第3話
病院で父の余命を二年と知って以来――我が家の時間は加速した。
五人全員でそろえる時間は、もういくらもないのだから。
手始めに、父親は入院の合間を縫って、母親との旅行を計画した。
次姉は息子とともに実家へ住むことを決め、少しでも孫の顔を父親へ見せようとした。
驚いたのは長姉だった。
それまでに十年近く付き合っていた男性を家に呼び寄せ、父と面会させたうえ――その場で入籍を決めたのだった。
教師という職業のためすぐに挙式というわけにもいかず、「生きて一緒にバージンロードは歩けないかもしれないけど」とブラックジョークを飛ばしたのは、彼女なりの照れ隠しだったのだろう。
それを知ってか知らずか、すでに次姉の結婚式でバージンロードを歩いた経験のある父は、「あんな照れ臭いもの、二度とごめんだ」と返していた。
その他にも次姉の発案で、家族全員で地元の温泉旅館に一泊したり、家族写真を撮ったりと、私たちは様々な形で思い出を作ろうとしていた。
それは確かに楽しくて、幸せにつつまれた時間であった。
そんな中で私は――何もできない己が無力に思えて仕方なかった。
母のように付き添うこともできず。
長姉のように結婚する相手もおらず。
次姉のように孫の顔を見せることもできない。
いつも企画を発案するのもどちらかの姉であり、私はそれに付いて回るだけだった。
そんな日々を過ごし、一向に父の病状が良くはならないままで、秋がやってきた。
秋はお祭りの季節である。
私の地元では、九月の第一週の金曜日土曜日の二日間にわたって、十数人の男性が一頭の獅子に扮して町内を練り歩く例大祭がある。地元の成人男性が原則全員参加する、一大イベントだ。
ところで、その獅子舞には五穀豊穣・家内安全・健康祈願の効果があるといわれるが――私はそのような信心は持ち合わせておらず、すがることもできなかった。
しかし。
地元の人間はもれなく、その獅子舞が大好きだ。
もちろん、私の父親も例外ではない。
だから、いくら信心はなかろうとも、手抜きをせずに参加することにした。
数少ない、男の私が父親にできることとして――獅子頭に繋がる大きな幕を、地元の友人たちと力を合わせてふるうことを決めたのだ――が。
運命は空回った。
父親が突然体調を崩し、祭り当日に実家へ滞在することが叶わなくなったのである。
いったいどれだけ神を呪えばいいのかと、暗澹たる気持ちになった。
神の依り代であると言われる獅子に扮しながら、父に対し一向に救いを与えぬ神というものをとことん恨んだ。
おそらくこの時――この町内で唯一私は、獅子舞を疎んじていた人間だっただろう。
父の数少ない楽しみすら奪っておいて、なぜ他人の幸せを願わねばならないのかと思うと、今すぐにでも白装束を脱ぎ捨てたくなった。
それでも、最後まで祭りに参加できたのは――幼い頃の父親との会話のためだった。
「いいか。この地域の男はな、獅子の幕の中に入って初めて一人前なんだ。そして一度入ったら、そう簡単に出ちゃいけないんだ」
「なんで?」
「決まりだからだ。簡単に決まりを破るようなやつを、男とは言わないんだ。覚えとけよ」
それは、私のお祭りの原風景である。
じつは父本人は、お祭りに参加したことがなかった。
父は東北の片田舎であるこの地域で生まれながら、中学校を出るとともに仕事の都合で静岡へと引っ越した。そのため、本人は獅子舞に参加することはなかった。一度この地を離れた際は、それだけが心残りでもあったようだ。
それでも、「必ずお前は参加しろ」などと押しつけがましいことは言わなかった。だから私が自発的にお祭りの参加を表明したときには、とても喜んでくれたのを覚えている。
余命少ない父のために、父の言葉を裏切ることを、彼は許さないだろうと思ったのだ。
一人前の男としての姿を、きちんと示したかったのだ。
たとえその姿を、本人に届けられなくても。
――もちろん、恥ずかしくてそんなことは伝えなかったが。
*
お祭りが終わると、秋は終わりを告げ――やがて厳しい冬がやってくる。どのくらい厳しいかというと、例年一メートル級の積雪に見舞われるほどの厳しさだ。
それゆえにこの時期、各家庭の男性は「雪はき」「雪下ろし」という、豪雪地帯特有の雪を片付ける肉体労働に追われる。それは私とて例外ではない。
そしてこの年も、雪は降り積もった。その量は例年通りどころか、例年以上であった。東京でも積雪が観測され、除雪用のスコップをこちらから送る事態が発生するほどの大雪であったことを覚えている。
そんな中で、私は真っ白な世界を切り開くべく、雪と悪戦苦闘していた。どれほど雪が多く降ろうと、やることは変わらないのだ。
毎日朝起きて、夜のあいだに降った雪を片付ける。
仕事から帰れば、日中に降った雪を片付ける。
それはこの地に住む以上、決して変わらない男の義務だった。
ただひとつ変わったのは――昨年まではともに作業した父が、今年は隣にいないことだった。
決して広くはない我が家の庭が、一人ではとても広く感じられた。
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