けれどソレは偽物ではない 12

 端紙と見染目を残して、廊下に出る。

 夕陽の色で染まるそこに、斜めの影が伸びていることに気づいた。僕は来訪者の顔を見ずとも誰なのか察した。

 もとより、僕が呼んだのだ。


「おつかれ」


 保健室まえの廊下。

 他にだれも見えない。影は二対しかない。

 ど真ん中に立って、いつにも増して張り詰めた表情の霧島ソウタと対峙した。


「よう」

「悪いね、突然呼び出して」


 肩をすくめて言う。我ながら酷い性根だ。今さっきまであんなにも出し渋っていた声が、自然と音になる。

 見染目クミカが相手ではないからか。それともソウタが相手ゆえの虚勢か。

 まぁ、どちらでもいい。


 端紙は見染目と話している。

 だからもう頼れない。こっちはこっちで、僕の領分だ。


「わり。全部、聞いた」

「……、そっか」


 すこし驚いたが、なぜか安心する。

 見染目クミカを傷つけたという事実を、彼はもう知ってしまった。だから彼女と同じ視線をこちらに向けるのも自然な流れだ。

 そうでなくては、呼んだ意味がない。


「で、どうする? 殴っておく?」


 挑発するように笑ってみせた。


「殴らない。お前が何かを選んで、何かを捨てた結果なんだろ」


 ソウタは純白のごとく平等な意見で首を振った。

 ただ、その表情にははっきり「解せない」と書かれている気がして、互いに無言のやりとりをする。

 いつも教室で話していた、唯一の友達。

 彼との関係性すらも、僕は捨てることを選んでいた。見染目クミカを傷つけたあの瞬間から、この構図は想定済みだ。むしろセットで考えていたと言ってもいい。

 それくらいソウタのことを信頼していた。


「……きっと、オレの知らないことをたくさん知ってんだろうな」

「うん。でも、知らなくてもいいことだってある。例えば人間は、人生で平均十五回も殺人犯とすれ違っている、とか聞いたことない?」

「ハ、そりゃあ怖い。もしかしたら今朝駅前ですれ違ったかわい子ちゃんも血を浴びてたかもしれねぇんだろ? 寒気がする」

「あくまで単純な計算によるものだから、真偽はわからないけどね」


 軽口を交わす。

 いつものように。変わらぬように。

 でもそれは仮初めになった。僕と霧島ソウタのあいだには、明確な壁が立っている。その証拠に、彼は今までしたこともない表情を垣間見せる。


「――で、お前はそれ全部、ひとりで背負うつもりか」


 本気の態度に目を見張る。

 オレンジの背景に炎さえ幻視した気がする。


「まさか、そっちの心配とはね。てっきり、愛しのクミカチャンを傷つけられて腹を立てると思ってたんだけど」


 おどけて答える。

 でもソウタは甘くない。真剣に答えろと言わんばかりに目つきを鋭くした。


 ……敵わないなぁ、ソウタには。

 それでこそなんだけど。


 僕は深呼吸した。

 改めて真正面から見返す。

 迷いなく。感じる心すべてをさらけ出して、親友に誓った。


「ひとりじゃない。半分背負うと言ってくれたひとがいる。僕は自分の罪も、彼女の過去も現在も未来も、すべて背負うと決めた。正直なことを言うと、半分預けるのだって納得いってないくらいさ」


 詩島ハルユキは端紙リオから離れない。

 僕という人間が生きる上で課す条件であり、同時に生きるかてである。


 彼女が立ち向かうのなら、僕も立ち向かおう。

 同じ地獄を歩こう。

 互いの世界に傾きはなく、見るもの、感じるものすべてを共有する。迫る危険にだって相手を巻き込もう。相手が苦しみの最中さなかにいるのなら、僕もそこへ行こう。

 それが僕と端紙リオの関係だった。きっと、昔から。


「……そうか。ならもう聞かねえよ。見つけたんだな、大切なもの」

「薄くて今にも消えそうな幽霊だけどね」

「? ま、そのあたりはよくわからんが。それで? オレを呼んだのは、そういうことか?」


 僕はキョトンとして、思い出した。

 そうだった。僕はそのつもりで呼び出したのだった。いけないいけない。


「察しがよくて助かるよ」

「……いいのか、オレが行っても」

「わざわざ仲を深める下地を用意してやったのに、無下にするの? 最後の贈り物なんだ、思い切って近づいちゃえばいいと思うけど」

「い、いや。無下にするつもりじゃあねぇんだけど」


 頭をがしがしと掻く彼が、なんだか面白くて笑ってしまう。やはりソウタは最後までソウタらしい。

 顔が赤いのは夕陽のせいではないだろう。きっと今更緊張しているだけだ。


「大丈夫だよ。君は僕の親友だ。人の良さは保障しよう」


 だって、いの一番に飛んできただろう、霧島ソウタは。部活抜け出してまで。見染目クミカに本気でないと出来ない所業だ。それでこそ、彼女を預けるに足る。


「そう、かぁ? だんだん自分に自信がなくなってきた」

「はは、心配性だなぁ。見染目あいつなら、自然体でもいけると思うよ。あ、でも今は落ち込んでるだろうから、存分に僕を悪者扱いしてくれ」

「……お前」


 何かを言おうとするソウタ。

 しかし、その寸前で端紙が話しかけてきた。遠隔マナーモードでのおかえりだった。

 時間だ。


「ソウタ」


 最後に。

 僕は進み出て、彼に手を差し出した。


「……」


 親友はその手を見下ろし、顔を歪ませた。

 霧島ソウタと見染目クミカにとって、僕は悪になる。他人の過去を改悪、それに心を踏みにじった最低野郎だ。願わくば、詩島ハルユキを踏み台にして平和を享受してほしい。

 「あいつ酷いやつだったよな」と。


 だから――名残惜しいけど、親友はここまでだ。


 弱々しく持ち上げられた手を、こちらから強引に握る。


「っ! く、ぅ……」

「ありがとう」


 悪手を交わす。

 そっと手を放す。


「じゃ、今後ともよろしく。霧島くん」


 上手く、笑えていただろうか。

 鏡はない。

 自分の顔がどんな状態か、よくわからなかった。




 ――夕暮れの廊下。

 他に人気のないオレンジ色の中、僕は霧島ソウタに背中を向け、距離を離していった。

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