第2話

 夏の初めもひぐらしは鳴く。

 夕暮れに赤く染まった空の下、僕は学校の校門前にぽつんと一人立っていた。

 朝はあれほど騒々しかった運動部はいなくなり、グランドには蝉の声だけがこだましている。

 止まっていた足を進めて駐車場へ向かう。

 昼間に来た数台のパトカーも姿を消しいた。

 何か得られたものはあったのだろうか。

 僕の予想が正しければおそらく何もわからなかっただろう。

 ……前回も、そうだったから。

 

 しかし何も見つけることができなかったのは僕も同じだ。

 今日ここに来れば何かが分かる。

 そんな予感に突き動かされてここまで戻ってきたが、得られたものなどなかった。

 まさか学校の中に入るわけにはいかないだろう。

 そう思い学校から離れようとした時、ほんの一瞬、廊下を誰かが歩いているのが見えた。

 見間違いかとも考えたが、そうでは無いと直感で悟った。

 

「嫌な……寒気だなぁ」


 僕は本来臆病者で、こういう時普通なら危険に近づいたりはしない。

 けれど今回は話が別だった。


「……わかるかもしれないんだ。僕の事が、あの日のことがっ」


 僕はほんの少しの助走をつけて、校門の柵を飛び越えた。

 普段なら絶対にしないこの選択が、大きく運命の輪を回す事になるとはまだ、知らない。



 コツコツと響く僕の足音。

 階段を登る規則的な音が人の気配を感じない校内に響いている。

 昇降口が開いていなかったためどうしようかと思ったが、昇降口の近くにある三階の教室の窓が開いていた。

 なぜ開いていたのか、誰が開けたのかはわからないが、さっきの人影に会えればわかるかもしれない。

 響き続ける足音を鳴らし聴きながら上階へ上階へと上がる。

 そしてたどり着いたのは四階だった。

 カツン、と一際大きな足音を響かせて最後の段差を登った時、廊下へと出る通路の穴が、大きな生き物の口のように感じた。


 身を包む寒気を追い抜いて、僕は四階の通路へと出る。

 するとすぐに、先程の人影は見えた。


「……」

「……そっか」

 

 僕がその人を見て言葉に詰まっていると、その人は僕に向かってただ一言そう言った。

 そしてそれが僕にとって、本日最後の記憶になった。

 


「どこだ……ここ」


 本当にふと、突然、唐突に、僕はその場所で目を覚ました。

 月明かりが照らす森の中、いや、森の中にある神社の境内だった。

 1度来たことがある気がするが、なぜこんなところで寝ているのか理解できない。

 空から見下ろす月の位置から察するに随分と夜も更けている。

 何度思い返しても自分の足で歩いてきた記憶はない。

 そして記憶が途切れる寸前の情報がひどく曖昧になっている。

 あの時声をかけたのは‥‥‥どうしても顔が思い出せない。


「‥‥?」


 今、境内の木々を揺らす風の音に紛れて鈴の音が聞こえた気がする。

 気のせいかとも思ったが耳を澄ますと断続的にその音は響いていた。

 しかも少しずつ近づいてきているのか、音が大きくなっている。

 前、右、左、あるいは後ろ、もしくは上、ともすれば下からすら聞こえるようなその音は次第に耳鳴りのように大きくなった。

 一つだった鈴の音はやがてスライベルや神楽鈴のように幾つもの鈴がかち合う音に変わっていく。

 思わず頭を抱え耳を塞ぎ疼くまると、突然音が止んだ。


 未だ耳に残る残響に眉を顰めながら顔を上げた時、僕の目の前に憎らしい、けれど美しく、幼くて、無邪気で、邪悪な笑みが向けられていた。


「‥‥まったくまったく、殺されおって。情けない」


 赤と金を帯びた黒く長い髪を靡かせて幼い童女の瞳が僕の瞳を吸い込んだ。

 濡れた淡い紅色の唇が開かれ鈴の音のようなそれが呆れたように首を振る。


「いやはや、いやはや。飽きさせてくれぬの。安心せよ、妾を宿した貴様、凡百程度に殺させてはやらぬわ」


 呆れながらも楽しそうにカラカラと笑い、鈴の音が高らかに鳴り響く。

 そしてゆっくりと伸ばされた手が僕の頭に触れる。

 

「それでは約束通り貰っていくぞ。ようやく妾にも機会が巡って来たというわけだ」


 何を口にしようとしたのかはわからないが、僕の言葉が口に出るよりも早く童女の手が握られた。

 掌にあった僕の頭を豆腐のように握りつぶして。



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