傾いた景色は別物だ 9
見染目と向かった先は、とある洋菓子店だった。
雑然とするおしゃれな店内が窓越しにみえる。隣接するテラスではジェラートを楽しんでいる客が数組。みな片手にカップかコーンを持っている。
僕らは並んだパラソル席の下、談笑する人々に紛れていた。
心なしか大人の女性客が多い。清潔感ある服装の客ばかりのためか、普段こんな店に来ない僕は肩身が狭い。しかし、平然としている見染目のおかげで挙動不審にはならずに済んでいる。味がしないはずのジェラートの甘さもしっかり感じられることに感謝だ。
僕は一度周囲を見渡すと、口をひらいた。
「ここが?」
「そ。先々週の木曜日に不具合が発生したところ。今はほとぼりも冷めて通常営業みたいね」
見染目はプラスチックのスプーンをひらひらさせて語った。
「時間にして十五分。規模はおそらくあたしたちの目にしたモノよりはるかに小さい。当事者にしてみれば、局所的な電波障害のような感覚だったでしょうね」
……なるほど。
たしかに、ここはとても落ち着いた空間である。とても『リラ』の騒ぎが起こった地点だとは思えない。
「でも、ここが狙われた理由はなんとなくわかるよ」
「ほう?」
言ってみなさい、と見染目が目を細めた。
「ここは――絶好の待ち合わせ場所だ」
「奇しくも同じ意見ね」
この洋菓子店はもちろんケーキや焼き菓子を売る場だ。でもそれ以上に、カフェ顔負けのテラスがある。きっと洋菓子店兼カフェなのだ。カウンターでコーヒーの値段をアピールしているところを見れば一目瞭然で、客は喜んでそれに乗っかっている。
ネットの評判も居心地の良さを証明している。
星五つを付けている匿名さんは「リーズナブルかつ洒落てる。毎週彼氏と通ってる」と大絶賛だ。
異性との出会いのきっかけでもある『リラ』。そして異性と利用しやすい、好都合な環境である洋菓子店。必然、頭のなかではふたつが結びつく。
「端紙リオって子がなにを目的としているか知らないけど……不具合による影響をより大きくしたいのなら、『リラ』の利用者が多く、アクセスが集中したエリアに目をつけるのは自然なこと。事実、ここはそういう目的で来る客が多く、すでに事件が通り過ぎた場所でもあるのよ」
言ってしまえばデートスポット。
見染目がここを訪れたのは、釣り餌である僕を泳がせるためなのだと察しがつく。犯人は事件現場にもどる、なんて文言を律儀に守る相手かどうかは別として。端紙リオを捕まえる手段がない以上、こちらは下手に出るしかない。
一般人にとっては、捕まえるという考え自体が無謀なのだ。
望むべくは相手の興味が食いつくこと。少なくとも、生前の端紙リオは詩島ハルユキと密接な関係を持っていた。見染目は、知らず最高級のエサを手に入れた――かもしれない。
まぁ、口にして期待させるつもりもないけれど。
彼女はこの精一杯なアプローチをダメ元で実行している。そこへ『僕と端紙リオの関係』という要素が入り込んだとて、望みが薄いことに変わりはない。
……したがって。今できることと言えば、事件現場の観察と考察くらいのものであった。
「あんたはどう思う?」
挙動不審にならないよう見渡していた僕に、見染目が訊く。
「どう、とは? 何について」
「騒ぎを引き起こす手順よ。昨日の話、覚えてる? 管理局の校長の言うとおり、端紙リオによってあの現象は引き起こされている。彼女は『リラ』を利用する私たちの地図みたいなものを持っているワケでしょ? つまり」
問題は、と見染目は視線をズラした。それを追うと、テラススペースの隅っこに行き当たる。
何を見ているんだろうか、とも思ったが、すぐに見当が付いた。監視カメラだ。
「……彼女は、現実の愉快犯のような方法で世界を見てはいない。画面の向こう、私たちには知覚できない電子の地図から居場所を見透かしている。監視カメラをハッキングなんてしなくとも、アプリさえインストールしていれば居場所は把握される」
「まあそうだね。実際、この間の交流イベントは広場の中心で行われた。あの辺りは監視カメラはなかったはずだし」
「そうよね。あの日は監視カメラの捉える情報を使う必要もなかった」
でも、と見染目は目を細めた。
「ここで事件が起こった当時は、ちゃんとハッキングされていた」
「どういうこと?」
「事前に調べた。さっき管理局のふたりにも確認はとれた。事件当日、先々週の木曜日。ここの監視カメラの映像はハッキング――とまではいかないか。要は、のぞき見されてたってこと」
