第11話 主張
老人はアルコールと過労による肝臓障害だった。
NINOーNINOーNINOーと、サイレンを唸り去っていく救急車を見守りながらアンソワープは呆然としていた。
「じ、じいちゃん、ダイジョブかよ。死ぬなよ……お、俺っ、うっ」
「僕が勤めてる病院に入院できるように手配したから大丈夫だよ」
サイバネ・脳外科医のエンゾには、老人の病気は完治するかどうかは分からなかった。ただ明確なのは長期入院になるが、そのほうがホームレスの老人にとっては良いということだけ。
一週間後、エンゾたちはお見舞いに行った
まだ重篤な状態なので様子を見ただけで一言も言葉を交わさず、アンソワープが持ってきた好物のビスケットをベッドの横に置いてきただけだった。
病院から歩いて帰る途中、アンソワープはエンゾに問いかける。
「この身体って拷問だ。悲しいときに涙はでない。ただ感情をこらえるしかなくて。なんなんだよ……この『アンソワープ』って女はよ?」
エンゾは、どう返答すればいいのか分からず視線を店のほうに向ける。
繁華街の大通りの真ん中だった。ショーウィンドウに群がる客は商品の物色に夢中になっている。
「こいつ、ただの機械人形だよな。サイボーグの体のせいで人間らしい生活なんて全くできない。飯も食えない、風呂も入れない、友達もできない、じいちゃんに本当のことも話せない」
厳しい口調で次々に文句をまくしたてる。
エンゾは無視して無言で歩き続けた。
「俺はジョーだ。アンソワープとかいう女じゃない」
さっきから悪態ばかりついているアンソワープが可哀相になって、つい言ってしまった。
「女の子なんだから、その言葉遣いはやめようよ。そうだ、可愛い服買ってあげようか? 靴も欲しい?」
アンソワープの歩調が止まり、きっとした顔で睨む。大きな声ではっきり言い放った。
「いいかげん目を覚ませ! これは『人間』じゃないんだよ。てめえは、サイボーグの女の子と自分の世界に生きているだけなんだよ! 俺は男だ。ジョーだ。アンソワープじゃないんだ」
シルバーのパトカーが一台、突風と共にアンソワープの横を走り抜けていく。
風圧で長い金色の髪がふわっと空に舞い、キュッと唇をかみ締めたと思ったら、突然、背を向けて走り出した。
「ちょっと! 待ちなさい」
エンゾもつられてダッシュで追いかけるが、百メートルも走らないうちに息切れしてクラクラしてきた。
「止まりなさい!!」必死でアンソワープを追う。
アンソワープはみるみる距離を離して、視界から消えていった。
エンゾはハーハー肩で息をしながら、とぼとぼと一直線の道路を歩く。
交差点で交通整備をしているヘルメットをかぶったロボ警官にサイボーグの少女を見なかったか尋ねてみた。
ロボ警官は黒い革の手袋におおわれた人差し指を交差点を渡った正面にある公園の正門に向けた。
***
カー・パーク公園、四百ヘクタールもある広い敷地にはテニス場、運動施設、人工の湖、果樹園、森、空中庭園などの設備が充実している。
容易には見つけられないと悟ったエンゾは、ゆっくり歩きながら景色を楽しむ。
五月の赤やピンクのつつじの花が満開だった。風の乗って甘い香りがどこらかしこから流れてくる。
疲れたのでベンチに座り少し休む。
目の前の噴水の水はグラフィック効果で数秒ごとに色彩を変える。
「アンソワープは何故、逃げたんだろう?」エンゾは夕暮れ前の空に浮んだ月を見上げる。
誰かが隣に座った気配がしたので横を見た。
乳母車を押した背の低い女性だった。青い水玉の乳母車の中には、まだ生まれて間もない赤ん坊がすやすやと眠っている。
新鮮なまだ始まったばかりの命、不思議に心を和ませる。
命って何なんだろう。
脳が死ぬことが死亡することだと医学上ではいわれている。
しかし──
命は感じられるもの。ただの蛋白質、脳という器官だけではないもの。その証拠に小さな赤ん坊の命の息吹を五感で感じられる。
特に信仰には凝っていないが、命というものはただその身体の持ち主のものだけではなくて、何か世界と密接な歯車によって「生かされている」ような気がする。
アンソワープに命が吹き込まれたと自分は勝手に思い込んでいたが、よく考えてみるとジョーという少年がアンソワープの身体の主になったということが理論的には正しい。
アンソワープは機械。
ジョーという少年はアンソワープの頭脳、彼が考え行動している。アンソワープには物事を論理的に考えたり、意志というものはない。
彼女には、命が無い。
この数週間、交流し、会話していたのはアンソワープではない。
ジョーという少年。
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