第10話

 泥水のような、もしくは劇物を混入したような水の中を私はされるがまま流されていた。


 時間にして数分だろうか、それでもずいぶん長い時間に感じられるほど私は閉塞した汚物の中を進み、解放されるのを圧力で感じた。


「げぽっ!」


 私は洋式トイレの排水口から勢いよく吐き出される。おかげで必死に閉じていた口に汚い滴りを入れるほどのものであった。


「うわ、ばっちい。ぺぺぺっ」


 私は軽く嫌悪感を覚えた後、気づく。ここはもう敵地だ。今の音で気付かれた可能性はないだろうか。


 私はそっと洋式トイレの部屋から顔を除かせる。幸い今のトイレの部屋は私を除いて無人だ。ばれた様子はない。


 私は安堵するとともに、鏡から自分の醜態を自覚した。なんと今、私は裸なのだ。


「あっ、さすがに服までは持って来れなかったか」


 私は自分の作業服と眼鏡を紛失しているのに気づき、唸った。しかし嘆いていてもそれらは戻って来ない。


 そこで私は一計を案じた。


「頑張れば変形で服を作れないかな?」


 私は自分にしては賢い発想だと思いながら、すぐに取りかかる。


 まずは服、いつものスカイブルーの地味な作業服を思い出して全身を奮わせる。するとあろうことか皮膚から服の繊維が現れ、身に纏ったのだ。


 時間にして数秒、私は身体を振り絞るように力むと、ついに作業服が完成した。


 ただ、それは想定よりも小さく、腕と足ともにななぶ袖(そで)になっていた。


「……。まあ、いっか」


 私はまずまずの及第点だと自分を甘やかし、次は眼鏡を現出させる。


 こちらの方は服よりもうまくいき、ズレのない眼鏡のフレームを完成させた。ただしなぜか眼鏡のレンズは作れず、文字通り伊達眼鏡になってしまった。


 けれどもこれでいい。とりあえずは動いても不自然ではない格好をしなければならないのだ。


「ええ、と。まずは連絡手段を……」


 こうして私はやっと任務を開始する。


 私の頭のなかには監視塔の地図、任務の詳細がインプットされている。


 ここは窓の様子からおそらく3階の男性トイレ、人が多いであろう1階ではなくて何よりだ。


 そして私に課せられた任務は、連絡手段の確保と敵性魔法症状患者の発見、さらに妨害もしくはこれの排除だ。


 任務達成の暁にはマイたちが監視塔に接近し、抗戦。制圧という寸法だ。


「そうだよ。私が頑張ればマイやイチコが助けに来てくれるんだ」


 私は泣けなしの勇気を奮い、男性トイレのドアを開いた。


 しかし、それはやや安直な行動だった。


「ん? 女?」


 私が廊下に出ると、そこには2人の武装した男性がいた。どうやら男性トイレのすぐ近くを喫煙所代わりにして休んでいたようだった。


「おい、どこから出てきてって、お前臭いな」


 男のひとりが確認するように近づき、私の身体から放たれる芳香に気づいたのか鼻を押さえた。


 私は内心必死で慌てつつも、なんとか誤魔化す術を捻りだそうとしていた。


「お前あれだろ。トイレのおばちゃんだ」


「あ、ええそうだよ」


 その手があった! 私は少し戻って近くの掃除道具入れから布巾を頂くと頭に結ぶ。これでちょっとはそれらしくなっただろう。


「だがさすがに臭すぎるぜ。地下1階にシャワー室があるから入っておけよ」


「あ、ありがとう、ございます」


 私は怪しまれると思ったが、男性2人の好意に甘えて地下へと向かった。



 どうやらこうして普通に廊下を歩いて人と擦れちがっても、臭い以外は怪しまれる様子はない。それは他の女性の見た目のせいだと分かったのは間もなくであった。


 ここいる女性は全員スカイブルーの作業服、私の服装と一緒なのだ。だから男性たちは私を怪しまなかったのだ。


「ここも作業所だったのかな」


 私はシャワー室に入ると、特に確認もされず新しい作業服とタオル類をゲットする。ここまで無用心だと逆に怖いが、理由も分かった。


「そうか、管理AIが止まってるからなんだ」


 シャワーを浴びた後、いろいろ見学していると、所々で停止したドローンや管理AI用のアンドロイドを見かけた。機械たちが動いていないというのは、電子的なセキュリティも落ちているのだ。


 私は、これは行幸とばかりに自由に散策しはじめた。


 まずは敵の数、作業員は約200人、武装した人間は50人ほどだ。武装しているのはほとんど元警備だが研究員も混ざっている。


 武器は地下に管理され、管理者と鍵があり簡単には奪えそうにない。


 ついでに通信機器の確保を目指すも、これは失敗する。皆通信機器は肌身離さず、固定タイプの前には常に誰かがいた。


 私はこれからどうすべきか悩みながら階段を練り歩いていた。


 そんな時、ある階層に到着する。するとそこは一面ガラス張りの名残を見せる部屋だった。名残と言うのは、外側を映すガラスがほとんど剥離してしまっていたからだ。


「誰だ? 交代かしら」


 私が物珍し気にその部屋を散策していると、部屋の隅に毛布を被った女性がいた。


 私はどう言い訳しようか迷うが、その女性が等身大ほどのライフル銃を持っていたのに気づいた。


 間違いない。その女性は探していた目標のひとりである魔法症状患者だった。

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