3章

けれどソレは偽物ではない 1

 がちゃこん、と。

 さび付いた扉が音を立てて閉まる。


 比較的穏やかな昼の時間。

 普段は踏み入ることも禁止される屋上は、想像より風が穏やかだ。貯水タンクの傍で仰向けになって、ぼんやりとそんな感想を抱く。

 待ち人の気配が近づいてきたのは、流れゆく雲のカタチから何か連想できないか? とどうでもいい思考に耽っていたところだった。

 現実からの逃避はたった今終わりを告げた。

 ……約束の時間よりすこし早いな。


「おはよ」

「はいおはよーさん。正確にはこんにちはだけどね」


 見染目嬢は無言でとなりに座る。

 手にはチーズパンとリンゴジュース。どうやらその物足りなそうなラインナップが彼女の昼飯らしい。


 五月二十七日。ようやく長い一週間が最終日に突入した。

 晴れて見染目のも回復。こうして今日から登校しているとのことで、さっそく情報交換と相成ったのである。場所に屋上の許可がおりたのも特例だ。実を言うと、「管理局に協力している」という立場を利用した屁理屈でごねた結果がここの鍵だったりする。目蓋を閉じれば、数分まえに有臣先生が見せた苦々しい顔が浮かぶ。形式上はあくまで作戦会議の場所ということになっているため、見染目がいること前提だ。

 まぁそれはどうでもいいこと。どちらにせよ情報交換は必須だ。これからの身の振り方のためにも。

 身体を起こし、缶コーヒーのプルタブを鳴らしながら本題を切り出した。


「どうする? 一方的に話していいかな」

「どうぞ。あたしが休んでた間に何があったか、聞かせてもらおうじゃない」


 紙パックのストローから口をつけ、見染目はふぅ、と息をついた。

 それを見届けてから、口をひらく。彼女に伝えるべきことを順序立てて説明していった。

 といっても、僕から話すことは主にふたつだけだ。

 升ヶ並カオルという女が接触してきたこと。

 荒咲高等学園で生物を受け持っている御門という教員が、実は『リラ』の開発に関わっている重要人物だったこと。

 この二点のみ。残りひとつは話すべきか未だ検討中である。


「ふぅん……たしかにおかしいわね。アプリでマッチングしていないのにも関わらず名前を知られていて、しかも目的が宗教の勧誘なんて」


 升ヶ並カオルの話を聞いた見染目は、あごに指を添えて考え込んだ。


「その宗教――といっていいのか判断がつかないけど、ある種の信仰心は不具合によるところが大きかったと思う」

「具体的には?」

「信仰対象が黒いプロフィールの相手なんだ」


 きょとん、といった風に反応を示す見染目。しかしまた難しい表情へ戻ると、ぶつぶつと独り言をこぼす。

 『掲示板』という単語が混ざっていた気がする。その手の調べ物は彼女の十八番おはこなのかもしれない。気づいたことでもあるのか、「確証がない」と爪を噛んでいた。


「なにか思い当たることでも?」

「いや、いい。こっちの話。つまりアレよね、そういった違反者を野放しにしているということは、今の『リラ』はセキュリティ――監視体制に穴があって、端紙リオはそれを利用しているのもしれない、ってことでしょ?」

「端紙……う、うん。もしくは、取り締まる暇もないほど管理局が切羽詰まってるかだね」

「なるほど。わかった、次の話して」


 眉間にはしわが寄ったままだ。僕が見染目を放っぽり出したことを根に持っている……というわけでもなさそう。

 それよりも、胸の内側にわだかまる霧が気持ち悪いようだ。以前の自分を見ている気分である。

 見るからに不機嫌な顔でチーズパンを食べる見染目。傍目には子供が苦手なものを食べるようなあどけなさを感じてしまい、僕は思わず苦笑いを浮かべた。

 ソウタが見たらなんて言うだろうか。

 視線に気づいたのと同時に、僕は前に向き直った。缶コーヒーの苦さを補給し、真っ直ぐ屋上の柵へと視線を移す。


「生物の御門先生って知ってる?」

「ええ、となりのクラスを受け持ってる。あたしのクラスはもうちょっと歳とってる方」


 御門先生をざっくり紹介する。

 人柄、学園では普段どこを根城にしているか。最後に顔を合わせたのはいつで、どんなことを話したのか。

 さらに、管理センターで得た難しい話を交えて、新たに加わった情報を開示した。


「御門先生はウチの親戚の友人にあたる人なんだ。だから入学の際にすこしだけお世話になった。『リラ』……情報分野に詳しいひとだということは知っていたけど、まさかあそこまで地位のある人物だとは思わなかった」

