2-3 ホログラフィー・レディ/Holography Lady
「瑞穂さん!!」
クレーター中央、天高く突き出た8本の触腕……否、関節、鋭く尖った先端、これは脚。大脚の直撃を受けた瑞穂は天高く打ち上げられる。今まで戦っていたのは氷山の一角に過ぎず、その本体は地中で機を伺っていたのだ。
「くそっ……」
冬霞の射撃。しかし先程までと打って変わって、その外殻はいとも容易く銃弾を跳ね返した。
「どうしたら……」
関節を、細い足先を、地の底からずるり這い上がってきた胴体を撃つ。そしてことごとくを弾かれる。冬霞には分かっていた。
(白いエルの話を知ってる?)
「……知ってますとも、1から10まで」
……見上げる視線の先、空高くで瑞穂が上昇を止める。冬霞は凡人らしく、目を、耳を塞ぎ、振り返らずに逃げ出せばいい。なのに脳裏に、愛くるしい声で熾烈な言葉が響く。
(潰す、絶対に)
「……こっちの台詞ですよ」
まだ全然やり返していないから、死なれては困るのだ。
(佐渡さん)
どこか硬い声。佐渡、さん。冬霞にとってそれは、いつだってセットだった。その名字で誰も立場の差を勝手に見出して、遠のいて、凍ったみたいに固くなっていく。この街ではどこへ行ったって逃れられない。この街の外には何もない。死ぬまで誰もがよそよそしい、そう思って生きてきた。でもそれは、空想にすぎなかった。
(やっと怒ってくれた)
口の端から血をこぼして、瑞穂はあの時、平気な顔で笑っていた。冬霞を誰だか承知した上で。瑞穂は、おかしい。だから冬霞の事を気にしない。そこには庇護はなく、むしろ剥き出しの滅茶苦茶さしかなかった。それはそれで、どうしてか冬霞には快かった。
……その女が今、真っ逆さまに落下を始める。
(これで普通に暮らせるわ。監視もなにもなし。これで今日から貴女はただの冬霞……私の側でそうしてあげられなかった事だけ、残念だわ)
姉の声。優しくて、クレバーで、眩しい、世界の見え方の違いすぎる姉。冬霞をここに送り出す為に、どれほどの労力をつぎ込んだだろうか。
……だったらなんだ。それこそが、振り切りたかったもののはず。冬霞は頭を振って、首筋に手を添わせる。
(トーカちゃん)
呼び声。屈託なく呼ぶその声は心をざわつかせて、最悪で、憎たらしくさえある。憎たらしいから、心地いい。大殺戮の主犯とずっと共に居たというのも、どきどきする。冬霞の鼻腔を艷やかな黒髪の匂いの幻がくすぐる。
……護りたい。
それは冬霞であって冬霞ではない。
だから冬霞自身の実力でもない。
自己の証明を……望んだものを投げ打ってでも、護る力があるならば。
苦虫を噛むようにぎゅっと目を瞑る。ぱちぱちと燃え落ちる音、地響き、鳴り響くサイレン、地の底から這い上がる怪物の息遣い。それらを吹き飛ばす大声量で、冬霞は叫んだ。
「
音声、直接入力、そして冬霞自身の力場。
◇◇◇
「周波数が維持できない!!」
「
同時刻。都市を物理と電磁の盾で守護してきた
「このままだと全部落ちます!!」
「フィルター全部突っ込め!!
ぐおん、と聞いたこともない不吉な音響が辺りを満たす。都市を包む非可視の防護に、切れ目が開く。これ以上の穴を作れば、自前の部隊では追いつかなくなる。あの遺構管理局に頼るのは避けたい。
「……止まりません!!」
「非常用タービンと連系させろ!!1Hzで良いから引っ張れ!!」
「しかし……」
「早く!!」
その瞬間、猛烈な衝撃が足元から突き上げて、すべての明かりが消えて何も見えなくなった。
……これ俺のせい?
