怪物の『 』へ
@himagari
第1話
「――これでホームルームを終わります。明日から夏休みですが二学期も元気に登校してきてください。以上。号令」
7月の後半に差し掛かった僕の教室はこれから迎える夏休みのために、これまでも繰り返されてきた恒例のホームルームが行われていた。
教室の隅、窓側の席で窓を見ながら長い話が終わったのを感じて立ち上がる。
クラスの全員が立ち上がったところで日直の鬼塚蓮が号令をかけた。
「気をつけ、礼」
その声に合わせて「ありがとございました」という挨拶が行われる。
予めまとめておいた荷物を持ってそそくさと教室を出た。
「おーおー、今日も陰キャ君は帰りが早いねぇ」
「オカルト野郎の事なんか気にすんなって」
なんて声を背中に受けながら。
もう慣れてしまったこの雰囲気を気にもせず、僕はあるき慣れた通学路、復路である帰宅路を歩く。
その途中、帰宅路のちょうど真ん中くらいにある公園が目に入った。
まだ初夏とはいえ高い気温と泣き叫ぶ蝉の声で頭がふらつき、視界が真っ白に染まる。
そのふらついた瞬間に吹き出した血と衝撃の感覚が蘇った。
しかしふらつく頭を左右に振れば視界は元に戻り、また蝉の声と肌を焼く陽の光だけがその場に残っている。
大きなため息を一つ吐き、僕は足早にその場を通り抜けた。
僕の中には怪物が棲んでいる。
そうわかったのは小学二年生の時だった。
☆
翌日僕はまた学校を訪れていた。
夏休みとはいえ部活動は普通に行われているため僕はそれに参加しに来たのだ。
朝が早い運動部の声を聞きながら校舎内へと入り、所々で行われている吹奏楽部の個人練習を聞きながら三階へと上がった。
目的の教室は美術室。
本来長期休暇中我が校の美術部は活動を行っていないが、夏休み半ばに地方コンクールが行われるため少しの間だけ活動しているらしい。
らしいと言うのは僕が高校一年生で、前年度のことは知らず、この美術部は僕を含めて二人だけで活動を行っているからよく分からないのだ。
「おはようございます」
念の為挨拶をしながら美術室に入ったが、中に人はいなかった。
どうやらもう一人の部員はまだ来ていないらしい。
別に待っているわけではないので一人で黙々と道具を準備していく。
のんびり10分ほどかけて準備し終わった頃、教室の扉が開かれてもうひとり部員が現れた。
「おはよう」
「あ、おはようございます」
入ってそうそう挨拶をしてきたのは同じクラスの鬼塚蓮。
美術部の部員は僕とこの鬼塚だけだった。
「日景君」
「はい」
日景は僕の名前だ。
姓の下には灯という僕には分不相応に似合わない名前がついている。
普段はあまり話しかけてこない鬼塚さんに呼ばれ、顔も向けずに返事をした。
「この学校に怪物が出たらしいわ」
「……えっ」
鬼塚さんの言葉に心臓を握りつぶされたかのような衝撃が走り、僕は鬼塚さんの方に顔を向ける。
鬼塚さんは僕の方を見ずに先程まで僕がそうしていたように黙々と作業の準備をしていた。
全身から冷や汗をかきながらそれでも同様を悟らせないよう必死に声の震えを押さえつけて会話を続ける。
「か、怪物ですか?」
「えぇ、昨日の夜中にすごい轟音が鳴り響いて、見回りの先生が見に行ったら四階の壁が大きく抉られていたらしいわよ」
その言葉を聞いて僕は大きく息を吐き出した。
僕は昨日は確かに家にいたのだから、鬼塚さんの言う怪物は僕じゃない。
そう分かれば自然と呼吸も落ち着き、会話にも余裕ができた。
「壁を?」
「そう。ちょうどこの上四階の書道部の部室でね」
そう言って鬼塚さんは僕の方を見た。
「今ちょうどコンクールに出す作品が行き詰まってるの。何でもいいから刺激がほしい……。日景君にも分かるでしょ?かと言って一人で行くのは……」
僕の目を見る鬼塚さんの目は雄弁に僕へと意思を伝えてきた。
――ついてきてほしい、と。
「……わかりましたよ」
「ありがとう」
鬼塚さんの微笑みから目を逸らして4階へと向かう。
夏休みの校舎はひどく静かで、静寂の中にコンクリートの壁が反射した二人分の足音が響いていた。
二人の間に満ちる沈黙が痛い。
なにか話題はないものかと考えると、鬼塚さんについて一つ思い出したことがあった。
「そう言えば、鬼塚さんは中学生の頃は書道部だったって聞いたけど」
「えぇ、そうね。それが何か?」
もしかしたら無視されるかもしれないと思ったけれど、流石に同じ部活のメンバーなだけあって返答があった。
たしか鬼塚さんは書道のコンクールで何度も入賞したことがあるかなり有名な人だったはずだ。
だからこそ入学当初鬼塚さんが書道部に入らない事に先生達が驚いたという話を聞いた。
「書道部がある中学校って珍しいと思って」
「そうかしら?いざ探してみればそう珍しいものではないと思うけれど」
確かに自分のところにないからと珍しい部活というわけでもない。
スマホででも調べてみればかなりの数が見つかるだろう。
「高校はどうして美術部に?書道部もあったのに」
「……私が初めて筆を持ち、初めて磨った墨で描いたのは文字では無く花よ」
一瞬どういう事かと思ったが、墨は何も文字を書くためだけのものではない。
絵を描くためにもよく使われるものだ。
有名な水墨画は何枚もある。
水墨画といえば、と問えばおそらく書かれた絵を見たことがない人達でさえ雪舟など著名人は知っているだろう。
「父に連れられて行った美術館で、とある水墨画に惚れ込んだの。地方の美術館だったから有名な画家では無かったけれどね。中学の時は美術部が無かったから書道部に入った。という説明で十分かしら?」
「うん」
早口と言うわけではないが、端から端まで完結した言葉は僕との会話をあちら側が望んでいないことをよく物語っていた。
会話はあまり続かなかったがもう気まずさを感じる必要はない。
目的の場所までたどり着いたからだ。
書道室の入口の前には赤色の三角コーンが二本置いてあり、その間に虎模様のポールが掛けてあった。
教師陣が扉の前には数人いたため部屋の中に入る事はできなかったが、中に入らずとも中の惨状は見て取れる。
「……これは」
「……酷いわね」
開けられた扉の中に続く部屋の中、正面に見える作品を飾る壁に人間の身長ほどもある深く大きく亀裂が入っていた。
その他にも床や天井、左右の壁にも先の亀裂ほど大きくは無いがいくつかの傷がある。
「……とても人間の仕業とは思えないわね」
「たしかに、これは巨大な獣が暴れまわったと言われたほうが納得できる」
「こらっ、ここは危険だから部室に帰りなさい」
中に入ろうと動いたわけでもないのに扉の前に立っていた男の教師から注意を受けた。
「直に警察も来るから今日は早めに部活を切り上げて帰ること。間違っても遅くまで残ったりするんじゃないぞ!!」
これで満足したかと隣を見ると、鬼塚さんが頷いた。
これ以上いると怒られそうな雰囲気もあったので、いそいそと来た道を帰る。
帰りは二人共無言のまま美術室まで歩くことになった。
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