第4話 音楽教室

 音楽教室は、緊急事態宣言が発令されても、学校が休みにならなかったから、レッスンを続けているけど、楽器店の方は、休んだまま。

 ここで、恐らく、一番スタッフ歴が長い田中さんが、アロマ加湿器のスチームの向こうから、「お取り寄せは出来ますよ。小物などの」とは言ってたけど。

 楽器が必要な人は、予約してから、楽器店へ行くそうだ。

 レッスン室レンタルや、ボーカルのマイク、管楽器の貸し出しを除いて、教室の楽器や備品を借りるサービスも再開されたみたいだけど。

 レッスン前にギターの調子を確かめたり、レッスン後にサックスのお手入れをしたりしていたおじさま達も見かけなくなった。

 金管楽器や、ボーカルのレッスンに使われる部屋には、飛沫防止のための、透明のビニールカーテンが垂れ下がっている。

 こんな状態がいつまで続くのか?分からないけど、音楽教室も休みになってしまって、息苦しかった昨年の緊急事態宣言発令中よりはマシか……。ようやく、レッスンが再開された時の、ホッとした感じは今でも忘れられない。

 誰が考えたのか知らないけど、みんなでリレー演奏するのは、『愛の挨拶』で良かったのかも知れない。

 電車の中で咳をしたり、マスクから鼻を出していたりしても、もう冷たい目で見られたりしないみたいだけど。

 依然として、人と接触する時は、ソーシャルディスタンスに気をつけなければならないし、国から、不要不急じゃない外出は控えるように求められている。

 『愛の挨拶』は、決して、簡単な曲ではないけど、弾くと何となく、気持ちが上向くし、優しい気持ちになれる。まるで、自分が、誰かと愛の挨拶を交わしているように、恥じらいのようなものも感じるし、その人がいてくれて幸せな気持ちになれる。この曲には、誰かを大切に思う気持ちが込められている気がする。

 自分でも気づかないうちに、呼吸が浅くなっているような世の中で、今、必要なのは、多分、こういったものなのかも知れない。

 田中さんの話では、演奏は、レベルごとに分けられ、編集されるらしいけど。思っていたより好評で、参加者が多く、公開までしばらくかかるそうだ。

 レッスンの後、受付で、パーテーション越しに、仕事仲間からも、「いるだけで癒される」と言われている、スタッフの田中さんと話したら、嬉しそうに笑っていた。

 ダブルマスクまではしてないけど、スタッフさん達もみんな、不織布のマスクに戻ってしまっていたけど。アルコール消毒も、レッスン室はレッスン日の先生方が、ロビーはスタッフさん達が交代で行っているようだった。

 狭い受付が、4、5人のスタッフさん達でいっぱいになることもなくなり、緊張を孕みつつも、受付にいるもう1人の制服を着た女性スタッフさんも、お元気そうだった。彼女は、コロナ前に、「産休後は、どこへ飛ばされるか分からない」と言っていた三宅さんの後に来たアラサーくらいのスタッフさんで、すでに、ある程度のキャリアもある方のようだった。

 「こんにちは」と言って迎えられ、「ありがとうございました」と言って送り出される。

 音楽教室も商売とはいえ、これも一種の、愛の挨拶かもな……と思って、「ありがとうございました」と返して、私は出口へと向かった。

 すぐに、輪唱のように、田中さんと、もう1人のスタッフさんの「ありがとうございました!」という声が追いかけてきた。

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