死は常に生を見つめている 6

「公式マッチングアプリ『リラ』で発生した不具合ですが、依然として解決の目処めどは立っていません。実際に被害にあったユーザーからは、今後の利用を考える良い機会、気味が悪いといった声が多く、これに対し市は『早急に事態の収拾にあたる』と述べました。では、昨日さくじつ不具合が発生した地域を見ていきましょう――」


 素性不明のユーザーとマッチングする不具合が発生してから、四日がたっていた。土曜日の早朝にみるニュースはすでに『リラ』を大きく取り上げており、僕は食パンを咀嚼しながら画面を眺めていた。

 僕の周囲では、いまのところそういった騒ぎは起こっていない。

 ニュースで当然のごとく流れる『リラ』の被害報告に反し、うちの学科は何事もなく日々が過ぎている。今日――土曜日にも、クラスによっては授業があるようだし。話題の事件とは無関係と言わんばかりに学生生活を送っている様子がうかがえる。

 身近での当たりにしていない以上、どうしても当事者意識は薄くなる。もしかしたらどこかでわかってはいるのかもしれない。それでも、何かと騒ぎ立てる者は少ない。結果、みな一様に「他人事、他人事」と目をそらしている。


「……」


 対して、僕は周りの生徒のように楽観視することができずにいた。

 目を細め、画面に映し出される情報から考え事に耽る。自然、食事の手はとまる。

 すべては、見染目クミカが去り際に残した忠告が原因だ。


 クラスメイトも、教員も、無論学園外の人々だって、『リラ』の不具合をおそれず利用している。

 当然といえば当然だ。

 『リラ』はあくまで相性診断を通したコミュニケーションツールにすぎない。人は言葉や身振り手振りで意思疎通ができるし、元より不要なもの。変な人間に絡まれてしまったのなら仕方ない。拾ったパソコンがウイルスにかかってしまったかのように諦めることができる。

 世間は大仰にとりあげるけれど。その実、日常はなにごともなく、今も平穏を保っている。ユーザーは今日も相性診断をつかって誰かとつながるのだろう。


 しかし――注意喚起する市と、あの見染目クミカだけは危険視していた。

 それだけが気がかりで、周りの人々のように目をそらすことはできなかった。


 ……あれ以来、見染目クミカとは会っていない。

 失礼な言葉を躊躇いもなく吐き、ストーカー気質で地頭がよさそうなあの生徒。踏み込まなかったけれど、まず間違いなくなにかを知っている素振りだった。今度会ったら問いただそうと胸に決める。


「『すぐにわかる』か」


 すぐ、がいつのことなのか。何に気をつければいいのか。そも、僕らはあの『不具合』をどれほど恐れればいいのか。

 結局わからずじまいのまま、僕は朝食を胃に詰め込み、食器を片付けた。


 テレビ画面の端には「五月十四日 土曜日」の文字が浮かんでいた。



◇◇◇



「はーっはっはっはっはっはっは!」


 雑然とした生物準備室。白衣の男性が大声をあげた。

 コップにお湯を注ぎ、狭い部屋にコーヒーの芳ばしい香りが充満。目の前の男はメガネを曇らせ、僕が語った出来事を笑う。


「いやー、はは……そんなことがあったとは。面白い」


 御門みかど先生は、くっくと笑いを噛み殺しながらコーヒーを啜り、「あちっ」とこぼした。テーブルは拭くが、曇ったメガネを拭くつもりはなさそうだ。

 僕はそのシュールな顔に問う。


「見染目クミカ、知ってますか」

「ふむ。見染目……みそめ……私の担当クラスではないね」


 話題は数日まえの出来事。

 見染目クミカと出会い、追いかけられた日のことだ。結局のところ、一連の出来事は僕に恋人がいないことが原因だったのです。なんて滑稽な顛末てんまつを話したところ、御門先生のツボに入ったらしい。

 そう。元はといえば、相性の良い相手がいないことが発端だったのだ。つまるところ、僕に魅力がないから。余り物だから。余り物の最たる例だから。

 掲示板の最高相性数値が十八パーセント? 笑わせる。

 恋愛を推奨するために配布された『リラ』に追い詰められた僕。それを不憫ふびんに思い見染目に紹介した有臣先生。僕が慣れない運動をする羽目になったのもすべては自分のせいだ。せめて僕がもうすこしマトモで、「がんばれば希望あるんじゃない?」と言わせるくらいの数値を出していれば、あんな出来事は起こらなかったのだ。すべては有臣先生の哀れみからきている。

 まあ、終わったことだし。恋人はともかく、知り合いは増えたことだし。あながち悪いことばかりというわけでもない。

 むしろ良いことの方が多いのではないだろうか。二年間他人との交流が少なかった身としては、友人が増えることは素直に喜ばしい。


「その見染目さんという生徒とは、それからなにか話したのかい?」

「いいえ。向こうのログインも三日まえで止まってますし、接点はありません」

「ふふ。同類、ですか」


 その一言にむっと睨みをかえすが、御門先生は肩をすくめるのみだった。誤魔化すように話を先にすすめられる。


「それで? 君がここに居座っている理由が彼女なのかい? 入学式以来じゃないか」

「……まぁ、もともと訊くか迷っていたことを訊くためです。ここへ足を向かわせた、という意味では正解ですね」

「聞こう」


 コトリ、とマグカップを置く御門先生。曇りの晴れたメガネの向こうには、慈善的な瞳が興味深そうに瞬く。これでも信頼できる相手であるのだと再認識し、僕は本題にはいった。


