死は常に生を見つめている 5

見染目みそめクミカ、よろしく」


 自動販売機で買った缶コーヒーをあおり、彼女はそう告げた。


「それを最初に言ってほしかった」

「それを最初に言うまえに逃げたのがあんたでしょうが」


 ベンチをゆずり、クミカと名乗る彼女が息を整えるのに数分。

 有臣先生との通話は切れ、現在はふたりだけ。しかしさっきまでとは異なり、ちゃんと意思疎通ができていることに胸を撫でおろす。

 足を組んで、ふぅ、と息を吐いた見染目。どこか偉そうにも感じられるのは気のせいではない。


「まったく、いきなり逃げるとか非常識じゃない?」

「いきなりストーカー紛いのことしてくるのも非常識だと思うけど……」

「あたしは……ほら、なんていうか? 頼まれただけっていうか」


 毛先をくるくるして口を尖らせる彼女だが、意外と素直なところはあるようで、ボソリと「ごめん」とつぶやく。

 毒気を抜かれた僕は、苦笑して口をひらいた。


「ともかく、おおよその事情は察したよ」

「たすかるぅ」


 彼女は缶をあおり、ごくごくと豪快に飲み干す。コーヒーの飲み方じゃないだろそれ。

 しかしまあ、話してみると案外こわくない。ふんぞり返るような座り方のわりに素直さがにじみ出ているし、何より表情がころころ変わる。何気に憎めない性格のようだ。

 教えてもいないIDを知っていたときには背筋が凍る気分だった。もし相手が同じ学園の生徒でなく知らないおじさんとかだったら警察に連絡をいれていた。

 ありがとうクミカチャン……ありがとう荒咲学園制服……。

 さて、そんなクミカチャンこと見染目クミカだが。


「有臣先生はなんて?」

「んー? 『不真面目な子がいるから会ってみない?』って。あたし恋人いなくて、授業でそこそこ仲良くなった先生に相談したの。そしたら目をキラキラさせて紹介してくれてさ。IDもそのときに」

「あー……」


 光景が目に浮かぶ。見染目が相談した理由も共感できて、思わず頷いてしまった。

 恋愛を推奨する規則のもと、『リラシステム』が横行する世の中。そこに生きる持たざる者にしてみれば、こんなにも惨めな気持ちはないだろう。僕やソウタが「まぁどうでもいいか」で済ませられても、他がそうとは限らない。ある種の息苦しさを感じてしまう生徒は少なくないはず。

 『リラ』が配布された弊害のひとつだ。持つ者と持たざる者のあいだには、格差が生まれつつある。

 きっとこの生徒も、何か理由があるのだ。


「事件とか謎とかはともかく、色恋は専門外なのよね」

「はい?」

「いやなんでも。それより、あんたもいないんでしょ? カノジョ」


 誤魔化しついでに痛いところを突かれたが、僕はなんとか頷いた。

 見染目は反応をみて、缶を横に置いた。そしてどことなく嬉しそうに、携帯を取り出す。『リラ』の相性診断画面がひらかれていた。


「なら、なりましょうよ、恋人。お互い可哀想な身なんだし」




◇◇◇




『ざーんねーん、相性はまずまず。でもどこか気の合うところはあるみたい! 最初はお互いを知り合うところからはじめてお友達になろう!』


「……」

「……」


 パーセントという虚しい数値が表示され、すこしも悲しそうに聞こえない音声がキャピキャピと鳴り響いた。前髪を弄って前に向き直る見染目クミカのホログラム映像。そこに『BAD』という文字が重なる。

 僕にしか見えていないページだけど、おそらく同じ結果が相手側にも見えている。


 まぁ、現実はこんなものである。

 相性掲示板の最高数値が十八の僕からすれば、なかなか好相性なのではなかろうか。

 うん、このアプリも言うほど悪いものではなかった。


「良い友人になろうね」

「バカじゃないのっ!?」


 サムズアップした僕に対し、見染目は信じられないと驚愕した。


「え、ええ……」


 というより、引いていた。


「なにこれ、ひっく……。あんた何したらこんな数値出せるの? それとどうしてそんな呑気でいられるの?」


 無言で掲示板をみせる。

 すると、見染目は画面を見るなり硬直してしまった。そしてしばし長考。こめかみに指をあて、眉をひそめた。シビアな相性診断でもここまで低い数値はあまりお目にかかれない。

 カップルをつくることを目標に据えているくせに、システムメッセージが『お友達になろう』という言葉を使っているのも、一種のフォローに聞こえて悲壮感がすごい。

 見染目はこの状況を不自然に思っているようだった。気づくと真剣な面持ちをして、冷静に僕を観察している。

 空気ががらりと変わって、すこし気が引き締まる。


「うーん、なぜこんなにも低い数値ばかりなのか……べつにあんた変なところとかなさそうなんだけどなぁ。たばこは?」

「吸わない」

「お酒は?」

「飲まない。未成年だぞ」

「窃盗とか……いや冗談」


 やはりこのひと、思ったより辛辣なことを口にする。

 とはいえ、彼女がそういった事柄を気にする気持ちは理解できる。この『リラ』が携帯にインストールされ、現実を思い知ってから数ヶ月。同じように勘ぐったのも一度や二度ではない。


 例えば僕が、特殊な性質をもつ人間だったとしたならばどうだろう?

