第4話

 書道室の事件から三日たっても学校は完全閉鎖にならなかった。

 学校に行けるのならばコンクールが近い僕としては部活に顔を出さないわけにはいかない。

 やはり大きな声で盛り上がるグラウンドを横目に暗い校舎内を独り歩き、たどり着いた美術室。


「おはようございます」

「………えぇ、おはよう」


 美術室には僕よりも先に鬼塚さんの姿があった。

 描きかけの絵と向かい合い、僕に挨拶を返した彼女はどうも絵を描いていた様子ではない。

 僕が道具を用意している間、鬼塚さんは一度も筆を持たなかった。

 その目は絵を見ているようでいて、本当は何も見ていないのでは無いかと思うほど静かだ。

 そんな鬼塚さんを横目に見ながら僕は絵を描き始め、ちょうどお昼時に差し掛かった頃にようやく沈黙を保っていた少女が筆を手に取った。


「……昨日の事、覚えているかしら?」


 筆を持った鬼塚さんは絵を描きながら僕に話しかけてきた。


「まぁ、酷い荒らされ方だったよね」

「……そう。そうね」


 話しかけてきた鬼塚さんだがどうやら話が纏まっていないみたいだ。

 時折筆を止めながら思考する彼女の様子はとても慎重に会話を進めようとしているようだった。


「壁に大きな亀裂があったあの壁、幾つか作品が飾ってあったのを覚えてる?」


 鬼塚さんに言われて思い出した書道室の壁には確かに幾つかの書が並べられていた。

 書いてある文字はバラバラで、諸行無常や行雲流水など様々な内容だったはずだ。


「ありましたね。中身はバラバラだったみたいですけど」

「バラバラと言っても全て四字熟語だったでしょう?」

「そうですね」


 美術部の僕だが、正直なところ芸術の何たるかは全くもってわからない。

 美術部に入った理由は文化部で落ち着いていて一人の時間を楽しめるから。

 そしてちょっと絵を描くと言うことに興味があったからと言った程度の理由だ。

 美術品など見ても綺麗だな、上手だなという程度の感想しか出てこない。

 書に至っては「字、うま」程度の感想しか持てない程だ。


「一際大きな傷があったあの壁、あの書の並びを見てわかったと思うけれど、あの位置にもおそらく一枚の作品があったはずなの」

「そう言われれば、ちょうど一枚分の隙間があった気がするけど」


 あの時の光景を思い浮かべれば確かに壁の亀裂は作品を一枚並べるくらいの幅だった。

 抉られた壁にばかり目が行ってほとんど見えていなかったようだ。


「あの場所、おそらく私の友人の作品が飾られていた場所だったのよ」

「……そっか」


 つまり鬼塚さんはその友達の事が心配だという事だろう。


「まあ傷は書道室中にあったわけだし、偶然だとは思うけど」

「それがそうでも無いかもしれないの」


 コトリという音を立てて筆を置いた鬼塚さんは酷く真剣な表情で僕の目を見た。


「最近のことなのだけれど、その子の周りで奇妙なことが起こり続けているの。それがだんだんエスカレートしていく中で、今回の事件が起こっている。そして大きく抉られた場所には彼女の作品……」

「要するにその奇妙な出来事の延長線だと」


 話の流れを汲み取って尋ねると鬼塚さんは小さく頷いた。


「それで、その奇妙な出来事ってどんな感じだったんですか?」

 

 妙な話だと分かってはいた。

 それでも止められない好奇心が鼓動を早める。


「……初めはそんなに不思議な事では無かったわ。その子の物が無くなったりする程度で、その子も気のせいだと思っていたみたい」

「たとえばどんな物が?」

「そうね、ペンやノート、筆なんかの文房具がよく無くなっていたみたいね」

「なるほど」


 確かにその子にとっては身近な物のようだ。 

 しかしその子の物が欲しくて盗むにしては物が微妙にそれっぽくない。

 単なる嫌がらせのようなものばかりだ。


「それからしばらくすると……視線を感じるようになったって言っていたわ。それからすぐに彼女の周りで何かが壊れていたり、突然悪寒を感じたりするようになって、今度はあの事件ってわけ」

「まぁ、当人としては確かに疑いたくなるような状況だと思いますけど」


 正直に言って被害妄想の類いの可能性がかなり高いだろう。

 書道室の一点を除いてはその子を好きな人か、もしくは嫌いな人からの嫌がらせという方が納得できる。


「日景君、貴方が今何を考えているかは分かるわ。けれどこれは絶対に人ではない何かが関わっているの」


 鬼塚さんはそう言って僕の目を見た。

 その表情は真剣そのもの。

 しかしそれならそれで僕は疑問を持たざるを得ない。


「その、もし仮にそれが本当にオカルト系の出来事だとして、どうして僕に相談するんですか?」


 その問いに鬼塚さんは少しきょとんとした後、たった一言こう言った。


「だって日景君、こういうの好きでしょう?」

 

 僕も伊達にオカルト野郎の呼び名を貰っているわけでは無いらしい。

 


 






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