ハピネス・ドリーミー

エアポートの大きな窓からプロペラ機やジェット機が離着陸するのを眺めていると、隣から盛大な溜め息が聞こえた。

ダニーがもはやずり落ちそうなほど椅子から足、というか尻もなかば投げ出して唇を尖らせている。


「事件も終わって観光でもしようと思ったところで呼び出し。まったく、凄腕のエクソシストは仕事に困らなくて助かるぜ」


不満たっぷりの皮肉に笑ったのはイザベラだ。昨夜の打ち上げで疲労が残っているのか目の下にはうっすらと隈が見える。

今朝がたまで行われたサウジェントタウンでの事件解決の打ち上げは町民も含めて盛大に行われた。

飲めや騒げやの賑やかさを遠目に眺めているとふとダニーの携帯が音を立てた。

どうやら本部からのメールらしい。サウジェントタウンの件が終わっているのがわかっているためか遠慮のない帰還要請だった。


「つーかホントにいいのかよ? お前は無理に着いてくる必要ないんだぜ? 本来休みなんだし」


ダニーの帰還に合わせ一緒に都心に戻る事にしたのを気にしているらしい。


「言っただろう。無理矢理休みを取らされたようなものだから呼び出されるぐらいで調度いい」


うえー、とダニーは舌を出した。


「このワーカーホリックめ。早死にしても知らねーぞ」

「普段から任務で飛び回ってるんだろ? むしろそれで体が慣れてるのかもね」


イザベラの指摘にダニーは身を震わせた。


「UK本部怖すぎ。ゾッとするね」

「人による。俺は働きすぎな方だと仲間からも言われる」

「お前マゾなの? そうなの? お前の話聞くだけでストレス溜まりそうだぜ」


やはり人より働きすぎなのだろうか。フルフェイズなどを見ていると普通に見えてくるのだからたまたま周りが働きすぎなのか。だが別段長い休みを取りたいと思わないのだから仕方ない。

イザベラがふと顔を上げた。離着陸を告げるディスプレイが予定の飛行機を名を灯していた。


「ま、ゆっくりする時間が取れたらまた来なよ。歓迎するよ」


イザベラはそう笑いかける。


「次の休暇の予定は決まったな」

「俺はダニーの件が落ち着いたら戻ってこようか。三ヶ月もあるし」

「チクショー! 羨ましいぞこんちくしょう! その間に休み取れないか聞いとくか。どうせだからこの面子で騒ぎたいし」


いちいちオーバーアクション気味なダニーにイザベラは笑っていた。


「飛行機の中で仮眠でも取るだろ? これ、あげるよ。急だったからろくに用意出来なかったけど、土産」


手を取られ掌に乗せられたのはキーホルダーほどの小さな飾りだった。蜘蛛の巣のような網目がついた輪に羽やビーズが繋がれたものだ。確かインディアンに伝わる御守りだったはずだ。


「ドリームキャッチャーだったか?」

「当たり。さすが博識だね、ロビン。夢見が良くなる御守りだよ。あたしの手作り」

「手作り? マジかよ。エクソシストが作った御守りとあっちゃあ効果は抜群だな?」


ダニーがそう笑うとイザベラは肯定するようにウィンクした。


「じゃ、向こうでも頑張って。来る事があれば連絡して。迎えに行くからさ」

「片付け、最後まで手伝えなくて悪いな。元気で」

「俺は必ず戻ってくるから! 今度デートでもしようぜ!」

「考えとくよ」


ダニーの軽口にイザベラは笑い、最後にハグをした。

数日の共闘だったが、確かに彼女は仲間だった。


「保安局の人達にもよろしく言っておいてくれ」


イザベラは手を上げて答えた。

ダニーと共に搭乗する。到着は夕方。仮眠を取ったらすっかり昼夜逆転のリズムになるだろうが、事件と打ち上げの疲労が抜けきらない体はシートに落ち着くとあっという間に睡魔に負けてしまった。




「ロビン、顔が固いよ」


そう苦笑したのは水無月翼みなづきつばさだ。日本の夏は本当に暑く、肌に痛いほどの日射しがコンクリートの大地を焼いている。


「せやせや。眉間に皺寄せてもて。将来眉間の皺が取れんくなるで?」


四之宮三冬しのみやみふゆがにやにやと笑って眉間をぐりぐりと押してくる。


「無表情ならここにもいるけどな」


秋初浅海あきそめあさみがちらりと見たのは朱寅零二しゅいんれいじだ。零二は小首を傾げて口の両端を自らの指で吊り上げた。


「笑うのは難しい」

「いや、難しくないだろ」

「そりゃあ営業スマイル得意な浅海からしたらそうやろけどー」

「そういうギリギリなネタ出してくんのやめろ。肩身が狭くなる」


秋初と四之宮が騒ぐのをぼんやりと眺めていると水無月がひっそりと聞いた。


「人多いの苦手だった?」


気遣う言葉に首を振る。


「いや。別に。ただ観光とか慣れてない」

「観光というか……うん、まあロビンがそう思ってるならそれでいっか」


水無月は笑った。その頭には高校生男子がつけても愛らしさなど感じない黒い耳のカチューシャがあった。日本以外にも世界に展開する有名なテーマパークのマスコットキャラを模したアイテムだが、正直どこが彼の琴線に触れたのか全く理解出来なかった。

