四話:菫のババロア


「ただいまぁ。」

「おかえり楓。」


重い足取りで帰宅した楓を出迎えたのは鈴子だった。

自分が悪いとわかっていても、素直になれない時はある。特に時間を置いてしまうと尚更だ。

溜息を堪えて靴を脱ぐと、ばつの悪さから少し早口になりながら楓は鈴子に謝った。


「昨日、心配かけてごめん。」

「はい、許します。

おじいちゃんのお土産があるから、手を洗っていらっしゃい。」

「うん。ごめん。

ばあちゃんもおかえり。」

「ただいま。難儀かけたね、楓。」




ランドセルを置き、手を洗って戻るとテーブルの上には包装がかかったままの宮城ノ月の箱と、日北商会のデザートプレートに乗ったババロアが配膳されていた。

宮城ノ月はなんだが勿体無くて、そのまま仏壇に備える。

楓が線香をあげる間に鈴子がお茶を煎れてくれると言うので、それに甘えた。


二人揃ってから、向かい合わせで皿に向かった。

何だか勿体無くて皿を持ち上げてまじまじ眺めてしまう。

上に乗った花弁も鮮やかだが、薄紫色とクリーム色の層が折り重なる様子が美しい。


「いただきます。」

「いただきます。 本物のすみれ?」

「そうね。砂糖漬けって買うと結構お高いのよね。

桜の塩漬けくらいならおばあちゃんでも作れるけど。こういうのは中々ねぇ。」

「綺麗だね。

塩漬けとは何が違うの?」

「そうねぇ。塩漬けは綺麗に洗って拭き取りしてから、お漬物のようにお塩にえいえいえいっ!ってやるだけじゃない?」

「うん?うん。」

「砂糖漬けはレモン水で洗ってから拭いて、ブランデーに漬けて、粉砂糖を漉し器で振って、陽当たりのよい所で乾燥させるのよ。」

「へぇ。琥珀糖とか、グラニュー糖いっぱいのぐにぐにしたドライフルーツみたいな?」

「そう。そこまで大変じゃないけど、果実みたいに加糖は少ないから結晶化し辛いのよね。

アイッシングするつもりで重ねづけして繰り返さないと綺麗にできなかったわ。」

「大変なんだね。」


ババロアのトップを飾る慎ましい菫。美しい飾りだなとは思ったものの、そんなに貴重なものとは思わなかった。

デザートプレートからプラスチック容器を持ち上げて電灯に透かして眺める。淡い色合いが綺麗だ。

ボーンホルム社の蓋付きカップは、初めて見た。鈴子が新しく買ったのだろう。満足そうな顔で頷いている。

薄く茶色みがかった金色で、縁が青く見える。口内を濡らすように含めば微かに酸味のある薄い味と華やかな香りがした。

喉を潤したばかりなのに強い収斂しゅうれんも感じる。

東方美人とうほうびじんだ。

取って置きの茶葉を煎れてくれるということは、余程この買い物が気に入ったようだ。


「いいカップだね。柄や色はいつもの感じだけど珍しいね。

こういう形のって今まであったの?」

「そうなのよ。聞いてくれる?」


携帯でホームページを開き、カップの通販ページを鈴子が読み上げるのを聞きながらスプーンを手に取った。

薄紫色の上澄みを少し掬うとムースより固めの生地感が心地良い。口に含めばまろやかさと少しの酸味が美味しい。

もったりとした牛乳の生地感を舌で潰して楽しみ終えると、ラベンダーのような清涼感が鼻を抜けていった。


「美味しい。」

「いいお店が近所に出来てよかったわねぇ。」

「えっ?」

「おじいちゃんねぇ、帰ってくるなり荷物だけ置いて、真っ直ぐ満月堂さんに行ってきたのよ。」

「そうだったんだ……。」

「いまお庭にいるから、食べ終わったらいってらっしゃいな。」


プラスチックカップの中をじっと見詰めて言葉を無くす楓に、鈴子は笑ってお茶のおかわりを煎れてくれた。

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