第5話
その時は確実に近づいていた。
しかし、いつまでも私はそれを認めたくなかった。
今年の六月で三十歳を迎えたというのに――今日と変わらぬ明日がきっとやってくるはずだと、子供の私は能天気に信じ切っていた。
父ががんになって二度目の秋。
再びお祭りの季節がやってきた。
今年の私の役割は、昨年までのように獅子を舞うことではなく、笛と太鼓で祭囃子を奏でることだった。
それを知った時――やっと神が力を貸したと思った。
父は今年こそ家に滞在することができたものの、すでに外を歩ける状態ではない。
まして変わってしまった自分の風貌を、近所の知り合いにさらしたくはないと言い、己の病気を誰にも告げず、誰とも会おうとしなかったのだ。
そのため、いくら獅子を舞おうとその姿を届けることはできなかった。
だがしかし。
笛と太鼓の音色は、町内に鳴り響くのだ。
見なくても私の雄姿を伝えることのできる、唯一のチャンスが、この時についに――なってやってきたのである。
だから私は、演奏を全力で奏でた。唇が腫れ、手の豆がつぶれて血まみれになっても。
この音は、俺の音だぞ。
俺が父のために奏でる音だぞ。
そう伝えるように、力の限り笛を吹き、太鼓を叩いた。
頑張った甲斐があって、それは父にもきちんと届いていたらしい。
祭りの翌日に父は、
「お前、笛太鼓できたんだな」
と、憎まれ口を叩いたのだ。
「当たり前だろ。俺の祭りのキャリアは、既に父以上だぞ」
と私が返すと、
「違いないな」
と笑っていた。
そして祭りが終わると、また父は病院へ戻り、同じように私たちも父に付き添うこととなった。
しかし。
それまで私は、祭りとその練習に参加するため、会社から休みを普段より多くもらっていた。
そのため、相対的に出勤日数が増え、休みは激減していた。
まして秋は、来客数が倍増する時期だ。
――言い訳をするならば、心身ともに私は疲れきっていた。
そのため――とある休みの前日に、次姉と母にこう打診した。
いや、してしまった。
「次の休みだけは、病院の付き添いを休ませてもらえないか」
自分勝手だとは解っていたが、それでもこれまでのように、穏やかに父と二人きりでいられる自信がなかったのだ。
そんな私の様子を察してか、次姉と母は了承してくれた。
そしてその日の夕方、病院から帰った次姉が言った。
「お父さんが『はじめはどうした』ってすごく気にしてた。なんか少し様子も変だったよ」
さすがの私も罪悪感に駆られ、
「明日は仕事を早退できるよう、会社に頼んでみるよ」
と言った。
そして翌日。
店長へ早退の旨を相談しようとした矢先に、私の携帯が鳴った。
本来、接客業である私たちには、仕事中の携帯の所持は認められていなかったが――私だけは特別に許可してもらっていた。
父の身に、いつ何があるか判らないからだ。
その、携帯が鳴った――。
店長に小さく断り、即座に電話にでると――電話のむこうで、母親は泣いていた。
言葉を聞く前に、私はすべてを察した。
「はじめ――お、おとうさんが――はやく――」
視線を上げると、店長は何も言わずにただうなずいてくれた。
私は制服を脱ぐのも忘れて、店を飛び出した。
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