セキュリティのお偉いさんが
必要がないのにカメラの映像が利用されていた、というのは意外であった。僕は考え込む。
『リラ』で横行する不具合は、あくまでアプリ内での出来事だ。『リラ』の裏の情報を網羅しているであろう端紙リオにとって、監視カメラの映像なんて蛇足だと思うのだが。
監視カメラの映像に映る誰かを標的にする――なんてことより、アプリを利用しているユーザー情報を利用する方が効率的で確実性がある。遠目に見る監視カメラの映像から、「この人はアプリを使っているのだろうか」と逐一確認するくらいなら、電子の地図から参照すれば済む話。
「それとも、何か映像を使わなければならない条件でもあるのかな」
「さあね。でも、どこぞの誰かが盗み見していたってことは事実ね。市と関係深い管理局が言うんだもの、間違いない」
端紙リオは監視カメラでも世界を見つめているのだろうか。
気づかないだけで、レンズを通して生きている人々に瞳を向けていたのかもしれない。そう考えると、今まで平然と通りがかっていた様々な場所がすこし怖く感じた。
「いや、ま、単なる思い過ごしか……」
見染目は神妙な顔つきで、小さくつぶやいた。
ふっ、と息を吐くと、イスを引いて立ち上がる。
「もしあんたのアプリが何の
見ると、見染目の手にしていたカップはすでに空になっていた。
おかわりついでに色々と買ってくるつもりのようだ。
見染目は店内へと戻っていった。
この洋菓子店はメインとなるショーケースの他にも、店内をぐるりと囲うように商品が陳列されている。バリエーションは焼き菓子の域をはずれ、紅茶などの飲み物から食器まで様々である。
ジェラートそっちのけで普通にショッピングし始めた彼女を遠目に見て、僕はため息をついた。
見染目のやつ、
しょうがない。こっちはこっちで、ひとりきりの時間を満喫しよう。幸いここは心落ち着くカフェテラス。洒落た女性やカップルの多さが玉に
……ああ、ジェラートが染みる。
こうしてひとり『リラ』に目を落としていると、なんだかひどく惨めに思えてきた。端紙どころか一般のユーザーでさえも通知を持ってきてくれないのがさらに追い打ちをかける。
と、そんなところへ。
「あの、すみません」
おずおず、といった口調で声をかけてくる女性がいた。
それが自分に向けたものであるとわかり、思わず肩をふるわせてしまう。
「は、はい。なんでしょう」
うわずった返事。自分が学生であること、そして授業をサボってここへ来ていることを思い出し、「まずい、不審がられたか?」と警戒してしまう。
声の主に目を向けると、そこにいたのはショルダーバッグをかけた長身の女性だった。ブロンドの自然な髪、薄緑とベージュの服を基調とした落ち着いた装い。耳にはピアス、足元はヒール。
年齢からしておそらく二十代半ばだろう。女性はこちらを咎めるどころか、柔和な微笑みを携えてこちらを覗きこんでいた。
「ごめんね、さっきから見てたんだけど……今はひとり?」
女性はさっきまで僕と見染目が占領していたパラソル席に入り込み、ほんわかした態度で会話する体勢に入った。
見染目の使っていた席のまえでこちらに尋ねてくるその空気に、僕は拍子抜けだった。
「よかったら、すこし話さない?」
学生がこの時間帯に店にいること。それを怪訝に感じての接触だと思った。しかし彼女からはそういった空気を微塵も感じない。
僕は冷静に繕って答える。
「何か用ですか?」
警戒していることは見せず、できるだけ友好的な態度で接した。
正直、見染目がいつ戻ってくるかわからないこの状況では勘弁してほしかった。見られたら最後、どんな状況に陥るかわかったものではなかった。
ゆえに、ここは穏便に済ませる必要がある。この人がどんな意図ではなしかけてきたか知らないが、やんわりと断ろう。
――そう、思っていた矢先だった。
「君、詩島ハルユキくん……よね?」
突然飛び込んできた自分の名前を聞いて、頭が真っ白になる。
けれどそれは一瞬のこと。
すぐに持ち直し、僕は視線を巡らせた。
店内。
見染目は未だに焼き菓子コーナーを物色中。
周囲には当然知り合いはいない。
手元の『リラ』を見て、相も変わらず沈黙していることを確認。
「……ちょっと、場所を変えませんか?」
脳内で組み立てた予定は、すでに変更されていた。
かかったよ、見染目。
端紙ではないけれど、大物だ。
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