 入学式の一ヶ月ほどまえ、事前に手元へと届けられた『リラ』。利用者はアカウント作成にあたり、必ずプロフィールを入力しなければならない。

 誕生日、血液型、性格……といった個人情報。加えて、二択の質問がいくつか出題され、心理テストめいたチュートリアルだったのを今でも覚えている。

 もしもそこに入力された要素が、常識とかけ離れていた場合。特殊な性質を示した場合。僕は社会のなかでも少数派に分類され、適応する相手は限られてくることだろう。

 『リラシステム』はおそらく、最初に入力した個々人の特性をもとに相性診断を行っている。ちまたでは「的中率がたかい」という声があがるほどである。高度な心理診断をベースにしている可能性も捨てきれない。だからこそ、もっとも考えられる理由はソレだ。

 僕の回答は、きっと普通とはかけ離れていた。

 『リラ』の高度な相性診断システムは詩島ハルユキの異常性を見抜き、誰ともつり合うことはできないという結果を算出した。


 問題は――僕には、僕の特殊な部分を見つけられないということだ。

 自覚がないだけで、実際はどこか常識を外れた部分があるのだと思う。きっとそれは致命的なもののはず。

 しかし、それがわからない。

 相性診断数値が極端にひくい原因がわからない。


 それだけに、僕は彼女の思考に注目していた。自分で自分のことがわからないのなら、他人の目から見た僕を知ればいい。

 一度辿った推察をなぞる見染目クミカ。されど視点は決定的に異なるだろう。僕は彼女が自分の異常性を発見することを、ひそかに期待した。


 しかし。


「わかんないなぁ」


 真剣な表情でそうこぼされ、僕は肩を落とした。


「見たカンジ、あんたも数値がひくい理由は知らないみたいね」

「知ってたら改善してる。改善したところで、ではあるけどね。具体的な原因はつかめていないから性質たちが悪い」


 見染目はふむ、と指を立てた。


「不具合、という線は?」


 ……不具合。

 なるほど、そういう考え方もできるのか。誰しもそれなりに相性の良い相手は存在するものだ。どれだけ低迷していても、四十パーセントあたりの数値なら必ずいる。

 それに対して、こんなにもひくい僕――なぜ不具合を疑わなかったのだろう。


「最近はなんか不調みたいだしね」

「不調……それって昨日の?」

「そう。素性不明のユーザーと強引にマッチングさせられた、っていうアレ。あんたはどう思う?」

「どう、とは?」


 首を傾げる僕に、わかりやすくため息を吐く見染目。


「あんたの数値がひくいのは置いといて。ニュースになってる不具合のこと。あれ、単なる不具合だと思う?」


 その言いぶりからして、思うところがあるようだ。


「セキュリティが不完全だった。だから不具合が発露した。っていうのがあの記事の内容だったけど。表だって公表していないだけで、サイバー攻撃を受けてるという線もある。いや、でもあたしにあんな依頼をしてくるくらいだもの。そんな安易な――」


 なにかぶつぶつ独り言をはじめた。


 不具合、か。

 なんだか、昨日から世間が騒がしくなっているような気がする。気のせいであればいいのだけど、この胸騒ぎはなんだろうか。

 もしかして……。


「ああもう、モヤモヤするぅ!」


 頭をかかえた見染目がうがーっと唸る。僕はすこしだけ逸らしていた意識をもどした。

 彼女も彼女で、いろいろと大変なようだ。僕が自分の記憶について苦悩すると同様、他人にも見えないタスクが山積みなのである。「あーもう考えるのやめちゃおうかな」なんてこぼすあたり、想像より追い詰められているのかもしれない。

 見染目は気分を切り替えるように、ふっと吐息を吐いた。今はひと仕事終えたことを喜ぼう。そんな雰囲気をかもし出した。

 今こうして話している時間も、きっと数あるタスクのうちのひとつであったに違いない。よっ、と腰をあげた見染目は背伸びをして僕をみる。


「あたしは帰るよ。今日は走って疲れた」

「そ、そうか」

「じゃね、詩島ハルユキくん。疲労感すごいけど、なかなか楽しかった。また明日、いえ、次は休み明けかな」


 意味深なことをつぶやきつつ、見染目が去って行く。それを追求する気にもならず見送っていると、数歩足を運んだにもかかわらず、とめた。

 言い忘れてた、という風に振り返る目が僕を捉える。


「……?」


 瞳は細められ、いくらかの冷たさをもっていた。ぞくりと、心臓の奥底を見られたかのような感覚。一度だけ吹いた微風が、得も言われぬ危機感を呼び起こす。


「気をつけなさい」


 ひらかれた口から、真剣味を帯びた声音が放たれる。


「……何に?」

「すぐにわかる」


 去り際。

 胸の奥に釈然としない気持ち悪さをのこして、彼女は踵を返した。

 僕は正体不明の予感にさいなまれ、立ち尽くしたままだった。

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