傾いた景色は別物だ 3
「とはいえ、私たちもすべてを把握しているわけではないんだ。その点は了承いただきたい」
そう前置きして、校長は一度息を整えた。
そして、真剣な面持ちで問う。
「君たちは、『リラシステム』の相性診断をどう
相性診断……?
端紙リオの存在を説明するのに、そこから入るのか。ということは、僕ら利用者と管理する側ではみえ方が異なるのかもしれない。御門先生に言われた視点の話を思い出す。
僕と同様、怪訝に思った見染目は答える。
「『リラ』の相性診断は、アプリ登録時の出生日や血液型、好きな食べ物……二十問の質問をもとに算出してる。性格や行動心理の傾向を照らし合わせることで、ユーザー間の相性を数値化している――ってあたしは聞いたけど」
そっちは? と視線を向けられ、僕も首を縦に振る。
「
経験しただけに、生徒は登録時の面倒な回答のことを鮮明に覚えていた。こちら二人はまだ入学して一年も経っていない。『リラ』に慣れていない生徒だって同学年には存在するくらいだ。あの長い選択型の質問は記憶にあたらしい。
校長はちいさく「そうか」とつぶやくと、ゆっくりと本格的な説明に突入する。
「『リラシステム』の相性診断には、そういった個人によって入力された情報は使用されない」
校長の真っ向からの否定に、思わず眉をひそめる。
もとより、死者がアプローチしてくるなんていう突拍子もない事態になっているのだから、何を今更、という感じはあるが。それでも僕と見染目のリラに対する理解が誤まっていたのは意外だった。
「じゃあ、あの長ったらしい心理テストはなんなのよ」
「あれはあくまで形式に
なるほど、そういう意図があったのかと独りでに納得する。
今後の本人確認のために、アカウント登録の段階であらかじめひとつかふたつの質問をされることは少なくない。第三者による介入を防ぐ試みであろう。
たとえば、「あなたが飼うとしたら、犬派ですか? 猫派ですか?」「つける名前はなんですか?」。それ以外であれば、海外旅行に行くならどこがいいかとか、最初に買ってもらった玩具だとか。
『リラ』登録時のあの質問の数々は、そういった目的で課されていたのだろう。校長の言っていることはなにもおかしくはない。むしろあそこまで質問に答えさせられたら、セキュリティ面の安心感もある。
……であれば。
「なら、『リラ』の相性診断の数値はどうやって算出されているのか? それが君たちの訊きたいところだろう」
校長は、今度こそもったいぶらずに答えてくれた。
自らの人差し指でこめかみを叩き、真相を
「君たちの記憶だよ」
「……は、はぁ?」
オーバーな返しをする見染目の声は、わずかに震えていた。
信じられないとでもいうような反応を、校長は真剣な面持ちで受け止めていた。決してふざけている風には見えない。
相性診断の数値は、僕たちの記憶をもとに算出されている……。その言葉の意味について、僕は考えた。
記憶とはつまり――経験そのものだ。
事故で記憶の一部を失った僕はよくわかる。記憶というのは、人をその人たらしめる貴重な要素である。積み重ねてきた記憶の数々があるからこそ、今ここにいる自分は個性をもった存在である。
幼いころに味わった喜びや苦しい記憶は、今を生きる人間の好き嫌いになる。
成長途中の経験によってそれが変わることもあるし、根付いた記憶がその後の行動基準に影響を及ぼすことだってある。
見て、聞いて、触って……思い出せないような過去のできごとすらも、今の自分を構成するいち要素。
そんな記憶を用いて、『リラ』は相性診断している。
でもそれがどういう仕組みで動いているのか、僕にはわからなかった。
「……記憶といっても、常日頃から抜き出しているわけではないから安心してほしい。もちろん、君たちの脳にチップが埋め込まれているなんてこともないよ」
安心させるように告げ、ごほん、と校長は説明を続ける。
いくつも疑問が浮かぶけれど、それをじっと耐えて、僕らは耳を傾けた。
「先に言ってしまうと、『リラシステム』の本質は相性診断ではない。この荒咲市で導入されているアプリはあくまで副産物なのだよ。そして、その本質ともいうべき存在こそが、情報――つまり記憶の集積さ」
記憶の集積。それが『リラ』のデータベースということか。
「より確実性のある相性診断するためには、ひとの深層心理まで解き明かす必要がある。それこそ脳をスキャンし記憶を引き出して行うのが理想だ。だが、相性診断の度に、しかも大勢のユーザーに対し行うのはあまりにも無謀。まして、倫理性が問われることにもなるだろう。そこで『リラシステム』の開発者は考えた」
校長が指を立てる。
「
基準……?
