けれどソレは偽物ではない 11

 保健室まえの廊下は、気分に反し心落ち着く雰囲気だった。

 放課後のため授業は終了。部活動に励む生徒たちの喧噪が風に乗って流れてきて、窓から入り込む。時間の流れはゆったりとしていて、青春らしさを遠くで感じている自分は疎外感のなかにいた。

 窓際で生徒玄関を眺めるが、横切る影はひとつもない。本来であれば、陽の色が傾く今ごろはとっくに帰宅している。

 そうでないのは、ショックで気絶した見染目を運んだからに他ならない。


「……これでいいか」


 手元の携帯に意識を戻し、メッセージをソウタに送る。

 見染目に好意を抱いているあいつのことだ。もう少しして部活を終えれば間違いなく駆けつけてくるだろう。来なかったなら来なかったで、その程度だったというだけの話。

 ちょうどよく、背後の引き戸が開く。

 振り返ると、保健室の先生が柔らかく微笑んだ。


「目、覚ましましたよ」




◇◇◇




 ベッドを囲うように閉まっていたカーテンを潜る。

 そこには制服姿で身を起こし、ひたいに手をあてる彼女がいた。


 先生は空気を読んで退席。カーテンの内側――ひいては、保健室も僕と見染目だけになる。


「……」

「……」


 しばらく、耳の痛くなるような沈黙が流れた。

 時計の針が刻々と時を刻む。

 心なしか他よりも近く、白く感じる天井。同じように清潔感しかないベッドのかけ布団。気を失うまえの自分を思い出す彼女は黒い制服を着ているためか、ひどく目立っているように思えた。

 と、見染目が顔をあげる。

 頭痛を堪えるような仕草を解き、青白い顔で僕をみた。


「片踏キョウは?」

「逃げた」


 簡潔に、結末だけを答える。


「そう……」


 見染目はただ一言、そうこぼした。

 顔色は良くない。やはりさきほどのショックは後を引いているらしい。その原因が自分であると考えると消えたくなる。選び取った行動なのだから、決して曲げるつもりはない。それでも、「もっと何かできることがあっただろうか」と考えてしまった。

 まぁ、考えても仕方がないことなどわかってはいるのだ。

 今はただ、彼女をいたわることしかできない。


「気分は?」

「サイアク」

「なにか食べたいものとかは?」

「いい。口にしただけ吐きそう」


 俯きがちで、表情はみえない。掛け布団に視線を落としたまま、無気力に返事をする。

 僕は彼女が、そうさせるほど『死』の影にトラウマをもっていて、打ちのめされているのだと勘違いをしていた。未だに負った傷を癒やし切れていないのだ、と。

 しかし、そこからは僕の予想外。

 つい先ほど衝撃的なことを経験したのだ。普通は放心状態になったりするものだと思う。まして、あれだけ過剰に反応を見せた彼女がとっくに立ち直り、ただじっと考察を深めているなんて誰が想像できただろうか。

 ああ、まったくの予想外だ。

 その回復速度。冷静な思考は。


 だけど、僕にとってはそれでよかった。



「――あんただったのね」



 ぼそりと、鋭利な言葉が僕を刺す。

 次いで、敵意でいっぱいの瞳が恨めしげに睨んだ。

 不思議と、自分は冷静を振る舞っていられた。普段であれば呼吸が止まりそうなほどの緊張も、取り乱しそうな身震いもない。


 向けられる非難の感情。ピリつく空気。すべてを受け止めてなお、僕という人間は視線を逸らさずにいられた。


「何のこと?」


 とぼけてみせるのも、確認にすぎない。ハリボテみたいな虚勢でもなく、ただ淡々と演じるべき役柄に徹していた。


「片踏キョウを捕まえたとき、あいつがあたしに何て言ったかわかる?」

「さあ。何て言ったんだ?」

「説いたのよ。死者と繋がることの素晴らしさを」


 僕は心のこもっていない感嘆の声をあげた。

 見染目は続ける。


「死者との素晴らしさを説いたのにも関わらず、あたしに父親の幽霊を見せる道理がない。だってあたしにとって幽霊は悪だから。再び相まみえるなんて御免だわ。クソ親父になんて二度と会いたくない」


 そういうことか。だから気づいたんだ、君は。


「もしも片踏キョウがあたしの過去を知っていたのなら――それを利用してを見せたのなら、説得を試みたりしない。無謀に『幽霊と繋がる世界の素晴らしさ』なんて説かない。とすると、あたしを保健室送りにした張本人は別ということになる。あたしの事情をある程度把握していて、それが死んだ父親であることも知っているだれか……。考えてみれば全部納得できる。最近付き合いが悪いのも、隠し事でいっぱいなのも。端紙リオに執着していた最初から、兆しはあった。こうなることを予測していなかったあたしの落ち度ね」


