第二区事変11~断罪者Ⅵ~

「綺麗……」


 ナナミンの額をこじ開け、現れた見知らぬ少女の姿に見惚れるユーリが思わずポツリと零した。

 産まれたままの姿で、ひたひたと歩みを始める翅の生えた少女が、ユーリ達を一瞥もする事なく通り過ぎ、異形ゴブリンの目の前に立ちはだかる。


『お前、さっき俺が殺したエルフの餓鬼か?』


 見上げる翅の少女に顔を近づけようとした瞬間、パーンッ!という音と共に異形ゴブリンの右頬に強烈な衝撃が走った。

 右頬に手形の跡が付いた異形ゴブリンの首が、一回、二回、三回とぐるりと回る。


『……がぁ……あがっ?』


 あり得ない方向に、くたりと捻り折れた首。自分が何をされたのかも理解出来ず膝を折る異形ゴブリンに、少女が腰を落とし追撃の一撃を加えようとしていた。


「バイ爺は返して貰うんだじぇ」


 捻り込むように放たれた魔力の篭った拳が、異形ゴブリンの胸部を打ち付け螺旋状の捻れを生じさせる。

 捻れに耐え切れず異形ゴブリンの上半身が、まるで剥き出しのミキサーに投入されたかのように、辺り一帯に肉片の残骸を飛び散らせ、意識を失ったバイエンが地に放り出された。


「め、滅茶苦茶だわ……。なんて力なのよ」

「……」


 ユーリとキルナの二人が、少女の一撃に戦慄を覚える。

 撃ち込まれた拳の衝撃が、異形ゴブリンを貫通し、背後にある肉壁に巨大な螺旋状の抉れた跡を残していたからだ。

 唖然と立ち尽くす二人に、バイエンを担いだ少女が歩み寄る。


「何をボケっとしてるんだじぇ?」


「この声……。やっぱり、あなたナナミン……なの?」


「ほぇ?あちしじゃ無かったら、あちしは一体誰なんじょ?」


「いや……。だって、顔形が全然違うし……。身体も子供体型から大人体型になってるし……。全裸で背中に翅もはえてるし……。全裸!?」


 ユーリは、ナナミンだと名乗る少女を上から下まで舐め回すように見ると、鼻から一筋の血を流し、不気味な笑みを浮かべた。


「お前、ほんと気持ち悪いじょな……。まぁ、確かに視界が何時もより高く見えるし、おぉ、おっぱいボインボインなんだじぇ!すげぇんだじぇ!」


「……」


 自分の姿を認識し、はしゃぐナナミンをキルナが無言で凝視めていると、眼前に二本の指が迫ってきた。


「ぐわぁぁぁぁぁぁっ!?目がぁ!?目がぁぁぁぁっ!!な、何をするんですか!?ユーリさん!」


「じっくり見てんじゃ無いわよ!変態!!アレは私のよ!!」


「お前のモンでもねぇじょ……。兎に角、バイ爺を頼むんだじぇ。意識を失ってるだけで、そのうち目が醒める筈なんだじょ。念の為、ポーションでもぶっかけとくんだじぇ」


 ナナミンはユーリにバイエンを託すと、踵を返し、再び異形ゴブリンの残骸の元に歩みだそうとした。


「ちょっと、ナナミン。あの化け物の死体に向かってどうするつもりなのよ!?」


「……どうするも何も。あの化け物はこの世に解き放ってはいけない災厄の一つなんだじぇ。だから、二度と表に出て来れないように、魂ごとぶっ殺してやるんだじぇ」


 其れは、憎悪が込められた殺意の宣言。

 振り向いたナナミンから零れた言葉と、美しくも残虐な微笑にユーリは身震いした。

 先程までおちゃらけていた何時ものナナミンでは無い、底知れない別の"ナニカ"のように感じられたからだ。


 

