傾いた景色は別物だ 4
その日の放課後。
校門から出て駅へと向かう道中、見染目は後方をぴったりとくっついて思案していた。
もとより帰宅部の少ないうちの学園。向上心の塊ともいえる人々が青春を汗とともに記憶する一方で、僕らは裏切るように学園の敷地をあとにした。
なんとはなしに頭上を見あげれば、淡い水色に薄い雲が流れていく。建物の隙間を埋める空は夕暮れの気配を混ぜ込み、苦い心中でも安らぎを与えてくれる。
気乗りしない授業を犠牲に学んだ『リラシステム』の真実は、僕らの頭をめちゃくちゃに引っかき回した。一週間まえの僕とはみえる世界が異なる。「このあとはちゃんと授業を受けなさい」と解放されたとて、おとなしく黒板と睨み合うのは難しい。案の定、あれ以降の授業は身が入らず、ぼうぜんと浪費してしまった。
それは背後の見染目も同様らしい。いつもどおり級友と別れ昇降口へ向かったところ、彼女は眉間にしわを寄せて待ち伏せていたのだ。
見染目は端紙リオの存在や騒動の解決などより、自分の脳がスキャンされていたことにショックを受けていた。おそらく割り切って行動を決めている僕よりも時間と整理が必要だ。
待ち伏せていたのは、いてもたってもいられず、というところだろう。
「すこし、寄り道でもする?」
振り向きそう提案する。すると見染目は、ようやく存在に気づいたかのように顔を上げ、頷いた。
ビル看板にフロアごとのテナントが光り、二階はピアノ教室、三階は空き、四階は保険会社。喫茶店はそのビルの一階だ。洒落たドアを潜れば、ネットでも評判の芳しいコーヒーの香りが出迎えてくれる。
僕が荒咲学園にはいって唯一寄り道した場所がここだった。
悩める女子が好みそうな店など自信がないので、手頃で近場なここを選ばせてもらった。
幸い見染目のお気に召したようで、安堵する。彼女はすこしだけ表情の曇りを和らげ、シフォンケーキとウィンナーコーヒーを頼んだ。僕はホットドッグとカフェオレを選ぶ。
店内に名も知らぬジャズが流れる。エプロン姿の店員が品を客に提供していく。視線を巡らせればレンガ調の壁、カウンター上には吊られたワイングラス。隠れ家めいた雰囲気が大人っぽさを醸し出し、学生は入り辛さを感じてしまう。逆を言えば、同校の目を気にする必要はなさそうだ。
見染目に視線をもどすと、未だに考え込んでいる様子だった。見かねて思わず助け船を出してしまう。
「どれに悩んでるの?」
気に入らないこと。悩んでいること。決められないこと。そんなタスクが渋滞を起こしていることくらいお見通しだった。なので、あえてどれと訊いた。
彼女がなにを最も話したがっているか。なにを真っ先に解消したいか。それを聞き出す。
見染目は僕の目をじっとみつめて、素直に口をひらく。
「……いえ、うん。わかってることなの。起きてしまったことは変えられない」
一拍おいて、脳のスキャンのことを言っているのだとわかった。
幼少期に脳をスキャンされ、その記憶を『リラシステム』は持っている。
「今更管理局に『消せ』と乗り込む気はない。でも、このまま校長や有臣先生に協力するのも気に入らない。都合良く利用されてるだけなんじゃないかと想像しちゃって」
要するに
人は人を簡単に信用できない。管理局はスキャンしたことを隠していたのだから、それも無理はない。大人しく従う道理はないという反感も理解できる。というより、それこそが正常な反応だと思う。
見染目クミカはいくらか目ざとい思考を持っている。疑うことを簡単に放棄はしない。ゆえにこそ、今こうして悩んでいるのだ。
でも、僕は手っ取り早い解決法を知っている。
「なら――君は手を引くか?」
僕は平然と訊いた。見染目は目を見張り、軽く睨んできた。
不満を抱いてしまうなら。不安が思考を邪魔するのなら。その懐疑心に身を任せて遠ざけてしまえばいい。
なに、心配はいらない。知ってしまった世界のヒミツに
残るのは、ここで飲んでいるコーヒーよりも薄い苦みだけ。