 やはり、見染目クミカは気づいてしまう。想像通り。期待通り。

 でもやっぱり、素直に喜ぶことはできない。目に見えない、だけど明確な溝が僕らのあいだには引かれている。 


「あんなにも真っ直ぐに真剣な顔を見せていたあんたのことだし。もあって当然のこと。でもあたしはどこかで、ずっと協力関係でいられると思ってた」


 そのため込まれた感情を、彼女は溢れさせた。


「あたしはこれでもっ、あんたを頼りにしてきた……! 独りでは耐えきれない疎外感があっても、同じ使命を背負ったあんたがいたから向き合ってこれた!」


 そう。

 周囲の人間はだれひとりとして真実を知らない。『リラ』で発生している異常がどんなものかも曖昧で、憶測ばかりが飛び交って。自分たちの脳から読み取った情報が関わっているなんて、誰も信じてすらくれない。

 たしかに、僕が端紙リオと出会うまでは、見染目クミカは同じ世界をみていた。

 いつか、同じ疎外感を感じた日が、間違いなくあった。そこから離れたのは自分だ。僕は世界を傾け、別物にしてしまった。


「だから。そんなひとりだけの仲間だから、あたしは……をしてほしくなかった!」

「……」


 荒れ狂う感情を露わにして、見染目が罵る。

 僕は冷たい表情で受け止めた。一字一句違わず、罵倒された言葉を反芻し記憶する。


「なんで一人で行動するの! 大事なことは何も教えてくれないの! 置いていくの! どうして……!」


 怒りが僕を責め立てる。当然の権利に逃げられない。


「どうして裏切ったのよ!」


 僕は見染目クミカを巻き込みたくなかった。だから、大切なことは伝えられない。これ以上君の見える世界が傾くと、あらゆる人が牙を剥く。升ヶ並カオルなんて比ではない。もっとタチの悪い連中が君を付け狙うことになる。

 だから、僕は裏切った。

 距離を置いたし情報は秘匿するし、彼女の過去を再現してトラウマだって植え付けた。彼女の正義に泥を塗った。期待を裏切って、地獄へ連れて行くパートナーに端紙を選んだのだ。


「何か言いなさいよっ!」

「……」


 せり上がる黒い感情。言葉のナイフは正しさをともなって僕を切り裂く。

 自分はどこまでも悪だ。見染目クミカにとっての害敵だ。そうでなくては彼女の安全は保障されない。

 引き結んだ口が言葉を紡ごうとして、何度も断念する。言いたくても言えない。

 端紙リオを選んだ。

 僕はもう、君の敵だ。


「っ、……僕、は」

「勝手に動いて勝手に置いてって、それで幽霊なんかにほだされて寝返ったってこと!? じゃあなに、さっきの妨害も裏で共謀してた結果で、あたしだけ除け者にしてずっと笑ってた!? ハッ、とんだ笑いものじゃない!」

「それは違う」

「だったら教えて。あんた何してるの? あのキョウとかいう男みたいに『リラ』の暴走を促してるわけじゃないんでしょ? だったらわざわざ妨害までして何がしたいの!」


 責め立てる声は正当なものだ。

 無視することも聞き流すこともせず、言い返すことも許されず。僕は僕の言うべき言葉を忘れた。

 お笑いモノだ。この期に及んでまだ悪役になりきれていないのか、詩島ハルユキは。情けない。


 ノドは、震えて何も発せられない。

 足は棒のようで動かない。

 手は麻痺したように感覚がない。


「、く……は……」


 話さなければ。

 これが最後なんだ。最後まで――否、最後だからこそ、僕は彼女の敵に徹する必要がある。でないと、裏切りがウソになる。

 見染目クミカを守りたいという感情も、決意したあの瞬間の僕も、端紙リオを選んだ選択も。何もかもが偽物になってしまう。

 だから、言え。

 傷をつけろ。

 思いつく限りの最低な言葉を並べろ。


 黒い僕に染まっていく。染まらなければ。それが責任を取るということだ。

 詩島ハルユキは、端紙リオまで裏切りたくはないだろう?


 だったら、罪を背負え――!


「……まえ、…んか…」




「お前は捨てた。俺は端紙リオを選んだ。そう言っているんですよ、見染目クミカ」




 声が飛び込んできた。

 顔をあげると、かたわらに透けた端紙リオが立っていた。


「は――」


 見染目の顔が驚愕の色に染まる。突然現れたホログラムを前に目を見開き、言葉を失う。


「黙って聞いていれば、面倒な人ですね、あなたは」

「……? なにこれ、いきなり出てきて……いや。そう、あんたが端紙リオってやつね? だったら早く消えてくれない? この騒動も、こいつが狂ったのも、あのキョウって男がかき回してるのも、全部あんたの差し金なんでしょ?」


 端紙は横顔を歪ませ、落ち着けるように息を吐く。

 それから、僕の方に向き直って訊く。


「詩島さん」

「……?」

「その罪。私にも背負う権利をください」

「ちょっと、何訳わかんないこと――」

「わかった」


 許しはすんなりと口を出た。

 見染目はさらに不愉快そうに睨んだ。掛け布団を握りしめ、手が充血していた。わなわなと震わせた手で、今にも殴りかかってきそうだった。


 そんな彼女を横目に、端紙は微笑む。


「あなたはもう十分に役目を果たした。あと半分は――」


 そして、視線で出て行くように差し向けて、見染目に敵対する。



「私の罪です」

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