傾いた景色は別物だ 2

 三時間目の授業開始のチャイムを、僕は遠くで聞いていた。教室内のスイッチをチャイムが鳴らない設定にしたらしく、視聴覚室からはくぐもって聞こえる。

 今ごろは、ソウタも世界史の教科書をひらいていることだろう。


 視聴覚室には僕を含めて四人の姿があった。

 有臣先生、校長先生、そして金曜日に同行した見染目クミカだった。

 見染目といえば、金曜日のあの顛末てんまつだ。

 息巻いて『リラ』の不具合を様子見をした結果、彼女は取り乱して精神的に不安定な状態へと陥った。うずくまって「ごめんなさい」と繰り返し、マッチングした黒いプロフィール――幽霊に怯える姿。見染目クミカの印象をガラリと変えてみせたあの光景は、まぶたの裏に焼き付いている。あの後、イベント会場の混乱もやがておさまったし、見染目自身もなんとか落ち着かせることができた。しかし、それからの彼女はというと、帰路について別れるまで思い詰めているようだった。心ここにあらずといった調子で、声をかけても返事は遅れていた。

 これでも心配はしていたのだ。メッセージ欄に「大丈夫か?」と打ち込んでは消してを一回、いや二回もしてしまった。

 でも、この二日間の心配は杞憂だったようで。


「それで? 呼ばれたってことは、十中八九、金曜日の話なんでしょ?」


 腕組みをした見染目が言う。

 校長先生は頷いて答えた。


「大まかには。君たちには実情を目にしてもらった。そこで、我々に訊きたいことでもあるのではないかと思ってね」


 訊きたいこと。

 ああ、ある。訊きたいことなどいくつもあるし、その大半は今でも半信半疑な内容についてだ。

 この二日間、ずっと考えてきた。でも満足のいく答えになどたどり着けるわけがない。僕はあの騒ぎだけですべてを察することができるエスパーではないし、散りばめられたピースから推理できる秀でた頭脳ももっていない。

 そしてそれは、見染目も同じ。

 見染目は僕に目配せして、率先して切り込んだ。


「あれ、は……どういう原理で起こっているの?」


 見染目らしくもなく、歯切れが悪い。調子がもと通り、と思っていたけど、やはりそう簡単にはいかないか。イベントでの出来事を引きずっている節がある。


「事前の参加者リストだけでなく、あの場にいるほとんど全員が被害を受けていた。当日飛び込みでその場にいた私含めて。犯人がひとりひとりの位置情報からアドレスを読み取っていた? それとも、もっと別のアクセス方法かなにかで個人情報を読み取って、それで人間関係から故人の名前を引き出してるの?」


 自分の考察を交え、疑問を口にする見染目。

 たしかに、あの日の僕らは当日参加した一般人である。事前の参加登録はおろか、イベント会場に足を運ぶそぶりは一切なかった。携帯を通じた見染目とのメッセージのやりとりもなかった。なんなら、参加者には「偶然みかけたから覗いてみた」程度の人だっていたはずだ。