◇◇◇
肌が、死体みたいな色。
──膚の下をうねる。
──指先が、腕が、頬が裂ける。内側から怪物が染み出す。
覆う。腕。捻り。脚。縛り上げ。小銃。覆い尽くす。そして、裏返る。
ぱ、きん。
「きいいいイイイイオオオオオ"オ"オ"オ"オ"!!」
喉が勝手に開いて、甲高い耳障りな咆哮を吐き散らす。半身と銃を覆い尽くしたわたしが突如として硬化し、一本の長い刃と甲殻を成す。青に染まって歪む視界の正面、地中から這い出た怪物から敵意の視線が飛ぶ。睨み返す、殺す。その上に瑞穂さんが降ってくる。殺す、したらだめ。助けないと。
駆け出す最初の一歩。そのつもりで踏み出すと、宙を舞っていた。何故?
大地を強く蹴りすぎた……それを頭が理解しなくとも、体は殺意に駆動される。必然に着地点にいた怪物の頭に着地。銃弾を弾く堅牢な甲殻に、易々と
願いを超えた、無謀が体を突き飛ばす。瑞穂さんが瞬く間に迫る。殺……さないったら!!受け止めて!!左手を大きく広げ、右手の刃を出来るだけ逸れさせる。……衝撃。
「冬霞ちゃん……?そんな、君が……」
「瑞ホ、サん」
一言が精一杯だった。驚愕に見開かれた碧眼を見るだけで破壊衝動が湧いて、思わず目を瞑って着地の瞬間を測る。脚を思い切り伸ばし接地、沈むように衝撃を殺して、瑞穂さんを投げ捨てた。限界だった。このまま抱えていたら、ばらばらにして殺してしまう。
だからカイブツに向き直る。うすのろくも体を傾かせる、向き直り始めてもいない大脚に一気に駆け寄る。殺してもいい相手。大太刀みたいな銃剣を振りかぶり、まず脚先に刃を打ち付ける。
ば、き。
空を切った。届かなかった。
そんな手応えと共に、銃弾を跳ね返す甲殻がぱっくりと割れた。小枝のように吹き飛んでいく鋭い爪先。浮き足立ち傾く巨体。無法にも程がある威力に、心が粟立って冷たくなる。でもそんな気分とは無関係に、体が熱くてたまらない。もっともっと、切り裂きたい。
怪物が反応するより早く、もう一本の脚に斬りかかる。絹よりも軽い手応えと、切り飛ばされる自分の脚ほどある切片。バランスを崩した大蜘蛛が傷口からもろに接地して、巨体の癖にあっけなく苦痛に叫ぶ。
「ガアアアアア!!」
「……キュアアァ!!」
喉から漏れる声はどんどん人間離れしていく。火が付いたような熱に浮かされそうになる。まだ自分は人間、その自覚のある内にこいつを殺す!!
無様にも擱座した脚を蹴りつけ駆け上る……一閃。丸太のような脚を半ばでバターのように切り落とし、移動を封じ、飛び上がる。
殺せ、殺せ。
胴体上に着地。化物もバランスを欠いた体をゆする……刃を突き立て、力づくでしがみつく。甲殻の隙間から
やり返せ。
喰らい喰らえ。
引きずり出せ。
野蛮な声が脳を痺れさせる。その声を押しのける。貫かれる前に飛び上がり、ついでにその全てを刈り取る……躱そうとしたのに、すべて殺す。体が軽い。さっきより更に速くなっている。どこまでも加速し燃え尽きる、空に落ちる
乱雑に切りつけながら、ついに化け物の頭上へ到達した。縦に一閃、さらに横一文字。甲殻ごと厚い肉がぱっくりと割れて液体が吹き出し、化け蜘蛛が絶叫する。傷口に更に連撃を叩き込む。生命の弱点、頭か胴体を破壊。この怪物も同様なのか……わからない。わからないけれど。
弱きは糧に。
強きも同じく。
「……クアアアアアアアアオオオオオ!!!」
咆哮を吐き掛ける。切る、突き刺してねじる、叩きつける。壊れるまで壊す。頭頂を手当たり次第に破壊していく。切り裂き、切り裂く、弾かれる。桁違いの硬質に激突……中枢。腕を短縮して切断能力に特化する。突き立てる。巨体がぶるりと痙攣する。もらった。
殺せ!!