そもそも水無月が揃ってこのテーマパークに来たいと言い出したのも理解出来なかった。大人も楽しめるテーマパークと銘打ってはいるが、それでも趣味に合わない者はいるだろう。自分がそういった類いである事を理解していたし最初は断ったのだが、四之宮になかば泣き付かれてしまった。本当にこいつら自分より年上なのかと思うのは仕方のない事だろう。

フルフェイズに相談すると「いいじゃないですか。楽しんできてください」なんてほざかれるし。帰還時期はいいのかと聞いたが問題ないと言われてしまえばそれまでだった。

四之宮がこちらの様子に気付きしなだれるようにして肩を組んできた。身長が変わらないからか微妙に組みにくそうだ。


「ロビン~。そないつまらなそうな顔しなや~。これも所謂思い出作りってやつやん?」

「はあ」

「君、暇潰しとか下手なタイプやろ」


言い当てられ閉口する。四之宮は図星なのを見破ると喉奥で笑った。今更遠慮しようが遅いと睨むと「ごめんて」と笑い混じりに言った。


「あのな。もっと気ィ楽にしてええと思うんよ。『教会』の教育がどんなんか僕は知らんけどさ。こんだけ退魔師……エクソシストがおるねんからさ。ちょっとくらい気ィ抜いてたかってなんとかなるって」


その言葉で気付いた。自分は気を張り過ぎているのだと。


「多分君が暇潰したりするんが下手なんも常に警戒してるからやと思う。確かに僕らは普通の人らより危険が多いたちやけどさ。やからってずっと気ィ張ってたら疲れてまうやろ? 楽しくもないし。せやからさ。せめて僕らと一緒にいる間だけでも『フツーの高校生』に戻らへん?」


まじまじと四之宮を見る。悪戯っぽい大きめの目は今は何処か優しく感じる。水無月も同様に柔らかな表情を浮かべている。


「成り行きでなった仲間だけど、俺は仲間だけじゃなくて友達になれたらなって思う」


友達。

そんな事を言われたのは随分と久しぶりな気がする。

なるほど。自分は悪魔を討伐する事ばかり考えているうちにいつの間にか近寄りがたい人種になっていたらしい。

そんなものはいらないと突っぱねていた事もある。

けれど、そう。きっと今までの生活に楽しさなんてものはなかった。

彼らは悪魔によって傷付いたり苦しめられても、それでも日常に楽しさを見出だして生きてきたのだ。

悪魔によって人生を歪められてきた者ばかりのこの高校生達と、悪魔によって人生を歪められた自分と。

なんでこんなに違ってしまったのだろう。


「友達、か」

「ワタクシ共のような者で宜しければ是非なってくださいませロヴィッツ様」


いきなり仰々しく頭を垂れた四之宮に思わず怪訝な目を向けると水無月は声を上げて笑った。


「よろしく、頼む」


照れから随分と小さく漏れた声に水無月と四之宮は顔を合わせ微笑んだ。




空港到着が近い旨のアナウンスで目が覚めた。三年ほど前の記憶を夢として見たらしい。


(日本にも行きたいな)


懐かしさが込み上げたが、それを忘れるようにダニーに送られた要請書類に目を通す。

都心に漂う不穏の影。ひとまずこれをどうにかしなければサウジェントタウンや日本へ向かう事は憚れるだろう。それに本来の渡米の目的も達成しなければならない。

生まれ故郷を訪ねる。

『教会』に引き取られイギリスに身を置いてから一度も戻っていない。自分の中で辛い思い出の地となって長かったが、ここ数年で漸く踏ん切りがついた。


(案外三ヶ月もあっという間かもしれない)


事件が舞い込めば協力するつもりもある。休暇とは名ばかりになるだろうと思ってはいたが、案外観光気分も出てくるのだから不思議なものだ。

ふと視線を感じて見遣るとダニーがこちらを見ていた。


「いい夢見れたか?」


自分の右手がしっかりとイザベラから貰った御守りを握っているのに気付き瞬きする。


「ああ。いい夢だった」


ダニーは微笑みに近い笑みを浮かべた。


「俺も夢見が良かったぜ。イザベラには感謝しねーとな」


再びアナウンスがあった。シートベルトを締めるよううながす案内に従う。


「これからまたしばらく働き通しだぜ、相棒。覚悟決めろよ」

「あんたこそ途中でへばるなよ」

「ガンバリマース」


軽口を叩くダニーに僅かに笑った。退屈しない休暇になりそうだ。

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