逸脱

室 記生

第1話 人類種

地球上に存在する生物の共通目標は種の繁栄であることは誰もが知るところであろう。種を残すために個を切り捨てることもいとわず、種を残すために子を殺すこともいとわない。それが地球上の生物の長い歴史のなかで繰り返されてきたであろう種の繁栄という事象である。しかしてこれは矛盾もはらむ。例えば、障害をもって生まれた個体がいたとする。種としての創意は、群れに悪影響を与える可能性があるためこれを処分する。あるいは生存競争に敗れこの個体は淘汰される。しかし仮にこの個体の持つ障害に分類されるような個性が、急激に変換した環境(温暖化でも核による放射能汚染でも何でもいい)に見事適応し得たとする。もしこの個体を残しておけば、この種は新たに環境に適応した進化を成功してみせ、種を存続させ得たのだ。種の繁栄を念頭に置く場合、この個体は生かしておくべきという判断が妥当なのである。しかし、しかしだ。この、いわゆる多様性を尊重する文化は現状人間しか持ち得ていないのだ。それは一体なぜだなのか。

 余談だが、私は人間が大嫌いである。植物も動物もありとあらゆる人間以外の生物は好きだが、人間は大嫌いである。何が嫌いか。と問われれば、傲慢であるから嫌いであると答える。例えば、人間はその知能進化で自らの生息可能な現状地球を破壊しかけ、それを環境を守りましょう。みんなで協力しましょうなどと、気色の悪い笑顔を振りまきながら電子ネットワーク上を跳ね回っている。あたかも自らの、人類の力こそがすべてを左右するというその傲慢が私は大嫌いなのだ。そもそも、地球史上では絶滅などそう珍しいものではない。だから人類が種を暴走させ制御できずに滅ぼうがそんなことは全くどうでもいいことに過ぎないのだ。と私は思う。

 余談が長い。

なぜ人類のみが多様性という名の種の繁栄上重要な要因を持ち得たのか。いうまでもなくそれは 知能の上昇によるものだろう。人類はその知能を高度に発展させたがゆえに、感受性と価値観を持ってしまった。人類は自分と同系統の形をしたものの命を奪うことを許容できなかったのだ。否、この書き方は卑怯かもしれない。人売りは別に人の形をしていようとも平気で殺す。何のためらいもなく、それどころか愉悦すら持ち得る。まったく気持ちが悪いことに人類は、肌の色が違うだの、信じるものがちがうだので同種を殺す。共食いがほかの生物にまったく見られないとは言わないが、少なくとも人類ほど非生産的な同族殺しではないと断言できる。

結局人類はマジョリティーに従って人類を殺さない選択をしたに過ぎない。主張の大部分が外人を殺すことに傾き、正義がそれに付随したのならば人類は全く簡単に人売りを殺し始めるのだ。まったく気持ちが悪い。

 他生物が種の繁栄という絶対目標に従い、しかと地球を生きている。それがいかに美しいことなのか、人類はとうに忘れたのだ。つい最近にも、赤子の死体が遺棄されているという事件があったと友人に聞いた。愚かしいことだ。種の生存が目標で、それをなせる環境がある、しかし人類はその感情によって生物のことわりをたやすく外れる。種の存続において一個体は重視する必要がない。ならば遺棄された赤子はバグとして不要だったのだろうか。否、バグは親である。その状況を推し量ることすら私にはできないが、少なくとも赤子に罪があったということはない。種の存続における多様性概念上は生存してしかるべきであった。

 正直私はこの赤子に対して同情を一切感じなかった。またそういう事件か。程度の認識である。

つまり私も唾棄すべき人類であり、嫌悪されてしかるべき人類の一個体に過ぎないのだ。



                  終わり

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逸脱 室 記生 @iona_komachi

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