 なのに、ほぼすべての人が被害を受けた。

 つまり、見染目は裏に隠された手口を知りたがっているのだ。それが判明しなければ、追うものも追えない。

 しかし、校長は険しい顔をするばかりである。


「残念だが、見染目くん。事態はそう単純ではない」

「だからそれを説明してほしいんだけど」

「……」


 目を鋭くする見染目。いやな経験をした彼女が苛立つのはよくわかる。対して校長は静かに目を閉じ、頷いた。

 そして、再度ひらいた目が僕を向く。


「見染目くんの疑問は、おそらく詩島くんの疑問に答えることで解決するだろう。それでいいかな?」

「こいつの……?」


 室内の意識が、僕に集中する。

 空気を震わす音を待つように、校長は穏やかだった目を細めた。入り口付近で佇む有臣先生は静かに視線をなげる。難しい顔をした見染目は雰囲気で急かす。


 一度、ごくりとノドが鳴った。

 口の中が乾く感覚。自分に関わる深い闇に足を踏み入れるときだ。

 短く息を吸って、心を落ち着けて、覚悟を決めて。


 僕はようやく、二日間ため込んできた疑問を言葉にした。


「校長。いえ、管理局のおふたりは、はじめから犯人が端紙リオだとわかっていたんですね?」


 室内の静寂は、数十秒ほど続いた。

 その間、明確な反応は返ってこない。だが、観念したように目を閉じる仕草が答えを物語っていた。

 険しい顔の管理局ふたりより先に口をひらいたのは、見染目だった。


「端紙リオ……? 誰それ」

「端紙リオは僕の知り合い……だった人だ。二年前の事故で死んでる。でも、僕はたしかにこの目でみた。君は取り乱していたから会っていないけれど、端紙リオはあのイベント会場にいた」

「それは……例の如く、あんたの携帯にも通知がきたってこと?」

「ちがう」


 いまいち読めてこない状況に、見染目が首を傾げる。

 僕は机に開いて置いた携帯をみつめる。


「僕の『リラ』には通知が届かなかった。黒いプロフィールはおろか、誰からも何も届いていない。だけどこの際、それはどうでもいい」


 今はもっと訊きたいことがある。


「あの日みた端紙リオは、完全に独立していた。相性診断時にみるような録画された映像ではない。どこかから送られた映像を投影している様子もない。そもそも、端末を介してすらいなかった」


 彼女だけが、異端だった。

 彼女だけが、特別だった。

 ひと目で端紙リオの異常性は理解できた。浮かび上がる限定的な映像とは規格がちがう。


「彼女はホログラムではあったけど、明らかに現場を訪れていた。自らの足で立って、現実の世界をみつめていた」


 死んだ人間が動いている映像がそこにあるならば、ひとは何を想像するだろう?

 多くの場合は、生前の映像であるという結論に行き着く。だが彼女の着ていた制服は間違いなく荒咲高等学園の制服だ。死亡時期は二年まえ、僕らは中学生のころだ。生前の映像であるという線は消える。

 ならば合成されたCGか? であるなら、どうして僕に反応した? なかに別の人間が入っていた可能性もあるが、その場合僕に反応する道理がない。

 堂々巡り。

 僕の思考は、混乱で埋め尽くされていく。この二日間、頭を支配した底なし沼のような感覚におかしくなりそうだった。

 ――だからこそ。


「端紙リオは、何なのですか?」


 結局は、この疑問に尽きるのだ。


 今なお僕を悩ませる、穴あきの記憶。様々なところで霧がかる脳内で、端紙リオはきれいさっぱり消し去られた存在だった。事故の衝撃ではじけ飛んで、二度と輝くことのできない花火となって埋もれた。

 彼女との接点など、端紙のお母さんから預かった日記ぐらいのものだ。あれさえなければ、僕とは無関係な赤の他人だった。でも事実として、僕と端紙リオの関係は深い。

 すべてのページに書き加えられた『詩島ハルユキと会った』『詩島ハルユキと会わなかった』という一文の数々。

 欠かさず記された習慣は、隠された僕とのつながりを明示しているように思う。

 何より、僕は心の奥底でうずいているのだ。向き合わなければ、と。


 不具合の仕組みとか犯人の目星とか、そんなことはどうでもいい。

 僕の訊きたいことはこれが第一だ。


 端紙リオとは、何なのか?


「……」


 僕の言葉を受けて、しかし校長も有臣先生もなにも言わない。ただ耐えるように、険しい顔つきをしていた。いや、彼らは見定めようとしているのかもしれない。僕と見染目クミカが、彼女のヒミツを知るに値するか否かを。

 時間にして、数分のことだっただろうか。

 秒針の音すら響かない視聴覚室は、とても静かで、些細な音も耳に届いた。

 生徒ふたりと、管理局。相対するふたつが、にらみ合うように空気をぴりつかせる。腹の探り合いのように刻々と時が過ぎていき……やがて、折れたのは校長だった。


「それには、まず『リラシステム』がどういう代物なのかを説明しなければならない」


 そう言って、校長は「他言無用に願うよ」と語り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る