第8話

 次に顔を離したときには、朔良も顔を紅潮させてすっかり息を乱していた。しかし左右輔はそれ以上で、もはや息も絶え絶えと言っていい。


「んふふ♪これもお、う♪そ♪今のはただのキス♪」


 左右輔は楽しそうに囁く朔良を虚ろな目で見上げる。


「…なん、で…こんな…」


 今さら未練を抉り掻き毟るような真似をするのか。最後までは言葉にならない。

 しかしそれでも意図は伝わったのだろうか。切れ切れに呟く彼のくちびるを人差し指で塞ぐと優しい笑みを浮かべる。


「うそクンさあ♪去年も一昨年もその前もエイプリルフールの午前中には嘘吐かなかったよねえ♪」


「え…」


 虚を突かれたようにぽかんとした顔の左右輔に、まさに得意満面で朔良が語る。


「エイプリルフールに言ってる嘘っぽいのは全部ほんとなんだよね♪あたし実は毎週トリビアスプリングス観てるんだ♪エイプリルフールのときだけうそクンてあたしも聞いたことあるネタ言うんだよねえ♪」


「マジか…」


 つまり朔良は毎年四月一日の午前中だけ聞かされる嘘のような本当の話を、そうと知りながら残りの一年間に聞かされる他の雑談と同じように受け答えしていたのだ。左右輔の前で常に笑顔を絶やさない、ふざけた態度も含めてそれ自体が彼女なりのポーカーフェイスだったらしい。


「じゃあ、なんで急にあんなことを?傷付くような嘘がどうとか」


「ええ?だってえ♪」


 朔良がにまあっと心底楽しそうな笑みを浮かべた。


「うそクンめっちゃ緊張してるから♪つい♪」


「ついってなんだよ!?」


「エイプリルフールだけ嘘吐かないの何年も続けるとか厨二設定もだいぶ極まってキテるなあって思ってたら♪まさかその仕込みで告白されるとは♪にゃはははは♪」


「笑うんじゃねえよ!」


「にゃはー無理無理♪げ♪き♪わ♪ら♪」


「おのれええこうしてくれるわっ」


 左右輔は眼前にある朔良の頬を両手で摘まんで左右に引っ張る。


「にゃふぁふぁふぁ♪ふぁふぁふぁふぁふぁ♪」


 頬を引かれても変顔のまま笑い続ける朔良の顔を見て、左右輔はなんだか気が抜けてしまった。指を放すと彼女は赤くなった頬を撫でながらまだにやけている。

 ふたりはお互いの体温が伝わる距離のままで視線を交わした。


「ったく。それで?じゃあ返事はその…どうなるんだよ」


 左右輔は朔良の顔をまともに見られずに赤面して視線を落とし、改めて答えを問う。

 

「そうは言ってもねえ♪エイプリルフールだしねえ♪」


 彼女は俯く彼の顔の下に肩を潜り込ませるように、そして彼の肩に自分のあごを預けるように頬と肢体を密着させた。


「まだ少し時間あるし…コトバより確実なコトお、シちゃおっか♪」


「うぇっ!?おいっ!おいいっ!?」


 彼女の甘えた声が耳から脳髄へと直接囁き込まれる。

 柔らかい。温かい。いい匂い。触れ合うお互いの肌がじっとりと汗ばんで吸い付き合う。


「こ、言葉より確実ってなにする気だよ…」


「ナニかなあ♪オトコノコだしアレは持ってるよね♪」


「アレってなんだよおおっ!?」


「ナニかなあ♪にゃはん♪」


 朝の喧騒が遠い。人通りのない公園の遊歩道はふたりだけの世界だった。

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