「人の性格や好み、志向。行動基準。そういった千差万別なタイプの根底にある要素は、いつ備わったのだろう? 行き着いた答えは、『幼少期』だった」
「……まさか、そういう、こと?」
見染目はすでに理解しつつあるようだった。
難しい表情だが、それでも納得の気配を覗かせはじめる。
「どんな経験を経て今の人格が形成されようとも、幼少期に経験した記憶は根強く残り、作用する。記憶をベースとして、ひとは好き嫌いなどを身につけていくのだからね」
例えば、幼いころに犬に追いかけ回され苦手意識をもったひとがいて。大人になっても犬が苦手のまま、という人間はありふれている。成長とともに克服したとしても、恐怖がゼロになったわけでは決してない。記憶の奥底には、怖い思いをした経験があるから。
「『リラシステム』はそういった人間の幼少期の記憶を集積している。相性診断は、経験の
基盤となる幼少期の記憶。脳に根強く刻まれるソレをもとに、成長を演算……人生の経験を上塗りして、相性診断をするふたりの今に近づけている。校長は、リラがその行為を永続的に続けているというのだ。
分かりやすく言えば、育成シミュレーションゲーム(ホンモノの人間版)である。
相性診断の正確性が世間で注目される背景には、ユーザーの深層心理にまで迫った分析法があったというわけだ。
僕はこういった手合いの話には明るくない。ただ事故で記憶を失っただけの、どこにだって埋もれているいち高校生だ。システムの仕組みとかロジックめいたことに口を挟むなどおこがましいと思う。
だが、見染目は違うらしい。容赦なく疑問を呈した。
「まって。じゃあその
その一言が音のない室内に響き、僕らは黙り込む。
管理局のふたりも、僕でさえも渋い顔をした。
愚問だった。
校長が「他言無用に」と釘を刺した理由は、ここにある。
『リラ』の仕組みを世間に公表していないのは、後ろめたいことがあるからに他ならない。データベースに記憶が集積されていて、それをもとに動いている。そこまではいい。でもその記憶をどこから持ってきたのかは最大の機密事項なのだろう。
ここまで『リラ』の仕組みを知れば、自ずと理解できる。
「ウソでしょ……?」
管理局の反応から理解した見染目は、額を押さえて衝撃を受けた。
まさかの規模に驚愕を隠せていない。
「……『リラ』のアプリは、市外の者にとって役に立たない」
決定的だった。
「あたしたちの脳を――スキャンしたの?」
幼少期の僕らは、気づいていないだけで、すでに脳をスキャンされていた。根底にあって、行動の大前提ともなり得る基盤の記憶を読み取られていた。校長はそう言っている。
例えば僕が相性診断をする際は、僕と相手の幼少期に持っていた記憶情報をさがし、そこから今現在の状態を導き出している。『リラシステム』のデータベースはそれほど巨大な容量をもっているわけだ。さすがはリラ。名に込められた花言葉『富と誇り』は相応しい気がした。
絶句する見染目。フリーズしたように頭の中身を整理していた。
僕はその傍らで、努めて冷静に訊く。
「仕組みはわかりました。じゃあ、本題に戻ってもいいですか」
「ちょ、ちょっと待って、あんたなんでそんな平気なの?」
「過ぎたことなんて気にしても仕方がない。過去、僕らの脳がスキャンされていた。だけど、今は目の前の事に集中すべきだ」
「管理局、ううん、市の人間に行動の原理を把握されてんのよ? 気色悪いとは思わないの? もしかしたらこいつらは全部知ってて、市の人間みんなを優位に動くよう誘導してるかも知れな」
「それのなにが悪い」
「っ、なにが、って……」
見染目のような感情を抱くことは無理もない。大人の手のひらの上で、巧妙に隠されたレールを走らされる。なるほど、言われてみれば気色悪い。
でも、僕はそれよりも優先すべきことがある。自分の脳のカタチを知られていたからなんだ。追求したところで、大して得られるものはない。
だから、ハッキリ言う。
「僕はどうでもいい。今は端紙リオを追うよ」
「なん、」
「君には、こうして反論する僕が管理局の
見染目は黙りこくる。
そして、目を伏せてなにかを考え出した。
「それに、一度は信じてみようと思う。市が、管理局が、僕らの記憶を悪用していないことを」
校長に目を向けると、大人特有の瞳をする彼は感謝の意を込めてか、ゆっくりと頷いた。
……改めて話を戻そう。
「詩島くんの知りたがっている端紙リオは、突如『リラ』のデータベースに現れた想定外な存在だ」
「データベースに……」
「そう。端紙リオの記憶が意思をもったように動き出し、蓄積されていた記憶データから故人のモノを表面化させたんだよ」
きっと、これが見染目が知りたがっていた犯人の手口だろう。
誰かがイベント参加者に目を付け、索引から故人の名前を取り出す――というのとは違う。あの騒ぎは端紙リオが誘発した、死んだ人間のデータの発露だ。
『リラ』の交流イベントで、『リラ』アプリの内側からあふれ出させただけ。きっと端紙リオにとっては、穴を選び、そこから水を出したようなものだ。
「だが、肝心の端紙リオ本人がどういった存在なのか……それは我々にもわかっていない」
わかっていない。
当然、彼女もすでに死んだ存在だ。でも、黒いプロフィール画面とともにアプローチしてきた彼らとは一線を画す。
『携帯から浮かび上がる映像』という枠組みを超え、独りでに行動する存在。
「誰かがホログラム画像の皮を被っているわけではない。正真正銘、アレは自分で出現し、騒ぎの現場を訪れている。それが君たちが遭遇した、交流イベントでの顛末だ。まさかあそこまで大きな被害が出るとは思わなかったが……」
――あの端紙リオは、なんなのか。
僕の投げた疑問は、だれにも説明はできなかった。
『リラ』の仕組みも、犯人もわかったけれど。
その意図と正体は依然として霧につつまれ、人々を悩ませていた。
「詩島ハルユキくん」
改まって、校長が真剣な眼差しを向けてきた。
その声色は、どこまでも深く、重いなにかが込められている。
忠告するようにも、願いを託すようにも感じられた。
「断言しよう。彼女は――」
不明瞭な現象。
それゆえに、選ばれたのだろう。
端紙リオとつながりを持っていた、詩島ハルユキが。
「端紙リオは――ホログラムの幽霊だ」
手のひらを見つめ、ここにはない手紙を思い出す。
日記帳に挟まれていた一通の便せん。丁寧な黒文字の名前と、数字。
それを、想像のなかでそっと握りしめ、僕は顔をあげた。
偶然だろうか。
運命だろうか。
やはり僕には、端紙リオと向き合う義務があった。
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