「先生は『リラ』の不具合を知っていますか?」

「……ああ、もちろん」


 白衣からごそごそ、と取り出したのは、御門先生の携帯だ。テーブルに置いて指でスライドしていくと、すぐに見慣れたアプリが立ち上がる。

 生徒だけでなく教員もインストールを義務づけられているのか、それとも単純に利用者なのか。それはどうでもいい。みたところ、彼のアカウントでも不具合は起きていないようだった。


「見染目は、気をつけろと言っていました」

「ほう」

「四日まえから相次いでいる不具合を、彼女は警戒していた。ただの不具合ではないと疑いの目をもち、僕に意見を求めました」


 画面を見やる。アプリのホーム画面にはメッセージ通知が二件。おそらく運営からの注意喚起メールだ。今朝方、僕の携帯にも届いていた。やはり正常に動いている。


「どう思いますか」

「また抽象的な。でも、そうだね……なにかは知っているのだろう」


 すると先生は立ち上がり、後ろの棚から不格好な機械を手に取った。それをごとりと携帯のよこに置く。


「これ、なんだと思う?」

「カメラですか?」

「残念。これはカメラに似ているけど、仕組みはもちろん、用途もまったく違う。まあ顕微鏡にちかいものだと思ってくれればいい」

「なにが言いたいんです?」

「視点は人それぞれ、ってことだよ」

「人それぞれ……」


 言葉を反復する僕に、先生は頷いた。


「簡単も簡単、こどもに教えるような話さ。君はこれをみてカメラと言った。つまり、この機械を細部まで知らない人からすれば、カメラにしか見えないんだよ。でも私みたいな専門分野の人間はちがう。これがどんなもので、どんな風に動くのかを知っている」

「……」

「もしもこの機械がとつぜん光り出したら、君の担任――有臣先生はそれを『不具合だ』と見抜けると思うかい? 否、きっと不具合だとは思わない。真っ先に思い至るのは『起動してしまった』あたりだろうよ」


 その機械を見つめ、想像する。

 何も知らないソレが光ったら、確かにそう思うかもしれない。カメラにみえるし。


「でもね、こいつに詳しい私からすれば、それは間違いなく不具合だ。そこが今のユーザーと、私や見染目くんとの差だ」

はたからみれば、ただの不具合でも、」

「そう。私や彼女からみれば、今の『リラ』は不安定にすぎる、ってことさ。情報は命。持たざるものと持つものでは見える世界も変わってくる。当然だろう?」


 カメラ――顕微鏡が、御門先生の手で棚に戻される。

 「見染目くんとは半ば同じ意見だね。なにが起こるやら」なんて他人事のようにつぶやいて、会話は途切れた。

 僕は考え込んだ。


「もし想像どおりだとして……君はどうする?」


 立ち上るコーヒーの湯気。揺らぐそれを見つめ、僕は嘆息した。


「どうにも、できませんよ」


 返ってきた反応は、くっくっという笑い声だった。






 準備室を出ると、四つとなりの教室から授業をする音が聞こえてきた。


 考え事をしていた僕は廊下で立ち止まったまま呆然と耳にしていた。

 この学園は勉学に忠実。休日とはいえ、熱心に勉強をしにくる生徒が一定数存在する。静寂に包まれているはずの学園内は、うるさい準備室を出ただけで独特の空気が充満している。吹き抜ける微風にワックスの匂いがわずかに混じり、チョークの連打と教員の声が交互に聞こえてくる。

 自分だけ苦しみの外側にいることに得体のしれない背徳感を覚えつつ、踵を返した。


 生徒玄関までやってきたころ、思い出したように携帯をひらいた。

 『新しいお友達』通知はもちろんゼロ。こちらからアプローチはおろか、掲示板すらろくに見ていないのだから当たり前だけど。

 特に期待もしていなかった僕は携帯をしまい、自分の靴がある下駄箱に向かった。そして角を曲がった、そのとき――


「うおっ」


 小さな驚き声をあげ、視界に飛び込んできた誰かとぶつかってしまう。

 謝ろうと顔を上げると、同じくらいの背丈の男子だった。長めに伸ばした前髪が片目にかかり、覗いた鋭い目が僕を一瞥する。


「ちょ、あの……」


 邪魔なものに向ける視線だけよこして、彼は西棟階段の方へ去って行った。謝る隙もない。

 ひとり、その場に立ち尽くす。


「なん、なんだ?」


 普通は何か一言二言口にするものだが。まあ変に大事おおごとになるよりは無視で済む方がいいけど……それより、まさか僕の他にも学園にきている生徒がいるなんて。物好きなやつがいたものだ。

 制服と荷物の少なさからして部活ではない。土曜授業組でもない。僕みたいに些細な疑問を解消しにきたのだろうか。はたまた休日の学園内という背徳感を味わいにきたのか。

 そんなことを考えていると、後方から数人の声が近づいてきた。

 テニス部の集団だ。

 彼の消えた方を二度見するが、その背中は角に消えみえなくなっていた。訝しげにその方角を睨み、すぐにチカラを抜く。必要ないことに苛立つのは疲れるのだと、誰かの経験則が興味を失わせた。


 靴を履きかえ、いつもより早足で学園を去る。すれ違うだけで熱気を伝えてくるテニス部が、背中越しにキャイキャイと騒いでいた。


「だからぁ、セミナー出てみよっかなぁって思って」

「えぇ? あれっておじいちゃんおばあちゃん向けのパソコン教室みたいなものじゃないの?」

「チッチ、わかってないなぁ由実子は!」



「案外人気なんだって! 『リラ』交流イベント!」

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