ」


 なぜこの男はいつもこうも唐突なのか。リーゼロッテはもうどうしたらいいのかわからなくなって、ジークヴァルトの騎士服を握りしめた。

 龍のあざが熱い。リーゼロッテはめまいを覚えた。体の内側で何かが渦巻き呼吸が荒くなる。

(な、に? いつもとちがう)

 体の内側から壊されそうな恐怖を覚える。

「ヴぁ、るとさま……」

 その声も口から紡げたのかどうかもあやしかった。


 気づけば、リーゼロッテは守り石を握らされ、ジークヴァルトの腕の中でぐったりと抱き寄せられていた。

「この石のせいなのか? いや、しかし今のは……」

 リーゼロッテを凝視したまま、ジークヴァルトがつぶやいた。

「おい、ダーミッシュ嬢。この石を手にしてから、何がどう変わった? 些細なことでもいい。すべて答えろ」

 両頬を片手でつかまれ、リーゼロッテはむにと不細工顔にされて上向かされた。


『女の子にそれはないんじゃない?』

 両手を頭の後ろで組み、あぐらをかいて浮かんだままのジークハルトがのんきに言った。言葉とは裏腹に、リーゼロッテを楽しげにのぞき込んでいる。

 言われていることはわかっていても、リーゼロッテは答えることができず、ぎゅっと目をつむった。どくどくと心臓の鼓動がうるさく響いている。


「今のは何だ?」

 何かを感じたハインリヒが、執務室から戻ってきていた。しかし、顔色が悪いリーゼロッテに気づくと、ハインリヒはジークヴァルトに今日はもう休ませるように言った。


 ジークヴァルトに抱えられ客間に戻ったリーゼロッテは、そのまま深い眠りに落ちていく。

 その日は一度も目覚めないまま夜が更けていった。

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