まだそこにあるはずの
足元が、巨体がわななき震え、制御を失って崩れ落ちる──蹴りつけて飛び降りる。数十mを落下、着地。背後でエルが地響きとともに崩れ落ちる……撃破。
もっと。
もっと沢山。
もっともっともっともっと、全部!!
手近な集団を袈裟斬り/胴を斜めに切断、横一文字/上半身が消し飛ぶ。兜割り/地面まで真っ二つ。振りかぶられる豪腕を踊るようにかわす/背後から背骨を串刺し/空へ向け切り結ぶ。支持を失って左右に広がる胴体、血煙の向こう側に二つの青、瑞穂さんの瞳。心がほっと安堵して、うれしくてたまらなくなる。
「
目一杯の喜びを伝える。瑞穂さんが生きてると嬉しい。生きているということは、私の糧にできるから。……そうだ、全部殺して早く戻らなきゃ。
刃を振りかぶる。瑞穂さんは目を見開きつつ盾を掲げる/刃を振り下ろす──激突。これまでと段違いの手応えを感じる……でも。切れ味の限界じゃない。刃を更に厚くする……微細構造の切削刃。白い爪が易々と食い込む。盾の裏側まで刃を通して振り抜く。頑強な盾の角が宙を舞う。
「あっっ
「何するのさ!!」
さらに斬りかかる。正中を射抜くように袈裟斬り……痛いのは一瞬だから。また激突、今度は鉛を切るような鈍い手応えとともに、刃が半ばで止まる。
「……こんにゃろ!!おりゃあ」
「瑞穂!!刃の横っ面掴んでる内になんとかしろ!!」
「なんとかって……!?」
「ギュイイ……!!」
──やられた。
──誰が下級種だ、大馬鹿野郎!!
触れた面から、お互いの思考が混線する。
ぱちり、と何かが頭の中でつながる音がした。そうだ、止めなきゃ。
──殺すしか無いか。
絶対零度の冷え切った殺意。私じゃない、これは誰の?唐突に降り掛かった恐怖が思考を研ぎ澄まして、意識が現実へ引き戻される。
「瑞ボごっ」
空が落ちてきたような衝撃とともに青い星が飛ぶ。血と革のにおいが鼻腔を埋めてようやく、顔面にめり込んでいるのが拳だとわかってくる。
「待て瑞穂!!まだ正気だ!!」
「こんなの殺す他に……っぐ……どうするのさっ……!!」
瑞穂さんの湿った声が聞こえる。押し付けられた拳を、まだ人の形を保っている左手でぱんぱんと叩く。
「どけてやれ瑞穂!!」
「……!!」
鉄柱のような剛拳が離れていく。息が、声が、出せる。私は、空いた左手をそのまま首筋の調和器へ添える。
「ふォー、ブと。フぉーるぼ……!!」
……起こらない、何も。
「ぶぉールと……ギュ、グっ……」
一瞬でも気を抜けば人ならざる咆哮を放とうとするわたしを抑えつけて、どうにか伝わりそうな声を絞り出す。
「……?」
まだ伝わらない。私は手で首筋を、首輪を指し、手を開き、それからゆっくりと閉じる。そして瑞穂さんの目をじっと見た。
「
ずい、と大きな手が伸びてきて、今度は優しく首に触れる。指先が震えている。
「……
瞬間、息が止まる。鋼線で頸を締め付けられるような感覚とともに、私の意識は光に飲み込まれた。
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