第3話 音楽って?

 私が通う音楽教室の講師に産休はないので、妊娠した先生は、臨月まで働いて、教室を去り、戻ってくることはない。

 その度に、生徒も、先生が自宅で教えている場合は、先生について行くか、教室に留まるか、やめるか、選択を迫られ、なかなか大変だった。

 少子化の影響で、大人向け音楽教室の数は増えたものの、大手音楽教室の講師になれる人達は限られており、産休制度を導入すれば、全て解決する問題でもないので、生徒も、教室に対して、「今の先生に残って欲しい」とは言いにくかった。

 これには、小学校のとき、担任の先生の産休でやって来た先生の方が優しくて、クラスメートに信頼されており、クラス全体も落ち着いていた経験をしたこともあるんだろうけど。

 大学院まで出た友だちが、1年ごとの契約の、臨時雇いみたいな形でしか、中学校の英語の先生になれなかったこともあったし。それでも、部活の顧問は文系とスポーツと両方持たされ、生徒が何か問題を起こせば、夜でも休日でも呼び出され、大変だったみたいだけど。一度、平日の夜9時頃に彼女のケイタイに電話したら、学校からの電話と間違えられ、切られたこともあった。不要になったドイツ語の辞書を送ってくれた時も、住所が滅茶苦茶で、よく届いたな……と、郵便屋さんの技術?に驚かされたこともあった。

 あと、私自身が、

 家業を継いだり、自分で起業でもしたりしない限り、誰かが辞めなければ、仕事はない。

 ということを、嫌というほど、実感させられた時代に、就活した人間だからかも知れない。

 京都の三流大学とはいえ、成績は良かったので、何度か、名古屋のパチンコ屋?兼書店みたいなところから、将来の幹部候補採用募集の案内状を送って頂いたり、京都?の写真館などからも「私達と一緒に働きませんか?」と案内状が送られてきたりしたけど。写真館に関しては、芸術学部と間違って案内を出したんじゃないか……と思っていた。

 大変有難い申し出だったにも関わらず、名古屋まで出る勇気がなかったのと、写真に興味はあっても、一眼レフも持っていなかったし、子どもに全く興味が持てなかった私は、せっかくの話を全て無駄にしてしまったのだけど。

 そんな事情もあって、私の中には、産休に入る先生に残って欲しい気持ちと、新しい先生と出会いたい気持ちが複雑に同居していた。


 長椅子がある階まで、階段で下りて、スマホにイヤホンをつっこむ。Wi-Fiが接続されていることを確認してから、私はYouTubeで、『愛の挨拶』を再生した。

 本当は、ピアノ独奏版を聴くべきなんだろうけど、バイオリンとピアノのバージョンが好きで、いつもこちらを選んでしまう。

 特に深い意味などなく、最初に聴いたのがこのバージョンだったのと、ピアノ伴奏の上に、バイオリンがのっかっているのが好きなだけ。

 コロナじゃなければ、スタバで、コーヒーでもテイクアウトして、聴きたいところだけど。

 朝、お昼も食べて来たし、レッスンの後、こうして音楽を聴くのは、リラックスしたいだけなので、特に不自由も感じない。

 ーーお店もまだ閉めたままのところが多くて、土日はデパートの書店も閉まっているのが、残念なところだけど。

 イヤホンを耳に突っ込んだまま、ボーッとしていたら、大きな袋を下げた女性や、『鬼滅の刃』の主人公・竈炭治郎と妹・禰豆子の、着物柄の布マスクをした小さな男の子と女の子を連れたお父さんとお母さんが、前を通り過ぎて行った。1列になってエスカレーターを下っていくカップルを見るともなしに見ながら、私はしばらくボーッとしていた。

 音楽が終わるとすぐにイヤホンを抜く。

 同じ一つの街でも、一つのショッピングモールでも、聞こえてくる音は色々あって、音楽もそうだった。

 デパートは、クラシックが多い気がする。フルートとバイオリンとピアノのアンサンブルを作っているところもあるし、私がよく利用するショッピングモールは、無音か、洋楽が多かった。

 ドラッグストアは、有線を利用しているみたいだけど、私はまだ、すっかり、キメハラでも有名になってしまった『鬼滅の刃』の主題歌を耳にしたことがない。

 同じ一つの街でも、一つのショッピングモールでも、聞こえてくる音は色々あって、音楽もそうだった。

 スマホで「街の音を集めた音楽」と検索してみただけでも、様々な街の音を集めて音楽を作ってみた人達もいるみたいだ。

 私は、趣味でピアノを弾くけど、作曲は全く出来ないので、ちょっと羨ましかったりする。

 去年5月の緊急事態宣言発令中は、街から音が消えたようだったけど、今年はそうでもないみたいで、「緊急事態宣言が発令されています。不要不急の外出は控えて下さい」という自治体のアナウンスが聞こえて来ても、耳を澄まさなければ聞こえない。誰も気にしていないようだった。

 オシロスコープを持って歩いたら、どんな波形を描くんだろう?雑音は、みんな同じ形をしているのだろうか?

 これからCD屋さんに行こうにも、土日は開いてない。

 楽器店も、臨時休業。

 デパートのおもちゃ売場で、木琴を叩こうにも、以下略。

 音はいっぱい溢れていて、駅やお店で、様々な音楽も流れているのに、何かが足りなかった。

 街では、「テッペンカケタカ」という鳥の声も、野良猫たちの鳴き声さえも聞こえない。

 動物園の近くまで行けば、カリフォルニアアシカの鳴き声が聞こえるけど、これらは、みんな、音楽とは見做されない。

 音楽といわれるものも、時には雑音と呼ばれ、音楽ではなくなるけど。

 自分が好ましく思う人達が出す音は、雑音にはならないし、誰かが上手につなげてみれば、音楽と呼べるようになるのではないか?

 そう思って、簡単にスマホで検索してみたけど、探している答えは見つからなかった。

 私に才能があれば、やってみるんだけど……。

 シンセも、作曲ソフトも使えない私には無理そうだった。


 路上での演奏は禁止されてるけど、昨年の緊急事態宣言が発令された頃辺りから、歩道橋を歩いていても、路上ミュージシャンの歌声が聞こえて来ない。

 私の前を、高校生くらいの女の子達や男の子達が密になって、楽しそうに歩いているけど、あれはいいらしい。

 確かに、人の話し声も音楽とは言わないけど、あれは良くて、これは駄目って、よく考えてみると、変な感じ。

 でも、何が音楽で、そうじゃないかを決めるのは、私じゃない。

 そう思うと、楽譜の入ったレッスンバッグがズシリと肩に重かった。

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