第19話
塹壕の中の私達を、大きな晴天ごと隠してしまったのは巨大な物体だった。
正確には物体ではない。それには生き物特有の隆起があり、脈動を打っている。これは生物なのだ。
大きさはビル10階建てほどだろうか。その大きな巨体は銀色の装甲の間から赤黒い筋膜を覗かせ、蠢いている。
脚は数多の触手で身体を支え、頭上には8つの頭が垂れさがり、眼前の得物を見下ろすように進んでいた。
「ど、どんだけデカい生物なの……!?」
マイが驚愕の表情をしていると、私たち目掛けて1本の首が面倒くさそうに傾いてきた。
「あぶねえ!?」
イチコは、ぐわりと顎が開かれた巨大生物に野性的勘が働いたのか、私とマイを抱えて魔素の力で思いっきり跳躍する。
その瞬間、まさか味方ごと攻撃されるとは思っていなかったスワンプマン3体が巨大生物の口から吐き出された青い灼熱で焦された。
「ひどい、仲間なのに!」
「お前にもそんだけの優しさがあって嬉しいよ!」
イチコはマイを抱え、私は解放されて自力で走りながら巨大生物を観察した。
巨大生物は前線を練り歩くように前進している。このままだと塹壕にいるレジスタンスたちも呑み込む勢いだった。
だが、それはレジスタンス側も分かっている。
「ってえーーーー!」
誰かの号令と共に、小火器や対地砲撃、戦車砲や重機関銃が一斉に火を噴く。その途端、巨大生物の上半身部分が黒い煙幕と銃火器による発光に覆われた。
「やったか!?」
誰かがそう叫んだ。しかし巨大生物は揺らぎもせず、黒い煙幕を越えてまだ向かって来ていた。
「退避! 退避ーーーーー!」
巨大生物は塹壕を安々と踏み潰し、砲兵陣地を食い破り、戦車を押しつぶす。
その動きは誰にも止められず、私たちはただただ津波によって飲み込まれるようなその様子を見ているしかなかった。
「見て! あそこ」
マイが叫ぶと、その指先には人影がある。
そうだ。あの人影、巨大生物の首の根元にいるのは間違いない。葉山水無月だ。
遠目で何故そう感じたのか。それはこんな戦場で作業着を着ているのは私と彼女くらいだからだ。
どうやら水無月も私のいる場所に気付いているようで、その目線はこちらを向いていた。
水無月は待っているのだ。この私、岩見ナナが向かってくるのを。
「私、行ってくるよ!」
私は決心すると、マイとイチコにそう告げた。
「馬鹿! 死にに行くつもりか?」
「私は賛成しない。やられるだけ損ね」
2人はもちろん私の安否を気遣って、その言葉を否定してくれた。
私はそんな2人に感謝した。作業場から離れて身寄りのない私に、友達に裏切られた私に、こうして寄り添ってくれる。それがどれほど幸福なのか、きっと2人には想像もつかないだろう。
「ありがとう。マイ、イチコ」
私は2人の引き留めを振り切って踏み出そうとした時、マイが一層声を張った。
「私は本当はナナのことなんて大っ嫌いだった!」
私はマイの意外な告白に、やや姿勢を崩した。
「初めはスワンプマンとして利用しようとした。食べ物にあの細胞自死剤を混ぜて殺そうとしたけど、死ななかった。アナタは特別。いいえ、身体だけじゃない。私たちのため、無垢に戦ってくれた。だから――」
「――分かってたよ」
実はマイの好意に隠された敵意、それは私も敵のスワンプマンを通じて薄々感じていた。
スワンプマンへの憎悪はそのまま、ナナへの憎悪に変わらないからだ。
「だからやっぱり、ありがとう」
それでもナナは私を止め、助けてくれようとする。それだけでマイの本心が変わったのを、私は知っていた。
だからこそ、行かねばならないのだ。
私と水無月の運命、そしてマイとイチコのレジスタンスのためにも。
「行くよ。また、会おう」
私はそう言って、長い竿のように変形させた両足を歪ませて跳躍した。
2度、3度、無抵抗な巨大生物の身体を飛び回り、私はあっさりと水無月の前に現れた。
「ひさしぶりだわ。岩見ナナ。私の親友」
「ええ、だけど私たちの関係はここで終わりにするよ」
明るい青空とは打って変わった灰色の戦場と巨大生物の背中の上で、私と水無月は最後の決着を迎えようとしていた。
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