「ま、すごいってことは分かった。それで、その御門先生には会ったの?」


 予想通りの疑問が飛んでくる。

 管理センターに赴いたのは一昨日の話だ。生物準備室に押し入る時間は十分にあった。けれど残念なことに、


「会えなかった」


 僕は肩をすくめる。

 まるで僕が気づいたことを察知したかのように、先生は欠席していた。学園では出張による長期不在という扱いになっている。有臣先生に確認済みだ。


「逃げ足が速い、と言えばいいのでしょうね。それともあんたがヘマしたんじゃないの?」

「無茶言わないでくれ」

「はぁーっ、そっかぁ。うーん、参ったわね。端紙リオを釣るどころか、引っかかったのは捨てられたタイヤだったとは」

「……あ、捨てられたタイヤってそういう例えね?」


 沼を荒らすヌシがどんなものか知るためにエサを投げ込んだのに、釣れたのはタイヤ。ヌシの正体に近づくこともなく、ただ沼の惨状を思い知っただけ、という比喩か。


「女性をタイヤと表現するのは言い過ぎじゃ」

「あんたの持ってきた御門先生の情報よ。知らないよりはマシだったろうけど。仕方ない、今日も端紙リオを追うしかなさそうね」

「端紙……端紙、か」

「なに。あんたに予定でもあんの?」


 辛辣な言葉を聞きながら、再び仰向けに寝転がる。

 相変わらず白い雲が流れていく。ウンザリするほどの快晴に目を細め、僕は一昨日の夜に思いを馳せていた。

 あの日は、本当に長い夜だった。

 洋菓子店に立ち寄ったのが運の尽き。夜の繁華街を駆けた筋肉痛は、一日そこらで取れそうにない。実際、今も身体を起こそうとするだけで全身に鈍い痛みが走る。こうしていると楽だ。


「そう、だなぁ」

「……だからなによ。なんかあんた気ぃ抜けてない?」


 ああ、気が抜けていただけならどれだけ良かったか。

 僕は流れゆく雲を見あげ、「あんな風になりたい」と思った。何にも縛られず、何も考えず、ただただ風の吹くまま流されたかった。

 けれど、何より僕の理性がそれを許さない。

 脳内をよぎった端紙リオの素顔は、これでもかと思考を強要してくる。きっと、漠然とした予感のようなものが考えろと言っている。

 そう、おそらく。

 この探偵気取りの少女と僕は、距離を置くべきなのだ。

 ならば迷うな。言葉にして伝える義務が僕にはある。だってお前はもう、それが最善だと気づいているのだから。


「今日は休む。ごめん」


 名残惜しい気持ちもあった。でもなんとか伝えた。


「はぁーあ」


 ……これみよがしにため息を吐かれる。


「この前の意気込みをどこへ置いてきたのやら。アレなんだったの? 冗談?」


 非難の言葉に耳が痛い。見染目の中で僕の評価がだだ下がりしていくを感じる。蔑まれている現状を直視してしまうのが怖くて、必死に空を見あげていた。けれどもうひとりの自分が「これでいい」と冷静に告げていた。

 ほんと、ごめん。今日――というか、しばらくチカラになれそうもない。

 口に出来ないのが歯がゆい。心の奥で謝罪をしないとどうにかなりそうだった。それくらい、この決断には覚悟がともなっていた。


 無言の圧を放っていた見染目だが、途端に脱力して言う。


「あたしも休んだし、わかったわよ」


 そんな意外な反応をするものだから、さらに胸が痛んだ。

 驚いて見やると、卑怯なくらい優しげな感情を乗せた瞳が「しょうがない」と語っていた。


「……」


 ウソは言わなかった。でも、大切なことはほとんど口にしなかった。誰かが聞けば「それは同じ罪だ」と憤慨するだろうか。

 だが許して欲しい。そうせざるを得ない理由が僕にはある。



 なぜなら、もう見染目クミカと詩島ハルユキの見ている景色は、傾いた別物なのだから。

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