それも風化して、劣化して、遠い彼方の記憶のひとつに連なるだけだ。
「……意地悪な訊き方をするのね」
「おっと、怒らせちゃったかな」
おどけて降参するけど、逆に刺激したようで、目つきは鋭くなる一方だった。
「乙女の悩みをどうにかしようとは思わないわけ?」
「どうにかしようとした結果が今の質問だったんだけど?」
「はぁ……あんたの相性数値が低い原因、ちょっとわかった気がするわ」
言われてみればたしかに、傍目からは相談を投げ出しているようにも見えるか。今度からはもうすこし別のアプローチが必要みたいだ。
と、反省したがしかし、見染目には効果てきめんだった。
「手は引かない。あたしも解決に向けて調査を続行する」
思わず顔がにやける。
そんな僕に
「もう、逃げたくはないのよ」
ボソリとこぼしたものの、深追いはしてほしくなさそうだ。僕はカフェオレを味わいながら、聞こえなかったフリをした。
タイミングよく、シフォンケーキとホットドッグが運ばれてくる。見染目は躊躇いなくフォークを突き刺して、僕はみせる相手もいないのに写真をとる。かぶりつけば、ソーセージの味わいが舌にひろがる。
そんな風に夕飯まえのちょっとしたおやつ感覚で舌鼓を打っていると、手をとめた見染目が訊いてきた。
「そういえば、あんたはなんで必死なの」
一応訊いてあげるというニュアンスだった。
「……」
こちらも、口に運ぶ三口目がとまる。
「端紙リオ。知り合いだったって言ってたけど。管理局に協力的なのは、ぜんぶ彼女のため?」
「そうだよ」
「……恋人?」
「ちがう。と、思う。どうなのかな」
「ふぅん」
煮え切らない言葉に、見染目はどうでもいいように鼻を鳴らした。
困ったことに、彼女と僕の関係にしっくりくる呼び名が存在しないのだ。日記の最後に書き記される詩島ハルユキの名。それ以外に関係性を示すものは明記されておらず、ヒントになりそうなものといえば先日出会った際の反応くらいだろうか。
金曜日の交流イベント。周囲を混乱が埋め尽くすなかで、僕は端紙リオと邂逅した。
わかったことはひとつ。
端紙にとって、僕の存在はやはり大きいということだ。こちとら覚えはないが――記憶も曖昧だし――それでも、彼女の僕を捉える瞳には明らかに動揺の色が乗っていた。
恋人なのかという問いを否定しておきながら、その可能性も捨てきれない。結局のところ端紙はよくわからない。だから、彼女を追う理由として妥当なところはそれなのかもしれない。
「生前のことはよく覚えていない。だから、知りたいだけだよ」
「知りたいだけ、ねえ……校長があんたに寄せる期待といい、あんた自身が協力的なことといい、なんか釈然としないんだけど」
まいいわ、と会話を途切れさせ、空いた皿にフォークを置く見染目。
僕が目を向けると、気分を切り替えた彼女が不敵に笑った。とても被害にあって落ち込んでいたやつとは思えない顔だった。
「これからのことを話しましょ。目的は変わらず、事件の解決。もしくはその糸口の発見ね。具体的には、端紙リオの暴走を止めること」
「ああ、うん。でもどうする? 相手はホログラムだ。現実の逃走犯みたいに捕まえることはできない」
「そうね。アカウントを特定して強制的にBAN……も無理。管理局が手こずっているんだもの、絶望的に不利」
これでどうすればいいっていうんだ。
ホログラムの幽霊なんて捕まえようがない。僕らとは生きる世界が――ああもうややこしい。次元が違うとでも表現すればいいのだろうか。こっちは単なる学生で、なにかのエキスパートというわけでもないのだ。ただ管理局の後ろ盾を持つだけの、縁深いだけの少年だ。
「安心して、考えは一応ある」
「考え?」
意外な一言を復唱する僕に、見染目は笑む。
「不利なら――もう下手に出るしかないじゃない?」
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