傾いた景色は別物だ 10
見染目には「急用、帰る」という適当なメールを送り、洋菓子店をあとにした。
後日また面倒な恨み言を投げつけられそうだが、事情はそのとき説明すればいい。今はとにかく、目の前の女性に集中したかった。
フローラルな香りを振りまきながら歩く彼女についていき、移動したのは洋菓子店から数分。
おしゃれなテラスからうって変わって、場所は比較的安心感のあるファミレスだ。多くはないがここを利用するのは初めてではない。相手がこの女性でさえなければ肩の力を抜いてだらけていたかもしれない。
ふたり席に着くと、女性はドリンクバーとポテトを注文して、ご丁寧に僕の分のウーロン茶まで持ってきてくれた。ほどなくして、ケチャップ付きのポテトもやってきた。
場は整った。
女性と僕、ふたりだけの時間が始まる。
『
手始めに繰り広げられたのは世間話だ。
当たりさわりのないものばかりで、先ほどまで滞在していた洋菓子店の話から彼女の家庭での話、ペットについてやドライブでどこかに行った話、果ては政治についてまで語っていた。それらすべてに相槌を打った。
そして時間にして三十分ほど経ったころ、目の前の女性は思い出したように切り出した。
「あ、そうだ。さっきの子は彼女さん? いいの、置いてきちゃって」
「問題ありませんよ、ただの友達ですから」
彼女がいるという逃げ道の口上を、僕は自分から捨てた。
「それよりも驚きましたよ、突然話しかけられたものですから」
「ふふっ、ごめんね。かわいい子を見つけちゃって、思わず……ね?」
人によっては可憐に思わせるのだろう、細めた瞳がこちらを見つめる。
しかし、自分の仕草や口調をうかがうようなその視線は、どうしてかヘビを連想させる。わずかな嫌悪感を抱くが、それを表には出さず応じる。
「カオルさん……は、お友達と一緒ではなかったのですか?」
「残念ながら。君がひとり身の寂しい子だったらいいな、と思って話しかけてよかったわ。お互いに楽しく過ごせたら、それは素晴らしいことでしょう?」
「そうですね」
自身の白々しさから目をそらす。すべてを問い詰めたい自分を必死にどこかへ押しやる。
不信感という大きな獲物をまえにして、じっくりと息を潜める。確信はある。でも判断を急ぎすぎてはいけない。この人がどんな意図で動く人間なのか、素性を突き止めるまで、僕は憐れな標的のひとりを装う必要があった。
「君は彼女とか、いたことないの?」
「ええはい。『リラ』はどうも慣れなくて。恥ずかしながら、うまく恋人まで持っていけたことがないんですよ。あなたはすごく魅力的ですから、そのあたり引っ張りだこなんじゃないですか?」
「あら、お上手ね。ありがとう。でも私だって彼氏はいないわ。だって必要ないんだもの」
――気を引き締める。
会話の節々で徐々に顔をみせる暗い部分が、ようやくはっきりと顕われてきた。
ポテトを口にする気分ではなかった。必要以上の隙を見せてしまう気がして怖かった。辛うじて手が伸びたのはウーロン茶だ。なんとか乾くノドを潤すことに成功する。貼り付けた仮面を必死に直し、興味深そうな顔で訊き返した。
「必要ない、ですか? 彼氏が?」
「ええ」
今までにこやかだった笑みが、さらに深まった気がした。勘違いでなければ、ここが彼女の隠し持っていた闇だ。
「だって私には、もっと縁深く、魂まで通じ合った運命のヒトがいるんだもの」
穏やかな声音に、悪寒が走る。テーブルの下で膝をつねり必死に誤魔化す。
「あなたも、余計なチカラは抜いて物事を見つめてみればすぐにわかるわ。恋人ができないことに悩む必要もない。魅力がないかもと自分を卑下することだって無意味。死という越えられない一線を越えて運命の相手と出会えれば、すべて些事よ」
「運命の、相手……」
「ほしくない? 普遍の、裏切りもない潔白な運命の相手」
「え、ええ、欲しいですね」
笑顔を取り繕うのはもう無理だ。
真剣に悩む表情を意識する。
「大丈夫。あなたも簡単に巡り会える。だってすぐそこにいるんだもの」
自身の携帯を見せて微笑む彼女が怖い。
拳を握り、震える指先を沈めてポケットから僕の携帯を取り出す。
「今日は無理だけど、その方法は教えてあげる。最近『リラ』で黒いプロフィール画面が映ること、あるでしょう?」
「まぁ、ありますね。自分は届いたことも見たこともないですが」
ああ、確かに届いていない。だが見ていないはウソだ。僕は咄嗟に方便を絞りだした。
「あの黒いプロフィールは不具合だなんて言われてるけど、それは全部間違いなの。だってあれは、亡くなってしまったひとたちなんだもの」
「……」
驚く仕草をしなければ。
「君は知らないだろうけど、実はあの黒いプロフィールは面識のある、けれど死んじゃったヒトたちの名前なの。ね、この意味がわかる?」
悟ったフリをしなければ。
「そ。そういうこと。コレが私を目覚めさせてくれた大切なひと。彼氏なんていらないわ。だって、死んででも想いを伝えてきてくれたんだもの。応えなきゃ、でしょ?」
「そう、ですね」
ああもう。どうなってる?
『リラ』の売りじゃなかったのかセキュリティは。宗教勧誘目的の利用なんて、今まで排斥してきたじゃないか。どうなってる管理局。
否定はしないさ。捉え方は自由だ。そういう考え方もあるんだとわかってる。
でも。
でも、これが『リラ』にとっての異常でなくて何になるというんだ。
「受け入れて。近いうちに、きっとあなたのところにも黒い運命の人がやってきてくれるわ。それは天命。あなたが選ばれた証なの。死してもなお強い想いを抱いてやってきてくれた運命の相手なの。『リラ』は恋人を越えた高位の関係の構築をも可能にしたってことよ。世間の言葉に惑わされちゃだめ、きっとあなたも私のようになれるわ。否定する意見はみんな気づいていないだけ。現実の恋人という存在のせいで眼が歪んでいるの。断ったらきっと罰が下ってしまうわ。だって神様が恵んでくださっ」
ギッ、と。
イスを引く音が鳴った。自分の発したものだと数秒遅れて気づいた。
――限界だ。
「どうし、」
「すみません。急用を思い出しました。今日はこの辺で失礼します」
腕時計を確認すると、すでに一時間半が経過していた。
窓の外はすっかり薄暗くなっており、横切る車はヘッドライトを明るくしている。それを見たお陰か、すこし気分が落ち着く。
……目に付いたテーブル席のアンケート用紙を手に取った。
「カオルさんの話、とても面白かったです。これ、僕の電話番号なので。もしまた時間があれば、そのときにお話を聞かせてください」
そう言って、アンケート用紙を手渡す。番号は適当に考えた羅列だ。どこにも繋がらない。
「今日はありがとうございました。なんだか世界が開けたような気がします」
「まぁ……! こちらこそ、今後ともよろしくお願いしますね」
「ええ、よろしくお願いします」
すみません、カオルさん。
きっと彼女に悪気はない。でも僕は応えられない。
ファミレスをあとにした僕は、逃げるように駅まで逃げた。
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