第5話

 スラム街の東に位置する飲食店街は中央部の露店販売所よりはすっきりしている印象だった。


 それでもここも露店が多く、肉汁の混ざったようなおいしそうな香りや湯気、野菜と肉を鉄板で混ぜる景気の良い音は食欲をそそられた。


「ついでに何か食べていくかい?」


 私が露店の料理を眺めていると、マイがそう声を掛けてきた。


「いりません! 今は任務中なので」


「ははは、確かに。なら任務が終わったら立ち寄ってみようか」


 マイがそう話しつつも、険しい視線を周囲に巡らせていた。


 なにせここには敵性スワンプマンが潜んでいる可能性がある場所なのだ。軽口は叩きつつも、警戒を怠らないべきなのである。


「ナナは明石屋サヤとどれくらい面識があるんだい?」


 マイは注意を逸らさず、私に尋ねた。


「サヤは人見知りする子でしたよ。消極的というより臆病で、ペンダントを肌身離さずもたないと取り乱す人でした」


「そのペンダント。何か大事な物なのかい?」


「たぶんそう。でも理由は知らないよ」


 マイはふむ、と相槌を打つと近くの店員にモンダージュの絵を見せていた。


「ここでこんな娘を見なかったかい?」


 私はマイが質問している間、周りを見張っていた。


 辺りは相変わらず変化はなく、食事をする人が賑わいを見せているだけだ。どの人も違和感なく佇(たたず)み、緊張感などひとつもなかった。


 私は逆に慣れない場所で硬直していた身体を宥(なだ)めるように深呼吸する。ストレスを感じたら深く息を吸えばいい、これは元親友の水無月の助言だった。


 すると、私の嗅覚が何かの異常を感じた。


「人の血……?」


 店頭では血の滴(したた)る培養肉を扱っている場所とは別に、奇妙な血の匂いを感じた。それは水面に垂らした血ほど薄くはなく、とても濃い味を下の奥で感じるほどだった。


「マイ――」


 私はマイに声を掛けようとするも、今は店の主人との会話に夢中だ。


 ならばこの違和感を軽く偵察するだけの余裕はあるだろう。


 私は軽い偵察程度の気持ちで、匂いを辿って歩き出す。危険になれば戻ればいい、そんな悠長な思いで空中を漂う血の香りを追い出した。


 血の匂いは路地裏の更に路地裏に続く、人気はどんどんなくなりいつのまにか誰一人いなくなってしまった。


 私はコンクリートの階段を下りながら、そろそろ引き返すべきか進むべきかの進退を迷い始めた、その時だった。


「――!? 近い」


 私は咄嗟に壁へ寄りかかると、曲がり角を慎重に覗き込む。


 だが覗き込んだ瞬間、私は自分の鼻を覆い隠してしまった。


 何故ならば角の先にある血の匂いの濃さは尋常ではなかったからだ。


 例えるならそれは血の溢れた皿に顔を付けたような感覚、鼻が血しぶきを浴びて塞がってしまうほどの濃さだったのだ。


 今度は鼻を押さえつつ顔を覗かせると、そこは凄惨な状況だった。


 隠れた名店とでもいうのだろうか、そこはひっそりとしたテナントだった。


 けれどもその店先には無数の死体が転がっている。


 どの死体も身を引き裂く爪痕があり、無惨に殺されていた。


 店の前は血糊が床にべったりと塗られ、まるで赤いカーペットを広げたようなありさまだった。


「これは、サヤの仕業?」


 私は臆せず血だまりを進み、ガラスをの割れた店の中を密かに見る。


 店の内側も案の定死体と血が溢れ、机や椅子が転がって散乱している。


 私は近くの遺体を触って状態を確認する。その身体はまだ温かく、出血も止まっていなかった。


「久しぶり、ナナさん」


 私は突然名前を呼ばれて身構える。


 店の奥、カウンターの奥に生きた人影を確認する。その人間、いや化け物はストレートの長い髪をしており、能面のように無表情だ。そして特徴的な左の泣き歩黒。


 その場所に立っていたのはまちがいない。敵性スワンプマンの明石屋サヤだ。


「……全部アナタはやったの?」


「驚きも怖気づきもしないのね。やっぱり水無月さんの言う通り、アナタもまた私たちと同じズレのある生き物なのね」


「ズレ……?」


 私は逃げる算段を付けながら、時間稼ぎのためにサヤの言葉へ返答する。


 サヤはこちらの意図を知ってか知らずか、カウンターからゆっくりと出てきた。


「ズレ、私たちの場合は認識のズレらしいの。スワンプマンは工作員となるため、嘘をつく必要がないように認識にズレが生じているのよ」


「どうしてそんな必要があるのかな? 私にはさっぱりだよ」


「簡単な話よ。嘘をつくためのカモフラージュ、私が私を化け物だと認識しなければ嘘をつく必要なんてないじゃない」


 サヤは自分の腕を大きな鎌に変えて、独り言ちしていた。


「今の私の身体は変形しているらしいの。でも私にはそれがわからない。つまり認識できないの。でも水無月さんは私たちに認識をずらしながらも身体を自由に動かす特訓をしてくれた。おかげでこの通り」


 サヤはそう言いながら、鎌に変わった右腕を振って瓦礫を弾く。私は十分距離が離れていたが、椅子や机の破片が身体を打った。


「認識はできなくても結果は見えるの。普通なら急に物が壊れた! って認識するところを結果で認識できる。それに加えて生体チップで行動を支配すれば無意識な生体兵器の完成、らしいわ」


「そうすれば邪魔者を殺したとしても自分がやったと認識せずに済むってこと?」


「ふふふっ。そうなるわね。ふふふふふふっ」


 サヤは何がおかしいのか、笑いが止まらない。私はそんなサヤを不気味に思い、更に一歩後ろにさがった。


「ダメだわ。ダメダメ。逃げちゃダメ。水無月さんから命令なの。ナナさんは死ななきゃダメなの。ダメなのよ。だから――」


 私は油断していたつもりはない。だがサヤの動きはそれ以上だった。


「死になさい。ナナさん」


 一瞬の間に、サヤの跳躍によって肉の鎌が私の首へと迫ってきたのである。

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