第5話蛇口を捻るもの

 あの時期、私は激務の中でした。

 深夜に帰宅した私は仕事でヘトヘト、そのまま着替えもせずベッドにダイブ。

 硬いベッドではありました。

 しかし疲労困憊の私の体はずぶずぶと沈み込み、すぐに意識が薄れていったのです。


 ポーン、キュッキュ、ジャー


 夢現の中でそんな音を耳にしました。

 しかしすでに全身が脱力した私にとって、どうでも良いことに感じておりました。


 ジャー


 音は鳴り続けています。

 夢に落ちかけた私の意識は徐々に現実に引き戻されていきました。

 私はモソモソと体を起こし、音のする流し台の方向へ目をやりました。


 蛇口が全開に開かれ水が出ている、事を認識したのは少し後。

 まず目に飛び込んできたのは宙に浮く顔でした。

 金色に光輝きその表情はにっこりと微笑んでいる。


 眠気で頭の回らない私は只々、呆気にとられ恐怖を感じる余裕すらありませんでした。

 流し台の横でピタリと静止し微笑む顔と見つめ合う事、約一分。


 ポーン


 音がすると共に顔は霧散して消えました。


 しばらくぽかんとしていた私でしたが、時間が経つにつれ徐々に恐怖を感じるように。

 私は恐る恐る流し台へ向かい、ぎゅっと蛇口を閉め水を止めました。


 心臓がドキドキしすぐに眠れそうにない私は深呼吸を繰り返し、気持ちを落ち着けるよう努めました。

 疲れと眠気で幻を見たに違いない、水もきっと最初から出ていたのだろう。

 少し落ち着きを取り戻した私はそう結論付けました。


 そろそろ寝なければ、明日の朝も早い。

 そう思った矢先。


 ポーン


 反射的に流し台を見る私。


 金色の顔が微笑んでいました。

 キュッキュ蛇口がひとりでに回り、ジャーと水が流れ出します。

 私は動けなくなり再び、顔と見つめ合いました。


 約一分後、顔は霧散しました。

 私は恐怖で目が冴え、その日は眠る事が出来ませんでした。

 


 それからというもの、数日に渡りその現象は続いていました。

 私が帰宅すると必ずと言っていいほど蛇口から水が出ています。

 家にいる時は数時間置き、短い時は数分置きにポーンという音と共に顔が出現します。

 その度、蛇口が捻られ水がジャー。

 私はいつ来るとも知れない恐怖に苛まれ、ストレスを溜め込んでいきました。



 困り果てた私は除霊を考えました。

 と言っても霊能者の知り合いなどいません。

 私はネットを漁り、三万円で除霊を引き受けてくれいただける方とコンタクトを取ったのです。



 除霊当日、待ち合わせ先にいたのは七色の巫女服を身に纏った六十代とおぼしき女性。

 キテレツな格好に不安を覚えましたが、そこは藁にもすがる思いの私。

 前金で三万円支払うと早速現場へ案内しました。


 霊能者は部屋へ入るとそのまま、まっすぐ流し台へ向かいました。

 水道の話はしましたが、場所が流し台とは言っていないはず。

 いや言ったような気もする。

 どちらか忘れました、ごめんなさい。


 流し台を前に考え込む事三分、霊能者は私の方を振り返りました。

 その顔は何か言い辛そうな様子です。


「ごめんなさい。この部屋に出るもの、これは私には払えないわ」


 その言葉を聞き私は絶望しました。

 そんなにも恐ろしく強い悪霊なのかと恐怖におののきました。

 そんな私の様子を察した霊能者は言葉を付け加えました。


「この部屋に出るのは悪霊の類ではありません。人の世で神様と呼ばれるものです。それも位の高い高次元な神様です」


 どういう事だろう。

 何故、神様が私の家の蛇口を捻り水を出すのか。

 さっぱり分からない。

 私は思わず霊能者に詰め寄りました。

 霊能者は首を横に振りました。


「神様の考える事は私にも分かりません。ただ一つ言える事、神様は善意と真心で貴方の部屋の蛇口を捻っています」


 納得のいかない私は霊能者に質問責めにしましたが、彼女はやはり首を横に振るばかり。

 申し訳なさそうな顔で言いました。


「とにかく私には払えません。お金も二万円で結構です」


 これから一体どうすればいいのか、混乱した私は頭を抱えました。


 ポーン


 音が鳴りました。

 それと同時に霊能者の体から力が抜け、膝をガクンと突き床に倒れ込みました。


 慌てて私が霊能者の方へ駆け寄ろうとした時、彼女はすっと立ち上がったのです。

 霊能者は私に顔を向け、にっこりと微笑みました。


 あの顔だ、私はそれが神様であると直感しました。


 神様は霊能者の口を借り、私に言葉を伝えました。


「お前はいつも頑張っていますね。神様は見ていますよ。ここ数日の事は神様からお前へのほんのご褒美です。お礼には及びません」


 その時の私は体が硬直し、言葉も発せない状態。

 これが神の力というやつなのでしょうか。

 神様は眩い光に包まれ、優しく暖かな空気を纏っていました。


 何故蛇口を捻るのですか、勝手に水出すの止めてください。

 私は問う事も訴える事も許されず、神様を見つめるしかありませんでした。


 やがて霊能者の体は再び脱力し、床に突っ伏しました。




 金色の顔が勝手に蛇口を捻り、水を出す現象は未だに続いています。

 私は何もかも分からないまま神様の御加護を受け続けているのです。

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