 膝を折り下半身だけとなった異形ゴブリンに、ナナミンが語りかける。


「とっとと身体を再生させるんだじぇ。あんな攻撃で"欠片カケラ"のお前が死ぬ訳無いんだじょ」


 捻り切られた異形ゴブリンの下半身の断面から、鈍い音を立てながら肉塊が増殖し、失った上半身を形成していく。


『へぇ……俺が欠片の一つだと認識しているのか。どうやら俺はアタリを引いたみたいだなぁ』


 異形ゴブリンは何事も無かったかのように、身体が元の形に戻ると、長い舌を垂らし、恍惚の表情を浮かべた。


『神が遣わした希望の光は、どんな味がするんだろうなぁ』


 互いに手の届く範囲で、対峙するナナミンと異形ゴブリンの間に、異様なまでの重苦しい空気が限界まで張り詰め、弾ける。

 両者共に打ち出された拳と拳がぶつかり合い、空間を軋ませ開戦の狼煙を上げた。


 地に足を固定し、暴風の如き拳の乱打を撃ち合うナナミンと異形ゴブリン。

 小回りの利くナナミンが、異形ゴブリンの大振りな豪腕を掻い潜り、的確に肉を削ぎ抉っていく。

 圧倒するナナミンの拳が異形ゴブリンの身体を破壊していくが、片端かたはしから瞬時に肉体を修復し表情が狂喜に歪む。


『ハッハーーッ!!やはり、闘争の醍醐味ってのは殴り合いが一番だよなぁ!直に相手を死に至らしめ、命に触れられる事が出来る!!魔法や武器じゃ決して味わう事は出来ねぇ。俺の拳が、お前の命を砕いてやったぜ!っていうなまの実感を与えてくれるんだ!最高だよなぁ!おいぃ!!』


「阿保なんじぇ?一方的に殴られてる奴が言うセリフじゃないじぇ!!」


『そうだなぁ!んじゃ、どデカいのをくれてやるぜ!!」


 途切れる事なく続いたナナミンの拳打が、突如、空を切った。

 眼前から消え失せた標的。

 拳を放った勢いで、体勢を崩したナナミンの背後に瞬間転移で現れた悪魔が奇声を上げる。


 型も技術も無い、力任せの暴力がナナミンの側頭部を打ち貫く。

 殴り飛ばされ、ゴロゴロと地面に転がるナナミンに追い打ちをかけようと異形ゴブリンが追従し、飢えた獣の如くナナミンに覆い被さる。


『捕まえたぁ……』


 其処からは一方的だった。

 マウントを取られたナナミンは捥がく事も、抵抗する事も出来ず、美しい顔に何度も何度も拳を打ち付けられる。

 異形ゴブリンは拳に伝わる肉の感触を確かめるように、明らかに手を抜いた攻撃を加えていた。

 ナナミンの顔が歪み、ひしゃげ、崩れていく様を見て、己を昂らせ絶頂を迎える為にーー


『まだだぁ、まだ、死ぬんじゃねぇぞ!おらぁ!!俺が満足するまで逝くんじゃねぇ!!!』


 涎を撒き散らし、がなりながら発狂する獣の陵辱。

 その姿を見たユーリ達は、ただ、ただ愕然とする。


「一体何なのよ……。……!!」


 ユーリは少女に語りかける。

 自分達の直ぐ目の前で、虹色の翅を震わせ黒光った粉を辺りに漂わせる美しい少女に。


「ナナミン!?」


「此れから罪人を断罪するんだじょ……。黙って観てるんだじぇ」


 其れは、無数の黒い薔薇と荊を絡ませ、人骨で組まれた見上げる程にそびえ立った台座だった。

 その頂上には巨大な断頭台が備わっていて、美と醜が混ざり合いながらも、厳かな雰囲気を醸し出しソレに向かい階段を一歩、一歩上がる異形ゴブリンの姿があった。

 ブツブツと意味不明な言葉を宣うその姿は、まるで精神を侵され狂乱する罪人のようだった。

 頂上に辿り着いた異形ゴブリンは誘われるように、断頭台に首を差し出す。

 すると、地面からひしめき合う程の骸骨達が出現し、断頭台を見上げ怨嗟の声を上げる。 



 ――ソノ罪人ノ、クビヲヨコセ――と

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